三
仮想現実時代劇『剣鬼郎百番勝負』を監督する、月村健一は、試写室の椅子でぐったりとなっていた身を起こして、顔を顰めた。
やや肥満気味の身体つき。ふっくらとした頬に、短く刈り上げた坊主頭。顔色は青黒く、長年の徹夜と、不規則な生活のせいで身動きは、何とも大儀そうだ。
試写室といっても、スクリーンがあるわけではなく、円形の部屋に、ぐるりと仮想現実接続装置が置かれているだけである。視聴者は、仮想現実の中で『剣鬼郎百番勝負』のエピソードを体験するのだ。
「ちょっとやり過ぎじゃないですか? あんな爆発に遭っても、傷一つなく生還するなんて、あまりに馬鹿馬鹿しい……」
健一の口調は、愚痴っぽい。
「まあ、いいんじゃないの? 視聴者は、剣鬼郎の人間離れした活躍を求めているんだから」
隣に座る、プロデューサーの御影永子は慰めるような口調で嗜めた。永子は、健一と対照的に、痩せすぎと思われるほどほっそりとしていて、髪の毛はきっちりと後頭部でまとめ、明るい色合いの眼鏡を架けている。
永子は視力矯正を受けていない。矯正手術を、受けつけない体質の患者は、ごく少数存在し、眼鏡は仮想現実が普及したこの時代でも、愛用されていた。
二人は『剣鬼郎百番勝負』を長年手掛け、仮想現実で配給する時代劇の中では、視聴者をがっちり掴んだ人気番組であった。
慰められて、健一はいよいよ意固地に文句を垂れる。
「あたしゃ、もう、コリゴリなんだ。いくら人気があるったって、もう、五年もこれを続けているんですよ……。視聴者だって、馬鹿じゃない。そろそろ、飽きられているとは、思いませんか?」
「そうかしらねえ」
永子は首を傾げる。
こんな会話が、新たなエピソードを完成させるたびに、繰り返されている。
仮想現実で体験する時代劇とは、昔々の、スクリーンに映写される、映画や、テレビ放送とは、根本的に違っている。
視聴者は、文字通り、エピソードを体験するのだ。
創り上げられたシナリオに沿い、各々気に入った登場人物に自分を投影し『剣鬼郎百番勝負』の世界を楽しむ。
時には主人公、村雨剣鬼郎に身を移し、胸のすく大立ち回りや、悪漢との一騎打ち。江戸町人たちの賞賛を浴びたりする。
あるいは剣鬼郎に恋する町娘になって、はらはらどきどきの冒険を繰り広げたり、また、剣鬼郎の取り巻きとなって、主人公の活躍を安全な場所から見守ったりするのだ。
剣鬼郎は美貌の剣士で、無敵の強さを誇り、気迫は空前絶後に物凄く、一睨みで後ろ暗いところのある悪党を睨み殺す。
時代劇を愛する視聴者の、圧倒的な支持を受け、配給が開始されてからというもの、益々人気は高まってきた……はずであった。
が、監督の言葉どおり、人気にも翳りが感じられる。徐々にではあるが、新たな視聴者を獲得するのが、難しくなってきたのだ。
健一は思い切って提案をしてみた。
「ねえ、御影さん。そろそろ、方向性を変えてはどうですか?」
永子は不安な顔つきになった。
「方向性って、何よ?」
「リアル指向ですよ! もっと、写実的な描写を、あたしゃ、やってみたいんだ……」
「ああ」
永子は生返事をした。永子の顔には「判っているわよ」という表情が浮かんでいる。
「あんたの言うのは、別な江戸仮想現実で、ロケしたいって話じゃないの?」
永子の問い掛けに、健一は大きく頷く。
「そうです。時代劇専門仮想現実じゃなくて、不特定多数参加の、江戸仮想現実を使うんです。ちゃんと、時代考証された、リアルな江戸仮想現実ってのが、他にも一杯、存在するじゃないですか?」
永子は眉を顰め、考え込む表情になった。
「あんたの希望は判るけど、それは難しいかもよ。最も時代考証が正しいとされる、東京都公認の江戸仮想現実じゃ、おいそれと接続の許可さえ得られないって、話じゃないの」
