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第一話 憧れの少女に気絶をさせられて

 ことの始まりは今より少し前。

 今年度の授業を修了し、新たな学期への期待が野に生えはじめた土筆(つくし)のごとく膨らんでくる時期だった。


 一日の大半を過ごさなければならない学業からしばし解放されて、少し気が緩んでいたのだろうか。

 今日も俺は天神 景(あまがみ けい)という自分の名が刺繍されたエナメル鞄を肩にかけ、いつもと変わらず所属している部活の練習のために学校へと足を運んでいた。


 時間は早朝と呼ぶに相応しい午前七時。少しずつ暖かくなってきたとはいえ、この時間ともなるとまだ息は白い。これから日光を集めるのに適さない体育館でのバスケットボールをしなければならないと思うと、好きなこととはいえどもちょっぴり憂鬱な気分になる。


 そんな気分だからこそ、俺はあんな『過ち』を犯してしまったのかもしれない。

 当然ながら、これは結果論。俺がその行動をしている時はちっともそれが間違いだなんて思わなかった。というか、楽しかったんだ。



 特に怪我をしやすい手を、ゆっくりとした吐息で応急処置をしながらも足を進める。本来は禁止されているカーディガンをも羽織り、更にマフラーまでもつけているというのに身体は芯から冷えてくる。一人暮らしのアパートを出てからまだ数分なのだが、すでに帰って温かいコタツに潜り込みたい衝動で頭は満たされていた。


「……ん?」


 そんな気の抜けた考えをしている時だった。


 ふと、目の前を歩いていた女性に目を奪われてしまったのだ。


 校内校外問わず見かけるブレザータイプの女子制服。紺色の生地とプリーツスカートはこの辺りではうちの学校くらいだろう。そしてあの子は同学年の子で間違いはない。


 しかし、残念ながら彼女は俺と、まるっきり接点が無い。同じ学校で同じ制服着て、同じ学年だというのにどうして、と思うだろう。

それは我が校の特徴とも言える、左腕に巻かれている腕章の装飾が、俺のものとは違っていることが理由だ。

 自分の身に付けているものは、学年カラーである緑色の下地に翼をあしらったデザインの校章が、白い糸で編まれているもの。対する彼女のものは、色は同じだけれども装飾部分がまるで違う。金色の刺繍が所々施されており、校章を編んでいる糸も銀色というなんとも豪華なもの。

 翼ではなく、猛禽類(詳しくはないが、多分タカだ)そのものが校章のデザインになっていた。


 さて、同じ学校だというのにこの違いはなんだろうと疑問に思うだろう。


 格差の理由。


 それは彼女が我が所属校、私立明翔(めいしょう)学園高等学校『特進科』の生徒だからなのだ。


 ちなみに俺が通っているのは『普通科』だ。いたって普通の生徒がいたって普通の学校生活を送るべくして存在しているいたって普通の学科である。


 ……と、そんな自己紹介兼学校紹介はどうでもいいんだ。今、俺が何をしたいかというと、一足お先に満開になった梅の花なんかよりももっと綺麗な女性を、両目ともA判定の視界に心行くまで収めることだ。


 科が違えども、彼女の噂はたくさん入り込んでくる。目を奪われたのもそれが理由だ。


 名前は月雪(つきせ) 由莉奈(ゆりな)。少しつり上がった大きな瞳、綺麗な筋の通った鼻、瑞々しい唇。腰まで伸びた長い髪はまるで見せつけかのようだが、それ相応に艶がありきらきらと朝陽を反射させていた。


 外見と名前以外の情報は知らずとも、こうして眺めるだけで十分に魅力的だ。友人の何人かも注目しているし、ご多聞に漏れず俺自身も一目惚れといっても差し支えないくらい魅了されていた。


 後に思うターニングポイントはここで間違いないだろう。ここで何事もなく、あぁいつ見ても可愛いなー、月雪さんは……程度で留めておけば良かったんだ。


 なんであんなことをしようと思ったのか今でもわからない。学業の方も滞りなかったし、部活の方だって、次期三年生が引退した後はレギュラー確実だったと自負できるほど。


 つまり当時は何も問題がなく、むしろ順調すぎるくらいの生活を送っていたはずなのだけれども……この時だけは魔がさしたとしか言いようが無い。


 

 その時――何故だか俺は彼女の後を()けたくなったのである。



 言い訳をするのであれば、休日の早朝だったので周りに人気がなかったというのと、女性関係に対して当時の俺はこれといった縁がなかったから、もしかすると何か起こるかも……? というのと、もっと眼福が欲しかったからというのと、ぶっちゃけ部活に行くの面倒くさいという本能と願望と切実さと本音が一挙に頭の中を駆け巡ったから、だと述べさせてもらいたい。



 ボストンバッグ型の指定鞄を肩にかけつつ、綺麗な黒髪を優雅に揺らしながら歩く彼女の後ろを、俺は堂々と歩く。別に隠れる必要なんてないんだ。同じ学校なのだから、コソコソする方が逆に怪しまれるだろう。


