八
芝居が終わり、客は続々と外へと帰って行く。村雨座の出口では、剣鬼郎ほか、座員が一同に並んで、帰宅する客を見送っている。
夜空には、満面の星空。夜道は暗い。客たちには、村雨座から、提灯が貸し出された。
「ああして提灯を貸し出して、ちゃんと返ってくるのかい?」
剣鬼郎と一緒に後片付けを手伝っている源三に尋ねると、相手はからっと笑った。
「良いので御座いますよ。たとえ返して頂けなくとも、提灯をぶら提げて歩いてもらえば、村雨座の宣伝になりますし」
そんなものかと、健一は納得した。提灯には『村雨座』と派手に墨書きされている。
億十郎は、健一に向かって一礼した。
「では拙者は、これにて、帰宅いたす。後ほど、貴殿の仕事について、お話いたそう」
折り目正しく挨拶して、億十郎は巨体を闇に運んだ。源三が提灯を貸し出そうと申し出るが、億十郎は「何、夜道には慣れて申す」と断った。
健一は、億十郎の慇懃さに圧倒される思いだった。本物の武士という〝種族〟は、堅苦しいほど礼儀正しい。
実を言うと、億十郎のように、部屋住みの身分では、礼儀正しくないと、後々困る。なぜなら、部屋住みが今の生活から脱出を図るには、礼儀正しいという評判が絶対条件なのだ。
つまり、他家への養子である。養子縁組を成功させるには、礼儀正しいという評価がないと、上手く行かない。
養子になれなくとも、剣術、もしくは学問に秀でていれば、講武所や学問所などで師範として迎えられるかもしれない。だが、そのような抜擢は、極めて稀な例外である。そのため、常日頃から、武士は礼儀正しくあるべきと、躾けられる。
客が帰って、芝居小屋に静寂が戻ってくる。聞こえるのは、後片付けの音ばかり。
健一は、そろそろ現実世界へ戻って、懸案である、仮想体験劇用のプロットを纏めようかと考えていた。仮想現実には、三日間は接続し続けられるが、現実の肉体は、そろそろ休養を欲しているはずだ。
源三が客席の隅で、小腰を屈めて誰かに話し掛けている。
「もうし、お客様。芝居は終了で御座います。お足下も暗く、お帰りになられたほうが、よろしう御座いますよ……」
源三の前に、客が座り込み、がっくりと首を垂れていた。もしかしたら、眠っているのかもしれない。
健一は好奇心を刺激され、近寄った。
永子と剣鬼郎も、健一の動きに気付き、近寄ってくる。
「どうしたの?」
永子に尋ねられ、健一は「判らん」と首を左右にした。
「どうやら、客が居残っているようだが」
源三は何か、異変を感じたようだ。
「もし、お客様?」
そっと腕を伸ばし、座り込んでいる客の肩を叩く。
ゆらり……、と客は上体を横に傾け、そのまま崩れ落ちた。
仰向けになった顔を見ると、若い男のようだ。身なりはちゃんとしているが、髷は結わず、蓬髪にしている。
「お客様っ!」
源三の声が、甲高く響く。
健一と永子、剣鬼郎の三人は素早くお互いの顔を見合わせ、源三の下へ駆け寄った。
「どうしたっ!」
剣鬼郎が大声を上げた。
源三が剣鬼郎を見上げ、ゆっくりと頭を振った。顔色は真っ青で、冷や汗が噴き出ている。
剣鬼郎は膝を突き、若い男の側に屈み込む。首筋を触り、瞼を引っくり返す。
「死んでいる……。こいつは、死体だ!」
どこかで、出演者の女優が、悲鳴を上げていた。




