三
「まあ、落ち着きなよ。何も、俺は養生所が麻薬の巣窟だなどと、与太を言うつもりじゃあ、ないんだ」
鞍家二郎三郎は、激昂する小倉道庵を宥めるように両手を動かし、落ち着いた声音で話し掛けた。
道庵は、憤然としていたが、それでもどっかりと座り込んで、聞き入る姿勢を取る。
「し……しかし! 養生所に使われている一部の薬に麻薬成分が含まれているのは、確かだ。お主、本当に当所に疑いを掛けておるのではないのだな?」
二郎三郎は、否定の意味で、首を振った。
「ああ、疑いは持っていねえ」
道庵は上目がちに、二郎三郎に問い掛ける。
「どのような麻薬が蔓延っていると、お主は考える?」
二郎三郎は目を光らせ、頷いた。
「それはまだ、判らねえ。だが、あんたの所で、近ごろ妙な患者が増えていると、小耳に挟んだものだから、やってきたんだ。どうも、俺の印象では、麻薬中毒患者のように、思えるが?」
「ふむ?」
道庵は、完全に、疑いが掛けられているのではないと、判断したようだ。急速に、怒りが収まった。顔色が平常に戻り、呼吸は静まった。
健一は、億十郎に注意を戻した。
億十郎は、太い息を吐き出す。今まで道庵による【遊客】の怒りの爆発に、呼吸もできなかったらしい。
この中で江戸NPCは、大黒億十郎と、紗霧の二人だけのはず。紗霧からは【遊客】特有の、気迫がこれっきりも、感じられない。
しかし紗霧は、道庵の怒りの爆発にも、まるで平気だった。億十郎は、剣術の修行の成果によるものか、それでもかなり耐えられるほうだが、それでも道庵の怒りが続いている間は、顔を上げられずにいた。
じわじわと、紗霧に対して疑惑を育てた健一だったが、道庵の呟きに気を取られる。
「確かに……お主の言うとおり、近ごろ、おかしな患者が増えておる。陽気のせいばかりでは、なさそうだな」
道庵は、太い腕を組み合わせ、考え込んだ様子を見せた。
「どんな患者なんだ?」
二郎三郎の言葉に、道庵はぐい、と太い眉を持ち上げた。
「拙者があれやこれや説明するよりも、直に確かめたほうが早い! 従いてまいれ。患者の数人に、会わせよう」
健一は、永子と顔を見合わせた。
「大丈夫?」
永子は疑い深そうに、囁く。健一は、肩を竦めた。
「大丈夫──だと思いたいね」
麻薬患者との対面など、初めてである。何事も初めて、というのはあるが、こんな経験は、予想外だった。
二人のひそひそ話をよそに、道庵はさっさと立ち上がり、歩き出す。
二郎三郎、剣鬼郎、億十郎は頓着する様子も見せず、後に続いた。
紗霧は──ちょっと怯えが見える。
妙な娘だ。道庵の怒りには平気な顔をしていたのだが、今度は怖がっているようだ。
健一と永子は、座を立った。




