二
「お互い、【遊客】同士。遠慮は無用。ささ、もそっと近くに来られよ」
片岡外記は手招きをして、健一と永子を誘う。健一は、外記が【遊客】と判り、安堵感を憶えていた。
江戸NPCの、億十郎には、いつ「無礼者!」と激昂されて、腰の刀を抜き放たれるのではないか、という危うさを拭いきれない。しかし、相手が【遊客】なら、話は別だ。
二人は座敷に進み、外記と向かい合って座った。
健一は、外記をそっと観察する。
細面の顔に、目鼻立ちがちまちまと、整頓されて配置されている。年齢は、四十代後半に見えるが、【遊客】の年齢は当てにならない。もしかすると、健一より年下かもしれないのだ。
が、今は年上として接するのが、適当だろう。健一は外記の出方を待った。
外記は茶を喫し、唇を湿すと口火を切った。
「そちが健一氏か? そして、そちらの女性が、お永殿じゃな?」
二人は同時に頷いた。外記はにこやかな温顔を保ったまま、話を続けた。
「何でも、お二人は、この江戸で芝居の台本を作るつもりと聞かされておるが……」
問い掛ける口調に、早速、永子が膝を乗り出す。こんな場合、永子に任せたほうが良いと、健一は口を噤んだ。
「そうなんです! あたしたち、仮想体験劇を制作しているんです! 本当に、こちらの江戸は、本物っぽくて、驚きました」
永子の賛辞に、外記は擽ったそうな表情になった。誉められて嬉しくないはずが、ないのだろう。
億十郎が、わざとらしく咳払いをする。
「外記様、養生所についての報告で御座いますが……」
外記は「おお!」と小さく嘆声を上げ、ぽんと膝を一つ叩いた。
「養生所に収容されておる患者の中に、麻薬中毒患者らしき者が紛れ込んでおるとは、驚きじゃな! 養生所に連れてこられた者は、多分、氷山の一角と見て良い。恐らくは、江戸市中に、もっともっと、いるに違いない」
「外記様。なぜ、そのように思われます?」
億十郎が、両目を光らせ、質問した。外記はちょっと、間を置いて口を開く。
「麻薬患者というのは、自分では中々、養生所などに助けを求めたりはせぬもの。それより、少しでも多くの麻薬を、我が物にしたいという、我欲が強い! 養生所に連れてこられたというのは、まだ周囲に本人を心配する人間がおる証拠じゃ。それすらおらぬ、ただただ、麻薬の快楽に溺れる患者は、さらなる犯罪に走るであろうよ。これから、どのような変事が起きるか……想像するだに、恐ろしい」
座敷に、ずっしりと、重い沈黙が垂れ込めた。その沈黙を切り裂くように、億十郎が顔を上げ、口を開いた。
「外記様! 拙者は、これから、どのような行動を取れば良いか、お示し下さいませぬか? 拙者、いても立ってもおられませぬ!」
「うーむ……」
外記は答えあぐねているのか、長く溜息を吐き、腕を組んだ。
健一は、何を口にして良いのか、まるっきり判らない。何しろ、麻薬について、さっぱり知識がないのだ。
やがて、外記は腕組みを解いた。
「しかし奇妙じゃな。健一氏、そちは鞍家殿が、養生所で見た患者が、どのような麻薬に冒されておると口にしたか、耳にしておるかな?」
「確か、コカイン、ヘロイン、シャブの類──そう聞いていますが……」
「なるほどのう……。それらの麻薬、江戸では決して存在するはずのない、薬物なのだ。そちは、鞍家殿が名前を挙げた麻薬について、何か知っておるかな?」
健一は、外記の尋ねに、ゆっくりと首を横にした。
「いいえ、知りません。それは、危険な麻薬なのでしょうか?」
外記は、健一の反問に、表情を引き締める。
「危険も危険、恐ろしい薬物じゃ! 強い依存性を生じ、摂取した者は、時として命すら落とす。かつて現実世界では、先ほど名前が挙がった薬物のため、大勢の中毒患者が発生した。しかし江戸において、なぜコカイン、ヘロイン、シャブなどの薬物が蔓延ったのかが、不思議なのじゃ。原材料から精製するには、大掛かりな設備が必要なのじゃが……。はて、麻薬の売人は、どのように持ち込んだのであろう。関所では、厳しい監視がなされておるはずなのに……」
それまで黙っていた永子が、くっと顔を上げ、口を開いた。
「やはり【遊客】が持ち込んだ、とお考えですか?」
外記は片方の眉を、ぐいっと持ち上げ、頷いた。
「無論、他に考えようがあろうか? コカイン、ヘロイン、シャブなどの知識があるのは、【遊客】以外、有り得ぬ!」
そこが、肝心なのだな……。と、健一は密かに考えた。しかし【遊客】がなぜ、江戸に麻薬を持ち込んだのだろう?
江戸で麻薬を売り捌いたとして、その利益を現実世界へ持ち越すなど、考えられない。江戸の通貨は、あくまで仮想現実だけで通用するものだ。
何が目的なのだろう……。
各々、考え込んでいると、縁側から足音が聞こえ、外記の配下である若い侍が一人、姿を現した。
億十郎の兄、万十郎と同じ身分らしく、一礼して外記に向かって報告する。
「さきほど、鞍家二郎三郎と申す浪人者が、外記様にお目通り願いたいと、参上しておりますが、いかが致しましょう?」
外記は目を見開いた。
「鞍家殿が? 無論、会うとも! すぐ、こちらへ御案内を申し上げるのだ! 良いか、丁重に御案内するのだぞ!」
思いもかけない外記の態度に、若い侍はちょっと狼狽した様子を見せた。ただの浪人者に、外記が態度を改めたのが予想外だったのだろう。
侍が慌てて引き下がり、待つと鞍家二郎三郎が、大股に歩いて座敷に近づく。二郎三郎は外記を認め「やあ!」と無遠慮な大声を上げた。
外記は二郎三郎に対し、謙った態度で丁重に挨拶をする。
「鞍家殿には久方ぶりにお目に掛かり、拙者、欣快に存じ上げ……」
「よせよせ! お互い【遊客】じゃねえか! そんな堅苦しい挨拶は、無しにしようじゃないか!」
どっかりと座り込むと、二郎三郎は急き込んだ様子で口を開いた。
配下の者が、そそくさと茶の用意をすると、二郎三郎はぐいっと湯飲みを掴み、一口、がぶりと呑み込んだ。
ぐっと口を拭い、二郎三郎は真剣な表情になった。
「中毒患者の身元が割れた! 驚くなよ……」
目を光らせ、二郎三郎は一同を見渡す。全員、二郎三郎が何を言い出すのかと、息を呑んだ。
「中毒患者は、何と【遊客】だったんだ!」
二郎三郎の言葉に、座敷が凍り付いた!




