一
一同が人力車に乗り込み、深川へと向かうと、健一は二郎三郎に食って懸かった。
「あんた、剣鬼郎をあのままに放っておくつもりなのか? あと二日で〝ロスト〟してしまうというのに、何で平気なんだ? それに、火盗改は、自白のため平気で拷問をするって話じゃないか! 剣鬼郎を放っておけば、二日間の拷問が待っているんだぞ」
健一の脳裏に、剣鬼郎が二日間、自白を強要されて、海老責めや十露盤板に座らされての石抱き、逆さ吊り状態で鞭打ちなどの拷問を喰らう光景が浮かぶ。
仮想現実劇『剣鬼郎百番勝負』では、何度も剣鬼郎は敵の手中に落ち、拷問を受けるが、一度も挫けず、涼しい顔で耐えていた。
しかしこっちの江戸仮想現実では、相手は芝居ではなく、本気で拷問を加える!
二郎三郎は眉を寄せ、健一を見詰め返した。表情は平静で、健一のほうが何か、間違った台詞を吐いたのではないかと、思ったほどだ。
空を仰ぎ、二郎三郎は呑気そうな口調で返事をする。
「拷問? それはないなあ! 考えてみねえ。剣鬼郎は【遊客】だ。拷問するため、役人が近づいた瞬間、【遊客】の〝気迫〟が放射される。そうなったら、剣鬼郎に逃げるチャンスを与えるから、火盗改がやるわけないさ。二日間、番人に見張らせ、江戸から現実世界へ帰還できないよう、邪魔するのが精一杯だろう」
健一は二郎三郎の言葉に、少し安堵を覚えた。
「そ、そうか……拷問はないのか? でも、刑が確定すれば、火炙りの刑なんだろう?」
二郎三郎は頷き、言葉を続けた。
「俺が剣鬼郎の苦境に、何か行動を起こすべきだと、あんたは言うのだな? だからこうして、吉奴の所へ向かっている。俺の考えじゃ、吉奴が会得した【遊客】の気配を消し去る術が、何か鍵を握っていると思うからだ」
「しかし……しかし……!」
健一は言うべき言葉を失った。こんなとき、健一の語彙は極端に乏しくなる。二郎三郎は嘲笑うように顎を上げると、言葉を続けた。
「つまり、俺たちが火盗改の屋敷に押し入り、剣鬼郎を牢から出すために、一暴れすれば良いと、あんたは考えているんだろ? え、違うかね?」
「うう……」
健一は口篭る。何で永子は、黙ったままなんだ? 助け舟くらい、出してくれれば良いのに……。
二郎三郎は、ゆっくりと頭を左右に振った。
「それだけは断固、できねえな! 良いか、俺は江戸開闢【遊客】だ! 言わば、江戸の産みの親と言ってもいい。江戸の町は、江戸NPCが自分で処理すべきなんだ。その中には、江戸の法度――法律も含まれる。それを破るなんて、できない相談だ」
「しかし、剣鬼郎は火炙りになるって、億十郎が言っていたぞ!」
健一の口から、ようやく纏まった言葉が飛び出した。
二郎三郎は肩を竦めた。
「それがどうした? それが江戸の掟だから、仕方ない。第一、江戸で剣鬼郎がおっ死んだとしても、本体のほうは、傷一つなく、目覚めるんだぜ。死ぬのは、コピーの、仮想人格なんだぞ」
健一は、ぶるっと、首を振った。
「判らねえ……俺には判らねえよ……」
永子がやっと、健一に向かって口を開く。
「健一、仮想現実接続装置の説明書を、ちゃんと読んだの?」
「説明書……。ああ、読んだとも!」
永子は微かに頷く。
「それなら、知っているでしょう? 仮想現実において、どのような事態が起きても、現実の法律は適用されないのよ。仮想現実で殺されても、それは仮想現実を利用した、本人の責任とされているの。だって、本人の身体が、絶対に傷つかないのは、判り切っているでしょう? 夢を法律で罰するなど、誰にもできないわ!」
健一は、がっくりと、肩を落とした。
説得された格好になったが、健一は完全に納得したわけではなかった。
二郎三郎が宥めるような口調で、話し掛けてくる。
「まあ、そんなに剣鬼郎を助けたいんだったら、あんたが火盗改の屋敷に乗り込み、大暴れするんだな! あんただって【遊客】の一人だ。江戸NPCの侍、一人二人くらい、片手で捻り潰せるかもしれないぜ!」
健一は思い掛けない二郎三郎の軽口に、ぎょっとなって顔を挙げた。二郎三郎は、からかうような表情になって、くっくっと忍び笑いを洩らしている。
「俺は一切やるつもりはないが、他人がやるのは止めねえ! その結果を甘んじて受ける覚悟があるのなら……だが!」
「結果だって? どんな結果になるんだ?」
二郎三郎は、軽く頷く。
「まあ、江戸仮想現実所払い、という処罰が待っているな。二度と、この仮想現実に接続できねえよう、関所であんたのIDが、ブラック・リストに記載される処置がなされる。それでも、やるかね?」
二郎三郎が験すような目つきになる。
健一は絶句した。




