四
怒りに燃えた億十郎に、健一は襟首を掴み上げられ、引っ立てられるように、外へと飛び出した。億十郎の背中を、永子が慌てて追い掛け、叫びかける。
「億十郎様! ど、どこへいらっしゃるおつもりなのです?」
「ん?」
億十郎は初めて気がついた、というように、きょときょとと周囲を見回した。見掛けによらず、慌て者らしい。
しかし、手にした企画書に目をやり、健一に向かって喚いた。
「ここに村雨剣鬼郎という御仁が、御公儀転覆計画を阻止すべく、探索を開始するとあるな? まず、村雨剣鬼郎とか申す浪人に会って、詳しい話を承ろう」
健一と永子は、思わず顔を見合わせた。健一は「もしかすると、剣鬼郎が話を合わせてくれるかも」と、淡い希望を持った。
永子も同じ結論に達したらしく、激しく頷いて、賛意を表した。
「そうですとも! 剣鬼郎さんが、詳しい話をしてくれますよ!」
「ふむ。それでは、二人とも、案内せよ!」
健一と永子は「へいっ!」と町人らしく返事して、歩き出す。
永子が近寄り、囁いた。
「どうすんの? 剣鬼郎は、あたしたちと別行動をとるって、あの時、別れたじゃない?」
「確か、剣鬼郎の家には、下働きの夫婦がいたんじゃないか? 奴らに聞いてみれば、何か判るかもしれない」
「あっ、そうか……!」
永子は安堵の表情を浮かべた。
剣鬼郎の住んでいる家は、浪人にしては広く、下働きが住み込みで働いているのだ。
急ぎ足になって、二人は浅草の、剣鬼郎宅を目指した。
ようやく剣鬼郎の自宅に辿り着いたときには、夕暮れに近くなっていた。
江戸の町は、どこへ行くにも歩きである。二人とも【遊客】であるから、体力は普通の江戸NPCに比べ持続力があるが、慣れない徒歩に、ぐったりと疲労感を感じていた。
億十郎は剣客らしく、平気な顔をしている。いや、江戸の人間らしく、青山から浅草程度の歩きでは、ちょっとした散歩くらいとしか感じないのだろう。
「ここが村雨殿の、お住まいで御座るか?」
健一に確かめると、億十郎は、戸口に向かって、声を張り上げた。
「頼もう──っ!」
「はあ──い……」
どたどたと足音がして、住み込みの下働きの、源三という中年の町人が顔を出した。着流しに前掛けをし、襷掛けという出で立ちである。
健一を見て、ぺこりと頭を下げる。背後に立っている億十郎を見て、健一に向かって尋ねるような表情になる。
億十郎が口を開く。
「拙者、大黒億十郎と申す、部屋住みの若輩者で御座る。こちらにいらっしゃる、村雨剣鬼郎殿に、少々お話を伺いたく、罷り越して御座る! 是非とも、お願いいたす!」
「はあはあ……。しかし、剣鬼郎様は、生憎と、他行いたしておりまして、留守になさっております」
源三の返答に、億十郎はぐっと唇を噛みしめた。畳み掛けるように、言葉を重ねる。
「それでは、村雨殿の行く先を、御教示願いたい!」
源三は、健一に向かって「よろしいので?」というような表情を浮かべた。
健一が頷くと、「では」と源三は億十郎に顔を戻し、口を開いた。
「剣鬼郎様は、村雨座にいらっしておられます」
「村雨座? そりゃ、何だい?」
健一の言葉に、源三は大袈裟に驚いて見せた。
「御存知ないので御座いますか? 今、江戸で評判の芝居一座で御座いますよ。剣鬼郎様が肝煎りになって、毎月、新しい芝居を上演なさっておられます」
健一が億十郎を振り返ると、億十郎はぽん、と手の平を拳で叩いた。
「そうか! あの村雨座が、剣鬼郎殿の関係なのだな? いや、初耳で御座る」
どうやら知らないのは、健一と永子だけらしい。健一は、念のため、源三に詳しく聞いてみた。
「その村雨座で、どんな芝居をやっているんだい?」
源三は顔を綻ばせた。
「もちろん、剣鬼郎様が主人公となった、お芝居で御座いますよ。剣鬼郎様が悪人をばった、ばったとやっつける筋で、まあ、江戸町人たちの、大評判で御座います!」
健一と永子は、顔を見合わせた。健一の胸に、何か悪い予感が、黒雲のように湧き上がる。
剣鬼郎が悪人を、ばったばったとやっつける……。どう考えても、『剣鬼郎百番勝負』そっくりではないか!




