三
遊郭に近づくと、客家二郎三郎と、女将の会話が耳に入ってくる。
「何で、俺を呼んだ? 御免だぜ、こんなゴタゴタ」
二郎三郎の口調は、不満で溢れている。答える女将の声は、粘りつくようだ。
「だって、どうしてもあんたを呼べって、妓が言うんだもの。頼むよ、鞍家の旦那!」
「けっ!」
二郎三郎は顔を背けた。背けた視線の先に、剣鬼郎がいた。
近づいてくる剣鬼郎を、二郎三郎は瞬時に【遊客】と認めたようだ。
【遊客】は【遊客】を感知する。これは【遊客】のみに持たされた能力で、近くに【遊客】がいれば、すぐに感知できる。
どちらも背が高い。
二郎三郎は、五尺八寸ほどで、現実世界ならごく普通の体格だが、江戸仮想現実では、かなりの大柄となる。
なにしろ、江戸時代において、男性の平均身長が五尺そこそこ。つまり、百五十センチしかなく、女性はさらに小さい。江戸仮想現実は、江戸NPCの体格も忠実に再現しているので、まるで巨人が立っているように見える。
剣鬼郎はさらに大柄で、身長は六尺を越える。本当の剣鬼郎は、二郎三郎と同じくらいだが、仮想現実では、頭、二つ分は飛び抜けている。
「何だね、あんた。俺は忙しい。話があるなら、後にしてくれないか」
二郎三郎が仏頂面で口を開いた。剣鬼郎は笑顔を保ったまま、返答する。
「俺は、村雨剣鬼郎という、浪人だ。ちょっと小耳に挟んで、良かったら助力したいと思ったんだ」
「村雨剣鬼郎……」
二郎三郎の表情が、ちょっと動いた。どうやら、名前に聞き覚えがあったらしい。
じろじろと、剣鬼郎の巨体を、上から下まで眺めて頷く。
「ふむ。あんた【遊客】として、武術のインストールは済ませているかね?」
仮想現実に接続する【遊客】で、剣鬼郎のように武士の姿を選んだ者は、たいてい、武術の知識を上書きして接続している。何の鍛錬もなく、初めから武術の達人として活躍するためだ。
もちろん、現実世界に知識は持ち越せないから、仮想現実世界だけの、武術の達人であるが。
剣鬼郎は、ポンと胸を叩いた。
「無論だ! 俺は小野派一刀流だ!」
二郎三郎は、剣鬼郎の背後で控えている健一と永子を、いかにも胡散臭げに眺めた。
「そこの二人は?」
健一と永子は、顔を見合わせた。健一はもとより、永子も武術など、インストールしていない。
剣鬼郎は肩を竦めた。
「二人とも【遊客】だ。邪魔にはならんよ」
「ふむ。まあ、良いだろう。これから乗り込むが、余計な真似はするなよ」
二郎三郎は短く答えると、大股で入口を潜る。上がり框に立つと、二階の階段を見上げた。そのまま、土足で入り込む。
剣鬼郎、健一、永子の順で階段を上がった。
内部は薄暗い。小部屋が多く、天井は低く、廊下は狭い。
明らかに宿泊のためではなく、客が女と過ごすためのものだ。快適性などは一切、考慮されてはいない。白粉の匂いと女の体臭が、ぷんと辺りに籠もっている。
健一の前を歩く剣鬼郎は見るからに窮屈で、頭が天井に擦れそうだ。
折れ曲がった廊下を進むと、前方から低い話し声が聞こえてきた。一人は男で、一人は女だ。
「ねえ、好い加減、あちしを放しておくれよ……。こんな真似をして、ただで済むとお思いかえ?」
「煩いっ! もう、俺には、何もないんだ! 後は、華々しく、死ぬしかない! おめえも、道連れだぜ……」
男の声には、切迫感が溢れている。応対する女の声には、うんざりした様子があった。恐怖感は、微塵も感じない。
二郎三郎はからりと、目の前の障子を引き開けた。二郎三郎と、剣鬼郎二人の身体越しに、健一は部屋の中を透かし見た。
四畳半ほどの部屋に、枕障子が立てかけられ、行灯と布団が延べられている。部屋の隅に、薄汚れた風体の男が蹲り、側に遊女が横座りになっていた。男の手には匕首が握られ、切っ先が遊女の首元に擬されていた。
脅迫されている遊女は、ほっそりとした身体つきで、目は細く吊り上がって、鈴木春信の浮世絵から抜け出したような、色っぽさだった。
なるほど、こんな好い女なら、男が見境をなくすのも、もっともだと健一は感想を持った。




