二
ざわめきに振り返ると、ぞろぞろと群衆が従いてくる。表情には、剥き出しの好奇心が溢れていた。
多分、村雨剣鬼郎と、鞍家二郎三郎という二人が顔を合わせる場面に立ち会いたいのだろう。どうやら、二人は、相当の有名人であるようだ。
「ね、今の場面、撮っておいた?」
永子が身を寄せ、囁く。健一は大きく頷いた。
「もちろん! バッチリ、撮影しておいたから、後で色々使えると思うよ!」
「さすがね」
永子は顔を綻ばせた。
仮想現実で「撮影」するのには、カメラなどの機材は、何一つ必要ない。ただ居合わせた瞬間に、心の中で「データ取得」と思い浮かべれば、目に入る総ての景色は、仮想現実の記憶領域に記録されるのだ。
人々に取り囲まれた剣鬼郎の姿を、健一は記録し、後で加工するつもりなのだ。
すべて立体映像となって記録されているから、剣鬼郎の姿を、他の、これから主人公役に据えるつもりの、江戸NPCに差し替えたり、人々の台詞を、音声変換ソフトで変更するなど、いつもの作業だ。
この場合、健一と永子、二人は同時に記録している。健一と永子の位置から見える景色には微妙な違いが出るので、後で比較して、ベスト・アングルをセッティングするときに見比べられる。
本来なら、撮影するためには、最低五人は必要だ。三方からと、上下の高低差。アップに使うために一人で、五人の記録を使う。
が、二人でも何とかなる。人数の少ない分は、ドキュメンタリー風に演出して、リアル感を出すつもりだ。
男の子が案内するのは、品川宿の、遊郭が立ち並ぶ一角だった。
品川には、遊郭が多い。東海道の入口という立地条件もあるが、何より【遊客】が最初に立ち寄る場所なので、関所で支給された百両という大金を目当てに、遊女や、客の主人が手薬煉を引いている。
が、昼間に見る品川遊郭は、どうにも間の抜けた光景で、夜なら色っぽい街路も、真昼の光では、単なる田舎の風景としか、健一には映らない。
本来なら閑散としている場所だが、今は騒然としている。あちこちの角から、町人が顔を出し、二階の窓には遊女たちが身を乗り出し、皆が同じ方向を注視している。
視線の先には、一軒の遊郭があった。
遊郭の出入口に、一人の武士が立ち、鋭い視線で二階を見上げている。武士の身に着けているのは、黒地に白く、伊呂波四十八文字を染め抜いた着流しで、武士の側には、四十がらみの中年女が、不機嫌そうな表情で立っている。
案内した男の子が「あれが鞍家二郎三郎のおじちゃんだよ!」と指差した。袖を掴んでいる剣鬼郎を見上げ、片手を上げた。
「約束の駄賃をおくれよ!」
剣鬼郎は懐から数枚の銭を掴み出すと、子供の掌に載せた。男の子は「毎度ありい!」と叫んで、走り去った。
遊郭の前には、見物人と思しき町人が、ぐるりと輪を作っている。
何だか、声を掛けるのが躊躇わせる、物々しい雰囲気であった。三人は、無言で顔を見合わせた。
「どうする?」
健一が口を開くと、永子が頷く。
「ちょっと、様子を聞いてくる!」
言うなり、素早く小走りになり、遊郭を取り囲んでいる輪の中に入り込む。あちこち動き回り、伸び上がっている町人たちに、事情を聞いている。
こんな場合、永子は実に役に立つ。
ほどなく戻ってきて、報告した。
「何でも、あの遊郭に血迷った客が立て篭もって、妓{おんな}を人質にしているらしいわ! どうやら、遊郭の遊女に入れ揚げて素っ空漢になって、自棄になったみたいね。妓と無理心中するって、喚いているらしいわ!」
一気に事情を説明すると、遊郭を振り返った。
「それであそこに立っている鞍家二郎三郎って【遊客】が乗り出した、というわけ。隣に立っているのは、遊郭の女将よ。妓の生き死になんかお構いなしだけど、立て篭もった客が、火付けをしないか、ハラハラしているらしいわ」
「ふうむ。中々、剣呑な場面らしいな」
剣鬼郎は面白そうに呟いた。懐手をして、のっそりと歩き出す。健一は慌てて、剣鬼郎の背中に叫ぶ。
「剣鬼郎! 何をするつもりだ?」
剣鬼郎は、ちらっと健一を振り向き、にたっと笑い掛けた。
「何、ちょっと俺も、鞍家二郎三郎殿の、お手伝いをしようと思ってね!」
肩を揺すり、遊郭に向かって足を進める。健一は舌打ちして、その後に続いた。
何をするつもりか判らないが、剣鬼郎はすっかり、仮想体験劇『剣鬼郎百番勝負』の一エピソードに入り込んだつもりになっている。
これは、劇じゃない。
しかし現実では──ない。
ああ、何とも面倒臭い事態だ!




