一
まさか、村雨剣鬼郎が同行する展開になるとは、健一の頭には一切、これっぽっちも浮かんではいなかった! 剣鬼郎はすっかり『剣鬼郎百番勝負』の新作撮影のためと、一人合点している。
健一の隣で、永子がこそこそと耳打ちをした。
「どうすんのよ! 結局、あいつが引っ付いてくる羽目になったじゃないの!」
江戸仮想現実の、新居関所へ向かう道を、健一と永子は、とぼとぼと歩いている。江戸時代には、東海道を守る関所として、新居関所は、箱根と並ぶ重要拠点だった。
しかし仮想現実では、現実世界から接続するプレイヤー……おっと、ここでは【遊客】と呼ぶのだった……が、最初に立ち寄る場所でもある。
最初に関所で登録を済ませれば、次回からは、江戸のどこでも好きな場所から接続できるシステムになっている。
二人の後ろから、村雨剣鬼郎は、のんびりと従いてくる。現実世界と違い、今の剣鬼郎は、身長六尺以上で、筋骨隆々とした逞しい身体つきを誇っている。
顔つきも、理想化されていて、ただ黙って立っているだけで、圧倒的な迫力を発散させている。
ちら、と背後を振り返り、健一は永子に囁き返した。
「大丈夫ですよ! まあ、撮影には立ち合わせますが、編集のときに、ばっさり剣鬼郎のデータを消去する処置を加えますから……」
仮想現実で行う撮影では、あらゆるデータが立体映像で記録される。従って、編集作業で、ストーリー上、邪魔な人物や、物体を消去する処置は、常になされている。
今の場合、剣鬼郎が写っている場面に手を加え、存在しなかった状態に編集するのだ。
永子は疑わしそうに、眉を持ち上げた。
「そんな手に、あいつが引っ掛かるかしら? 後で、面倒事が起きなければいいけど」
二人は江戸仮想現実に接続するため、江戸時代の町人に姿を変えている。
もっとも健一は、肉体的には変更を加えていない。身につけているのは、和服で、旅慣れた町人らしい姿形になっているだけだ。
永子というと……。
やはり、女である。現実の永子からすると、少々……いや、大幅に変化している。
まず、年齢が十歳は──うーむ! 健一は、永子の年齢は、二十歳は若返っていると踏んだ!
背も少し高くなっていて、全体に肉付きが良くなっている。特に胸の辺りは……。
健一は慌てて、永子の胸から視線を引き剥がした。現実世界での永子を知っているだけに、妙な気分だ。
髪の毛は江戸時代らしく、日本髪にしていて、日除けのため手拭を載せていた。商家の女将、といった風情である。
可笑しいのは、仮想現実のキャラクターになってさえも、眼鏡を架けている姿だ。永子の弁では、こうしていないと落ち着かないからと説明した。
健一は、密かに、永子が自分の眼鏡を架けた顔に自信を持っているのではないかと、思っている。
日盛りを、二人は関所を目指している。地面は乾ききり、ぽくぽくとした土埃が、踏み締めるたびに、上がる。
道を歩くと、時々、旅人と擦れ違う。東海道は江戸時代の主要幹線道路で、仮想現実の江戸でも同じである。
旅人たちは村雨剣鬼郎に気付くと、皆、一様に丁寧に頭を下げ、会釈して擦れ違った。
健一は剣鬼郎に振り返り、話し掛けた。
「皆、挨拶して行くが、あんたの知り合いかな?」
「いいや。俺が【遊客】だから、挨拶するんだ。江戸仮想現実では、町人、侍の区別なく【遊客】は尊重されるのさ!」
健一は振り向いた姿勢のまま、立ち止まった。
「随分と詳しいんだな?」
剣鬼郎も立ち止まる。にやっと笑って、背筋を伸ばした。
「当たり前さ! 俺は、こっちの仮想現実に接続して、長い。いわば、江戸仮想現実の先輩だ。何でも聞いてくれ!」
「何だって……」
健一は、意外な剣鬼郎の内情暴露に、俄かに不安感が増すのを感じた。