六
江戸時代の芝居は、たいてい、朝方から昼間に限って上演された。理由は、当時の照明にある。何しろ百匁蝋燭という最も大きな蝋燭でも、やっと人の顔が判別できるか、どうか、という明かりしかない。
当時、役者の顔を照らすために〝面{つら}明かり〟という、棒の先に蝋燭を点したものを使ったそうだ。そのくらい、当時の江戸は明かりに乏しい。
幕末に発明された無尽燈は、手許を明るくする役目であり、劇場向きではない。
しかし村雨座では、夜間の興行が可能である。江戸の歌舞伎座などでは考えられない、照明を利用しているのだ。
もちろん、電気の照明ではない。
江戸仮想現実には厳しい掟があって、江戸時代に普及していない技術、あるいは実現不可能な技術に基づいたものは、御法度とされる。
そこで村雨座が採用したのは、〝ライムライト〟である。
チャップリンの映画の題名として有名だが、電気を利用しない照明としては、最も明るい光量を誇る。
原理は、酸素と水素の混合気体に点火した熱(二千八百度の高熱である!)を石灰に通すときに発生する、熱放射光を利用する。酸素と水素は、当時の素朴な化学レベルでも、遊離できる。
強い熱を使うので、取り扱いには充分注意する必要があるが、【遊客】自ら照明係として点灯する。
ぱっとライムライトの光が舞台を照らし出すと、観客の中から「ああっ!」とか「おおっ!」とかいう、驚きの声が上がる。江戸NPCにとっては、信じられないほどの、明るさなのだ。
剣鬼郎は大袈裟な演技で、『剣鬼郎百番勝負』のエピソードを演じている。浅倉玄蕃頭を追い詰める場面まで舞台は順調に進み、観客はストーリーに没頭している。
「浅倉玄蕃頭、貴様の御公儀転覆の企みは、明白になったぞ! 最早、逃れぬと知れ! 己の罪を改悛し、今、この場で、潔く腹を掻っ捌き、武士らしく最後を遂げるか、それとも、この村雨剣鬼郎の刀の露と消えるか、さあ、とくと覚悟を決めよ!」
剣鬼郎の声は、観客席に朗々と響き渡った。
対する浅倉玄蕃頭の役者は、ぐっと剣鬼郎を睨み返し、最後の足掻きに、積み重なった武器弾薬に火を押し付けた!
効果音係が、ここぞとばかりに大太鼓をどどーんっ! と打ちつけ、爆発の音響を轟かせる。
舞台下では、爆発の煙を水蒸気で表現する。効果は抜群で、袖で見守っている健一の目にも、本物に見えた。水蒸気を噴出する装置は、剣鬼郎の家で下働きをしている、源三が操作した。こんな仕事は、何度も体験しているのか、慣れた手つきである。
濛々と上がる煙の中から、剣鬼郎がお園役の娘と共に現われると、観客から熱狂的な拍手が巻き起こった。剣鬼郎は気持ち良さげに、哄笑を上げていた。
さあ、ここからだ……!
健一は固唾を呑んだ。
総てが終わると、それまで出演していた役者たちが舞台に飛び出し、剣鬼郎を中心に、横一列に並んだ。
全員手を繋ぎ合い、笑顔満面となって歌い出す。
♪これで『剣鬼郎百番勝負』はお終いです!
♪お客様、お楽しみ頂けましたでしょうか?
♪公儀転覆なんて、ありません!
♪みんな、みんな、ただのお芝居……!
♪そうです! 一抹の夢、幻で御座います。
健一は、観客席中央に陣取る、億十郎を見守った。
億十郎は、ぽかんと大口を開け、歌い踊る剣鬼郎を眺めていた。億十郎の瞳には、それまであった敵意が、すっかり、消えているようだった。
うまく行った……かもしれない。
健一は、ほっと安堵の息を吐いた。




