二
東海道新居関所。現実世界でも、建物が現存する唯一の関所である。
大門の向こうに面番所があり、南を向いている。ここで【遊客】や、東海道を旅する江戸NPCの旅人が人定を受ける。
もっとも、実際に通行手形を調べられるのは、【遊客】に限られている。通常の、江戸NPCたちは、名前、生国、年齢などを口頭で答えるだけで、わざわざ手形改めなど必要なく、通過できる。
実際の江戸時代……といっても、文化文政を過ぎた、中頃からではあるが……ほとんどの旅人は、手形を持ち出さずに済んだらしい。また、関所を通過するのが面倒と、山越えなど「関所破り」をして、通過した者も結構いる。本来「関所破り」は重罪だが、関所もほぼ、黙認していたという。
関所破りとして、記録に残される唯一の例は、幕末の高杉晋作による、馬上での箱根関所における強行突破である。これが、たった一例、報告されているだけだ。
健一は、仮想現実に接続する前に、下調べとして、新居関所を検索していた。現存する建物の映像も、しっかり頭に入っている。
しかし、目に映る新居関所には、見慣れないものがあった。
関所の建物後方に、奇妙な塔のような構造物が聳えている。材質は、木材と、竹材を組み合わせたらしく、遥か上空を突き刺すように、突っ立っている。
全体は円柱形をしていて、天辺は円錐形に尖っていた。建物にしては、窓一つなく、妙な形をしていた。円柱の壁面には、龍の絵が描かれている。
「ありゃ、何だ?」
思わず指差し、背後の剣鬼郎に尋ねた。剣鬼郎は、本人曰く「江戸仮想現実の大ベテラン」だそうだから、何か知っていると思ったのである。
剣鬼郎は、ニヤニヤ笑いを浮かべて、答えない。再度しつこく質問すると、やっと口を開いた。
「まあ、後のお楽しみってやつさ! 関所で登録が済めば、ここから江戸入りだ!」
謎のような言葉を吐いて、肩を竦めた。
健一は首を傾げた。
「江戸入り、って言われても、ここから江戸へは、かなり距離があるぜ! まさか新幹線なんかがあるわけ、ないよな?」
「おおーっとぉ! 当たらずとも、遠からず……。月さん、あんた、いい勘してるぜ」
健一は、苗字の月村の一文字を採って、剣鬼郎などの仮想現実役者からは「月さん」と呼ばれている。
「早く、登録を済ませましょうよ!」
身を捻じって、永子が健一の背中を押した。押されて、とんとんと健一は、漂うような歩き方で、関所の大門を潜る。
関所には、これから江戸入りしようとする【遊客】たちによる、列ができていた。
足軽たちが、関所を利用する旅人を整理している。
通過する江戸NPCは、簡単な問答をするだけで、さっさと放免されるのだが、【遊客】に対しては、やや念入りである。
「次の者!」
面番所の役人が声を張り上げ、健一らの番になった。
おずおずと、健一、永子、剣鬼郎らは、面番所の正面に進み出る。足軽が指示して、一同は正座を強いられた。
「姓名、生国、生業を申せ!」
「月村健一、東京都生まれで、仮想体験劇の監督をしています」
ぼそぼそと答えると、役人は妙な表情を浮かべた。
「其方、何を申しておる?」
隣で、剣鬼郎が可笑しそうに囁いた。
「駄目だよ、月さん。江戸風に噛み砕いてやんなきゃ、相手は判らねえ……。何しろ、江戸NPCだからな!」
健一は、剣鬼郎に向かって、思い切り顔を顰める。
「じゃ、どう言えばいいんだよ!」
すると、剣鬼郎は背筋を伸ばし、声を張り上げた。
「この者、芝居の座付き戯作者にて、月村亭健一と申します! 江戸にて、新作芝居を上演したく、関所を通りたく願い奉ります!」
役人は顔を綻ばせた。
「ほほお、芝居とな? それで、そちらの女は?」
「はい。女ながら、伯楽となり、芝居の裏方を勤めまする、御影屋お永と申します!」
役人は、大いに頷いた。
「なるほど……あい判り申した! その方ら、江戸にて、良い芝居を演じるように……。さて、今の言上をした、其方であるが……」
剣鬼郎は、すっくと立ち上がった。
「拙者、村雨剣鬼郎と申す、旅の武芸者に候……。江戸にて、剣術詮議をしたく、罷りこし候……! すでに拙者は、江戸入府の登録を済ませた【遊客】で御座るが、今回二人の付き添いとして同道した次第」
滔々と並べ立てる剣鬼郎は、さすが役者である。態度は堂々として、役人たちは圧倒されていた。
「わ、判り申した……。通って良し!」
剣鬼郎は、くるっと健一に振り向き、ウインクして見せる。
「こう、言えば良いのさ!」