四
吉奴は、楽な姿勢になると、話し始めた。
「あちしが【遊客】の気配を消す術を会得したのは、ある〝導師〟様の教えでありんした」
二郎三郎が口を挟み込む。へらへらと薄笑いを浮かべ、嘲りの口調である。
「何者だ、その〝導師〟様ってのは?」
吉奴は鼻の両脇に皺を寄せた。
「だから、それを今から話そうとしていたんでありんすよ!」
二郎三郎は、吉奴の反撃に、首をひょこっ、と竦めて見せた。
吉奴は唾を飲み込むと、話を続ける。
「あちしが、こちらの仮想現実で、男に振られと思いなんせ! あちしは、メソメソと涙を拭いながら、大川端の土手を歩いてありんした……。そこに声をお掛け下さったのが、〝導師〟様で御座んした!」
以後、一々吉奴の語りで記すのは面倒なので、三人称で著述する。
ぐずぐずと、吉奴が鼻水を啜り上げ、トボトボと夕日が差す土手を歩いている。すでに姿はぶくぶくと河豚のように膨れ、顔には薄っすらと髭が生えかけていた。
「ああ、またフラれちまった! 何で、あちしはこんなに、男にモテないんだろう?」
「それは、お前が男だとすぐ、判ってしまうからだ!」
出し抜けの大声に、吉奴はギクリと立ち止まった。
振り向くと、夕日を背に、一人の老人が杖を手に、立っている。身に着けているのは、ゆったりとした道服で、頭には頭巾、顔には胸まで覆う、豊かな白髭。
眉は、だらりと下がって、目を隠している。
吉奴は驚きに、尻餅を搗きそうに仰け反った。
「な、何だい、あんたは?」
老人は、垂れ下がった眉の下から、ギラリと眼光を覗かせた。
「お主、男だとバレたくはないのだろう? お主が男の【遊客】だと瞬時に判るから、相手に逃げられるのだ」
吉奴の胸に、むらむらと怒りが湧き上がった。
「それがどうしたっ! あんたなんかに、言われたくはないね! 第一、あんた、どう見てもNPCじゃないか! あんたに【遊客】の、何が判るって言うのさ?」
老人は息を吸い込み、静かに話し掛けた。
「ほう。儂が【遊客】ではないと、なぜ思うのかな?」
吉奴は反論した。
「だって、あんたからは、【遊客】の気配が、一欠片だって、感じないからさ! あちしたち【遊客】には、お互いを感じ合う、特別な力がある!」
老人は、ゆっくりと、頷いた。
「なるほど、なるほど……。では、これでは、どうかな?」
突然、吉奴は、老人から【遊客】の気配を感じ取っていた。今まで、まるで感じ取れなかった気配が、老人の言葉が終わると同時に、出し抜けに発せられたのだ。
「ど、どうして……。さっきまで、何も感じなかったのに……?」
老人は得意そうに、顎を上げた。
「儂は【遊客】の気配を消し去る、特別な技を会得しておるのじゃ! 良いか、【遊客】の気配には、男女の別がある。姿形をいくら女にしても、男の【遊客】の気配を発している限り、お主が男であると即座にバレるのは、必定であるぞ!」
吉奴の頭に、閃くものがあった。
「そ、それじゃ、あちしが【遊客】の気配を消し去れば、男だとバレないと?」
「そうなるな。理屈では、お主が【遊客】の気配を消して、女の姿でいる限り、相手はただの、女の江戸NPCであると、思って接するであろうよ」
老人の言葉に、吉奴は夢中になった。
「あちしに教えておくれ! その【遊客】の気配を消す技を!」
老人は、ニッコリと笑いかけた。
「そのためにこそ、お主に声を掛けたのじゃ。儂は〝導師〟。【遊客】の気配を消し去る技を、あちらこちらの仮想現実で教えている」
吉奴は首を捻った。
「へえ? 何でまた、そんな酔狂な真似を?」
「儂は仮想現実で【遊客】が真の暮らしを感じるため、【遊客】の気配を消す技を教えておるのじゃ。良いか! 仮想現実で【遊客】は、その卓越した体力、反射神経、筋力で縦{ほしいまま}に過ごしておるが、本当の仮想現実を味わうには、それは邪魔なのじゃよ。【遊客】の能力など、真の悟りに至る道への、邪魔者でしかない……」
老人の言葉は、吉奴には珍粉漢粉の戯言としか思えなかった。
が、吉奴にとって、老人の目的はどうでも良かった。肝心なのは【遊客】と相手に知られない技だけだ。
「ねえ、好い加減、早く教えておくれよ! 何、もったいぶってるのさ!」
老人は吉奴の態度に、怒りを顕わにした。
「判っておる! ちと、黙れ! 良いか、【遊客】の気配を消し去るには、まず己が【遊客】であるという意識を消し去るのが、最初である……」
吉奴は神妙な表情を作った。
「はい……」
老人はぶつぶつと呟くように、吉奴に技を伝授する。
総てが終わると、老人は最後に釘を刺した。
「良いか、【遊客】の気配を消し去るのと同時に、【遊客】の持つ、あらゆる能力は封印される。つまり、普通の江戸NPCと同じになるのじゃ!」
言い終わると、老人は飄然と背を向け、歩き出した。吉奴は慌てて、老人の背中に声を掛けた。
「ちょいと! これから、あんたは、どうするつもりなのさ?」
老人は立ち止まり、ニヤッと笑いを残した。
「決まっておる! これから【遊客】たちに、儂の技を次々と伝授するつもりなのじゃ。やがて総ての【遊客】が己の能力を封印し、仮想現実で暮らすNPCと同じ生活を味わうようになるじゃろう……。その時こそ、【遊客】の中に、真の悟りを得る者が現われる。儂は、その日を、ゆっくりと待つわい」
言葉が終わると、老人は目を閉じ、接続を断った。現実世界へ帰還したのだ。老人の姿は、一瞬で吉奴の前から掻き消えていた。
「……というのが、あちしが出会った〝導師〟様のお話なのさ!」
吉奴が話し終わると、二郎三郎は唸り声を上げた。
「なるほど……。【遊客】の気配を消すと、同時に【遊客】の能力が失われる……。それで、麻薬に中毒した連中が現われたのか!」
健一には、疑問があった。
「真の悟り……って、何だ? 麻薬中毒と、何か関係があるのか?」
永子は首を振った。
「さあねえ……。黙って聞いていると、昔のニュー・エイジの戯言に聞こえるけど」
二郎三郎は皮肉な笑いを浮かべた。
「ニュー・エイジだって? 随分と古い言葉が出るじゃないか、お嬢さん!」
二郎三郎の言葉に、永子は真っ赤になった。
「な、何よ! あたしが何だって……」
黙りこんでいた億十郎が、初めて口を開いた。
「〝導師〟と名乗る老人、他に【遊客】の方々に気配を消す技を伝授しているらしゅう、御座るな……。ちと、筋として、調べる必要が出てき申したな?」
健一たちは、一斉に頷いた。