 特進科の校舎は普通科とは別で、長い坂を越えた丘の上に建っている。その途中の平地に普通科の校舎はあるわけだから、俺がこの道を歩くのはおかしいのだけれど……適当に理由付けさえしてしまえば、同じ高校の生徒が通学路を歩いていたって不思議じゃないさ、と自己正当化して歩いていった。



 普段運動をしている俺でもこの坂は意外に辛かった。決して傾斜が急というわけではないのだが、一歩進めるごとに確実に体力を奪っていくのをひしひしと感じる。道筋も原因の一つで、だらだら続く坂がやっと終わったなと思いきや、それはただの折り返し地点で同じような無味乾燥なアスファルトの道を、またもや進まなければならない。景色が代わり映えしないので退屈なのだ。そんな苦行に等しい行為を四、五回ほど繰り返した先に待っているのが特進科の校門ってわけだ。



 体力は削られたものの、筋肉の疲労は普段のランニングよりかは遥かに少ない。慣れない道を歩いたせいでもあろうが、結局は心拍数が若干増すくらいで登り終えられた。



 じんわり滲んだ汗を拭ってから息を大きく吐いて、特進科の校舎を眺める。

 校門は煉瓦(れんが)の柱に鉄格子という、いかにもな感じを漂わせる造りになっている。その隙間から見える校舎は、それなりの歴史を有するというのに綺麗な外観を保っていた。

 構造は普通の学校とほとんど一緒。窓は遮光による勉学の妨げにならないように南向き、生徒数は一学年百人と若干少なめに規定されているのだが、大きさ自体は他の高校と変わらない。校舎の前には大きなグラウンドがあり、お馴染み野球部の生徒とサッカー部の生徒が半分ずつを使って練習をしていた。


 普通科の校舎は既に老朽化の兆候が見られ、所々黒ずんだりペンキが剥がれたりしているというのに……。やはり、籍を置く生徒の質が高いと、伴うように学校自体が綺麗になるのだろうか?


「そこの口を開けて突っ立っているおバカさん」

「はい?」


 思わず返事をしてしまった。

そりゃ、急に声をかけられたら誰だってそうするだろう。いや、待てよ。もしかして俺以外にも周りに人は居て、その人に話しかけているのか? と思い首を左右に、身体を回して後ろまで見てみるが誰もいない。


 じゃあやはり、口を開けて突っ立っているおバカさんって……俺のこと?


「今、自分で確認したでしょ? 冗談で言ったんだけど、本物のばかなのあんた?」


 返す言葉もない。というか、言葉を返すほどの余裕もない。

 だってそうだろう? 入学してからちょくちょく見かけていた(勝手に作り上げた妄想だけど)清純派アイドルの(つき)()さんが、こんな口の悪い人だなんて思わなかったんだもの。


 ばかと言われたことにショックを受けたというより(妄想の中では)可憐で純真無垢な彼女が、絶滅危惧種かもしれないけどリーゼントつけて特攻服着た不良共と同じ次元の言葉を使ってきたことに多大なるショックをうけた。


「ちょっと聞いてるの? あんた、どうしてここにいるのよ? 普通科の生徒でしょ?」


 いつの間にか月雪さんは俺の目の前にいた。大きな瞳を普段より更に吊り上げ、眉には皺を寄せるという敵意百パーセントの形相で、呆然としている間抜け(おれ)を睨んでいる。何かを言っていたようだが耳には届いても頭には入らなかった。


「……なるほど、これは夢か」


 ポツリと呟いた言葉だったが、急にそれが現実味を帯びてくる気がしてきた。そうだよ。あんな可愛い子が女の子なわけがない、って公式が否めないように、あんな可愛い子が性悪なわけがないという方式でだって成立するはずだ。そうだそうだ。これは夢に決まっていたたたたたたた!?


 妄想の世界に逃げ込んで無視を決め込んだのが癪に障ったのか、あろうことか彼女は俺の耳をつねり上げてきた。想像以上に細くて柔らかい指を楽しむ余裕も、自分と同じように冷え切っている手に驚く余地もない。


「いってえなぁ、離せよ!」


 と思わず乱暴な言葉遣いになってしまうほど俺は動揺しきっていた。

でも、こういう人にはそれに見合った言葉というものがある。それをこの僅かなやり取りの内に見切った自分は我ながら冴えているのではないかと思った。


「あんたが話を聞かないのが悪いんでしょ?」

「話をさせないようにしたのは誰だよ!」

「は?」


 寄せた眉毛が弛緩するのが見て取れる。表情も、怒りから疑問へと変わったのを確認した俺は一気にまくし立てる。


「いいか! 俺がこの学校に入学して約一年が経とうとしている。親の都合で一人暮らしをせざるを得なくなった上に、中学時代苦楽を共にしてきた友人の合格者がほぼゼロという窮地に立たされながらも、自己紹介から始まり学級内委員の役割決めから徐々に打ち解け始め、夏休みを迎える頃には特定の友達とつるむようになり、体育祭や文化祭など様々なイベントを乗り越える時、俺の唯一の心の支えだった特進科に通う我らが心のセーブポイントこと月雪さんが、口を開けばバカと言い、手を出してみれば力いっぱい耳をつねってくるような人間だったらそりゃあ誰だって茫然自失とするに決まっているじゃあねぇか!」


