八
あと一日半……。
剣鬼郎が〝ロスト〟してしまうまで、三十時間を切った。健一は、じりじりとした焦りを感じていた。
本音を言うと、剣鬼郎が〝ロスト〟しようが、どうしようが、健一にとっては、痛くも痒くもない。所詮、他人事である。
たとえ〝ロスト〟しようと、現実世界の剣鬼郎は、掠り傷一つなく、健康なまま、無事に目覚めるだろう。単に、仮想現実での記憶を失うだけで、本人は何があったか、さっぱり判らずじまいのままだ。
後は、健一が口を拭っていれば良い。
しかし仮想体験劇『剣鬼郎百番勝負』の主役である剣鬼郎と、監督の健一が〝ロスト〟の原因について、何も蟠りなく、仕事が続けられるとは、どう考えても想像できない。何かと剣鬼郎は、自分の〝ロスト〟について、質問してくるだろう。
健一も、首尾一貫した嘘を吐き通すなど、無理に決まっている! だから、何とか、剣鬼郎を救い出さねばならない。
剣鬼郎一座で、麻薬中毒患者の【遊客】が死亡していたのは、確実に何かの手懸りだ!
麻薬密売組織は剣鬼郎一座の火事と、どこかで繋がっている可能性がある……。
――とまあ、ここまでは二郎三郎と、億十郎、健一たちの一致した意見である。さて、その手懸りをどう探るかについて、健一は五里霧中、暗中模索といってよかった。
まあ、自分でやれる方法を、手探りでも続けるしかないが……。
健一は行く先々で、記録をしている。仮想現実を構築する、広大な記憶エリアに、自分が目撃したあらゆる出来事を、記録しているのである。
今、健一は、現実世界へ戻り、自分の記録を再生していた。
個人用の仮想現実接続装置に、健一自身の記録を再生させ、システムに照合作業を命じている。
今までの記録を、そのまま頭から再生していては、時間が足りないので、顔照合プログラムを使って、検索を掛けている。
つまり、同一人物のチェックである。
これで何か、目新しい事実が掴めると期待しているわけではない。しかし、仮想体験劇を作成するときは、不可欠の作業だ。
様々な場面で、背後に無数の群衆が登場するが、その中に、同一人物が複数の場面に顔を出していないか、チェックするのである。
小うるさいファンの中には「あそこと、あそこの場面で、何人、同じエキストラがいるぞ!」などと、指摘する奴がいる。
そこまでは、健一だって、細かく把握はできない。だから、顔照合プログラムで確認して、別の顔を差し替えたりの変更を加えるのである。
目鼻の位置、間隔は、いくら変装しても誤魔化せない。人間の目では把握できない相違も、プログラムなら自動的に照合できる。
暫く待つと、プログラムが総ての場面で照合を終えたと、表示される。
仮想現実で展開するマルチ・スクリーンに、今までの結果が表示される。健一の視界総てを、重複した顔がマーキングされ、幾つもの画面に分割されていた。
その中から、お馴染みの顔──健一、永子、剣鬼郎、二郎三郎など、捜査仲間を除外していく。仮想現実の中で、健一は両手を差し上げ、指揮者のように腕を振って画面を消去してゆく。
健一の腕が、ぴたりと止まった。
空中に腕を差し上げたまま、健一はまじまじと、瞬きもせず、目の前の画面を見詰めていた。
この顔は──。
剣鬼郎一座と唐人町の両方に同じ人物が顔を出していると、プログラムは健一に告げていた。
若い男である。
ようやっと、仮想現実に接続許可が出たばかりくらいの、年齢に見える。
剣鬼郎一座では、一座の役者として出演している。つまり剣鬼郎の、現実世界でのファンだという触れ込みで、紹介された。
その時は、さして気にも留めず、記憶すらしていなかった。
ところが、もう一方の場面――唐人町の、針鼠の仙蔵の居場所にまで顔を出しているのだ。仙蔵の手下のようだが……。
服装や、髪型は変えているが、顔照合プログラムは誤魔化せない。
健一の胸に、むくむくと疑惑が、黒雲のように湧き上がる。
まさか、剣鬼郎自身が、麻薬取り引きに関係しているのでは?