仮想現実が普及して、無数の江戸仮想現実が創設された。時代考証についても、厳格なものから、かなり好い加減な仮想現実もあり、二人が主に利用しているのは、時代劇を専門に撮影できる、江戸仮想現実である。
この江戸仮想現実は、元々映画会社が創設したもので、エキストラの替わりにNPCが町人、農民、侍として生活し、監督の指示のもと、ありとあらゆる要求に応える。
しかしあまり生な反応では困るので、ある一定以上の自由意志は持ち合わせていない。
大袈裟に驚いたり、怒ったり、喜んだりするが、通常の人間に比べ、微妙な感情の襞というものを表すのは苦手である。そういった場面では、普通の役者が仮想現実に登場し、重要な役割を担う。
永子が口にした「東京都公認江戸仮想現実」とは、隅から隅まで時代考証の専門家が設定した、江戸仮想現実である。
一人一人のNPCには、厳密に調査されたバック・ボーンが存在し、かつて存在が確実に証明された、実在の町人・武士・農民などが生活している。
従って、この仮想現実に接続して、生活を体験するのさえ、極めて厳重な監視の下行わなければならない。
もし、この仮想現実で、ほんの少しでも、史実と違う行動や、言動をしたら、即座に退場が勧告され、従わなければ、強制的に接続が切断されるのだ。
「時代劇を撮影したいんですが」などと提案したら、絶対に接続は許可されないだろう。
健一は、永子に向かい、わざと狡猾そうな表情を作って話し掛けた。健一の態度に、永子はちょっと、身構える態勢になる。
「それがねえ……うってつけの江戸仮想現実があるんですよ……」
「何よ……。気味悪いわね」
「永代征夷大将軍江戸仮想現実って、御存知ですか?」
永子は、黙って頭を振る。
「たった一人の、環境デザイナーが創設した江戸仮想現実ってのが、あるらしいんです。そこじゃ、無制限に近く、プレイヤー……おっと、そこじゃ【遊客】って呼んでますがね。とにかく、誰でも【遊客】として接続できるだけじゃなく、あっと驚くほどリアルで、NPCも本物の人間と同じように、考え、行動する江戸仮想現実ってのが、あるらしいんですよ」
「へえ」
永子は、少しは興味を湧かせたらしい。無意識だろうが、上体を健一に向けて傾け、拝聴する姿勢になる。
唇を舐め、健一に尋ねる。
「どういう方法で、撮影するつもりなの?」
健一は即答した。
「現地のNPCを採用するんです! 即興で台詞をつけて、自由に行動させ、あたしらはその場でロケして、記録する……。きっと、誰も思ってみてもない、リアルな時代劇になると思うんですよ」
「なるほどねえ」
永子は天井を見上げた。永子の反応に、脈ありと見た健一は希望を持った。
「それで、これまでの『剣鬼郎百番勝負』は、どうするの?」
健一は肩を竦めた。
「今まで、結構、撮り貯めたエピソードがありますからね。二、三週は、保ちますよ。それに、主役の剣鬼郎も〝そろそろ休みが欲しいなあ〟なんて、ほざいていますから、ちょうど良い機会でしょう。仮想現実接続制限の、三日間で一気に撮影して、後でゆっくり編集すれば、やれまさあ!」
永子は頷いた。決断したらしい。
「判ったわ。あなたはシナリオを準備して! ああ、即興で台詞をつけたりするから、厳密なのは要らないわ。大まかなプロットで充分。それで、あなたに何か腹案はあるの?」
健一は勢い良く、頷く。
「『剣鬼郎百番勝負』用に作っていたプロットの中から、現地で使えそうなのを見繕っておきます」
永子は薄笑いを浮かべた。
「全く……ずっと前から、あたしに言おう、言おうとしてたみたいじゃないの」
健一はとぼけて見せた。
「いけませんかね? 新たな視聴者を獲得したいってのは、あんたも同じはずだ」
永子は顔を仰向け、声を上げて笑った。
商談成立である。