七
芝居の興奮に、観客席からの拍手は鳴り止まない。剣鬼郎は、舞台中央に陣取り、壮んに手を振ったり、お辞儀を繰り返している。
観客席から、娘たちが飛び出し、手に手に花束を抱え群がった。剣鬼郎は得意満面で、娘たちから花束を受け取り、あげくに、投げキッスなどをしている。
そろりと舞台袖から、健一は客席へ移動し、億十郎に近寄った。億十郎は健一を見て、苦く笑い掛けた。
「健一殿。拙者が間違っていたようで御座るな」
「そんな……」
健一が慌てて手を振ると、億十郎は深く頷いた。
「間違いは、間違いで御座る! どうやら、拙者の一人呑み込みという、はなはだしき勘違いであろう……。いや、【遊客】の方々は、我ら江戸の者とは色々と違いが御座るが、あのような芝居を楽しんでおるとは驚き至極で御座る。健一殿には、御迷惑を掛けた」
しきりと、億十郎は恐縮している。どうやら、大黒億十郎という人物は、健一が想像するより、純情らしい。
億十郎は、ちらっと健一を見上げ、提案した。
「それで、お詫びと申しては何であるが、拙者、健一殿の仕事をお請け申す」
「はあっ?」
健一は、最初、億十郎が何を言い出したのか、さっぱり理解できなかった。億十郎は俯きながら、もじもじしている。
ああ……! 健一は了解した。
「つまり、私共の芝居に出演して頂けると……そう考えてよろしいので?」
億十郎は、そっぽを向く。顔が赤い。
「拙者のような、芝居の素人でよろしい、と健一殿が申されるのなら――で御座るが」
「もちろんです!」
健一は勢い込んだ。億十郎の気が変わらぬうちに、と、健一は懐を弄る。
手には、剣鬼郎から渡された小判がある。
「これは着手金として、お預かり下さい!」
億十郎は、目をぐっと見開き、仰け反った。
「飛んでも御座らぬ! 拙者、一文も受け取るつもりは、一切、御座らん! 健一殿の依頼を請けるは、拙者のお詫びと、修行のつもりで御座る。その金は、お納めなされよ!」
「いや、どうしても受け取って貰いたい!」
健一と、億十郎の間で、金を受け取れ、いや受け取れぬと押し問答になる。二人の争いに、永子が近づき、割り込んだ。
「何やってんの?」
「実は……」と健一が経緯を説明した。
永子はにっこりと笑顔になり、億十郎に向かって口を開いた。
「億十郎様。お話は承りました。それではお金は、今はお預かりします。でも、後で、億十郎様が御納得なさるよう、お礼を申し上げますわ。それでよろしう、御座いますね?」
億十郎は頷いた。
「それで結構! もう、金の話は、拙者、一言も耳にしたくは御座らん!」
健一は心配になって、永子に耳打ちした。
「おい、どうするつもりなんだ?」
「任せなさいな。あたしは、こういう交渉には、慣れているんだから。あんたは、仮想体験劇の、プロットを練ってればいいのよ!」
永子の主張に、健一は首を竦めた。永子の言うとおり、こういう交渉事は、健一の大の苦手だ。永子はプロデューサーらしく、何か上手い考えがあるんだろう。
「それより、舞台を御覧なさい。剣鬼郎が、何かやらかすつもりよ!」
永子が指差し、健一と億十郎は、舞台を見上げた。
スポットライトが舞台を照らし出し、剣鬼郎が観客席の騒ぎが静まるのを、じっと待ち受けている。
やがて拍手が疎らになり、期待が高まった。剣鬼郎が何か言い出すのを、全員が固唾を呑んで待っている。
「お客様の皆々様方……」
剣鬼郎は静かに語り出した。
「我が村雨一座は、新たな芝居を始めます。もちろん、主演は、この村雨剣鬼郎!」
何だと……? 健一は身を乗り出した。
「つきましては、拙者の相手役として、一人の娘を選抜いたします!」
剣鬼郎の言葉に、観客席から、怒涛の如く歓声が巻き起こる。
舞台に群がっていた娘たちは、ぴょんぴょん、小刻みに飛び上がって、今の通達をお互い、確認しあっている。
「さあ、我こそと思わん娘は、村雨座に集わん! 明日、この村雨座で、拙者、剣鬼郎の相手役を選抜いたす!」
健一は、呆れ返った。




