一
二郎三郎は、同心を伴い、猛然と番屋へと急行して行った。
後に残された健一と、永子、剣鬼郎は、二郎三郎が口にした部屋住みの、大黒億十郎に面会するため、外へ出た。
江戸には、剣鬼郎が住まいを持っている。ひとまず、剣鬼郎の住まいに落ち着き、人をやって、大黒億十郎のもとへ、手紙を出す。
剣鬼郎の住まいは、江戸の、浅草界隈にある。身分は浪人なので、玄関はないが、中々立派な家作である。
江戸では、誰を訪ねるにも、まず手紙を出して訪問の意思を伝えなくてはならない。現実世界で、電話を掛けて「これから行くよ」と連絡するようなものだ。
ほどなく億十郎のほうから、「お待ち申し上げております」という返事があった。返事を伝えたのは、手紙を届けた小者である。返事は口頭で伝えてくる。
実を言うと、小者の手には、億十郎の返書があったが、健一たちは返書の文字が、一文字も読み解けない。何しろお家流の、草書体で書かれているからだ。
江戸時代の私的な文書は、まず草書体で書かれていると思って、間違いない。くねくねとした、流れるような文字は、健一にとっては暗号だ。
三人が揃って外へ出ると、なぜか剣鬼郎が別行動をとると言い出した。
「思いついたんだ! こっちで仮想現実劇を撮影するには、もう一人、出演者を探さなきゃならねえ!」
「もう一人の出演者? 誰だ?」
剣鬼郎はにやりと笑った。
「忘れちゃいないか? 時代劇には、ヒロインが必要だぜ!」
「へえ?」
健一と永子は、剣鬼郎の思いもかけない言葉に、顔を見合わせた。
「しかしヒロインを探すったって、どう探すんだ? 剣鬼郎、あんたが自分で探すと?」
「そうさ!」
剣鬼郎は胸を張った。
「任せてくれ! 当ては、あるんだ」
肩を揺すり、とっとと一人で歩き出す。剣鬼郎の背中を見送った健一は、すっかり取り残された気分で、永子に話し掛けた。
「あいつ、何を考えているんだ……。まったく勝手な奴だ……」
「いいじゃないの! 剣鬼郎がいないうちに、あたしたちは大黒億十郎という人に、出演交渉を済ませましょうよ!」
ぽん、と永子は健一の肩を叩き、歩き出す。永子と肩を並べて歩き出す健一は、不機嫌であった。
大黒億十郎の家を目指して歩き出した健一と、永子を、江戸町人が物珍しげに見送る。じろじろと見られ、健一と永子は、ひそひそと囁きあった。
「何だろう、やたら見られているな」
「あたし、変な格好しているかしら?」
二人は知らないが、江戸の町で、男女が肩を並べて連れ立つなど、有り得ない。どうしても男女が同じ目的地を目指すときは、女が先に立ち、少し遅れて男が歩くのが普通だ。
男女が肩を並べて歩く光景は、江戸町人にとっては、ひどく異様な光景なのだ。
大黒億十郎の住まいは、青山にあった。今では青山百人町として、地名に残っている拝領屋敷は、細長い敷地に並んで建てられている。
買い求めた江戸切絵図を頼りに、大黒家の場所をようやく探し当てたときは、昼も遅くなっていた。二人は大黒家の入口に立ち、健一が声を張り上げる。
「御免下さい……。大黒様のお屋敷は、ここで御座いましょうか?」
健一は町人姿なので、時代劇で覚えた台詞を使ってみた。奥から人の気配がして、足音が近づいた。
姿を現したのは、若い武家の女である。身につけている着物は、健一の目から見ても、粗末な生地で、暮らし向きの厳しさを現している。年恰好から見て、この家の主婦であろう。
女は膝をつき「どちら様でしょう」と健一と永子を等分に見詰めて答えた。
健一と永子は、顔を見合わせた。
どっちが答える?
永子が前へ出て、口を開く。
「わたくし、御影屋のお永と申す者で御座います。こちらの、大黒億十郎様にご面会願いたく、参上いたしました」
うまい! と健一は思った。永子もまた、自分の役割を心得て、時代劇風の受け答えをしている。
「少々お待ちを」
女は、すっと立ち上がり、再び奥へ消えた。
足音がまた聞こえた。今度は、男のものだった。
「拙者が大黒億十郎で御座る」
姿を現した大黒億十郎の姿に、健一は思わず息を呑んだ。