 指をさしながら言い切ってやった。月雪さんは黙って聞いていたが、途中から完全に聞き流す姿勢に入っていた。それでも俺は構わず続ける。


「大体なんだよ、よくわからん質問の後には気持ちの整理がつかないから考え事をしていた人へ真っ先に手を出すような奴がどこに耳が痛いです!」

「そうそれよ。まくし立てるのは楽しいでしょうけど、とりあえず質問に答えなさい」

「質問?」

「えぇ。あんた、どうしてここに居るの?」


 月雪さんは千切れるくらいに力強く引っ張っていた俺の耳から手を離し、腕を組んで聞く体勢に入る。


 ……どうするよ? ここで正直にあなたをストーキングするためです! って言ったらさすがに警察呼ばれるだろうか。いや、言い方を変えれば良いんじゃないか? あまりの美貌についつい足がこちらに……とかどうだろう。待てよ。あえて頭がおかしな人のフリをするのでも乗り越えられるんじゃ? 風に揺れるスカートの向こう側が見えそうだったので心のアクセルを全開にしていたらついついこんな所に来てしまいました……うん、問答無用で檻の中だな。



「普通科の校舎は坂の下だし……新入生でもない……なら、ここら辺の土地に不慣れなわけもないから迷ったということもない……。何より、敷地内でもまともな意識を持っているってことは……?」


 急にブツブツと呟き始めた月雪さん。視線はやや斜め下で、俺のことは視界にも入ってないようだ。


 ――――あ、良いこと思いついた。


 見えてないみたいだし、考え事に没頭してるみたいだし。

 こういう時は先人の教えに従うしかない。


 相手に背中を見せ、両足と両手を懸命に振って前進する!


 つまり……逃げるんだッ!


「! ちょっとどこに……って言ってる場合じゃないか。やっぱそうなのね!」


 俺が背中を向けて走り出したと同時に彼女は既に行動をうっていた。


「ジャッジメントハンマー!」


 聞きなれない単語を口にするな、と考えて振り向いたと同時に俺の視界は暗転した。


 最後に見たのは、脳天目がけて飛んでくる木で出来た人間の頭ほどもあるハンマー。裁判長とかが使ってそうなアレを巨大化させたようなものだった。


 何で突然出てきたのか、とかその細腕でどうやってこんな重そうなもの投げたんだ、と思う間もなく、俺の意識はそこで途切れた。




 ……次に目が覚めた時は、ソファーの上だった。

 なんで保健室のベッドとかではなく、見るからにお偉いさんの応接室らしき高級な革ソファーで寝ているんだ?


「でも、私は悪いことをしたつもりはないんです! てっきり他校のスパイかと思って……」

「そうは言っても、早とちりで規則を破ったのはあなたなのですよ。その責任は背負わなければなりません。あと、他校のスパイなんてそうそう入ってきませんよ。私の結界はそういった振り分けだって可能なんですから」

「それは……そうですけど……うぅ~……」


 視覚の後に機能をしたのは聴覚。霞がかかったような視野とは違い、会話だけはちゃんと聞き取れていた。だって、月雪さんの高音はキンキン耳に響いてきたし、その相手と思われる男性の声も低くて通りのいい声だったからだ。


「おや、起きましたか」


 ゆっくりと頭をこすりながら身体を持ち上げる。たしか額にあのハンマーはぶつかったはずだけど……コブくらいは出来ててもおかしくない衝撃だったのだが、額の滑らかさはいつも通り。何もなかったかのよう。


 そう、まるで魔法でも使ったみたいな……。


 男性の声に反射するように振り向いた月雪さんの表情は変わらず怒ったままだ。まるで社長室にでも置いてあるような大きな机から乗り出すようにしていた格好から一転、俺の方に向かってつかつかと歩いてきた。


「意識ははっきりしてるわね? ……最終確認させてもらうわ」

「はい?」

「あんたは何の力も持たない、どこにでも居るようなごくふっつーーの一般高校生なの?」

「え?」


 一瞬質問の意味がわからず、間の抜けた返事をしてしまうがもう一度頭の中で反芻してみる。

 先ほどから何度も何度も口が酸っぱくなるくらい言ってるように、俺はただの高校生だ。そのことを再認識したので、返事の後に少し時間を置いたが コクリと頷くのが正しい返答だと判断した。


「ほら、学校のデータが間違ってることなんてありえないでしょう?」

「うわぁーーー……ホントのホントに一般生徒だったの……? 最悪ぅ……」


 俺の答えを見て月雪さんは、整った小さな顔に手を当ててうな垂れる。

 変な答えはしたつもりはないのだが……なんでそんなリアクションを取るんだ?

 そんな表情が見て取れたのか、濁音混じりの声を漏らしている月雪さんの後ろから、この部屋の主と思わしき男性が声をかけてきた。


「えー……天神 景くん」

「は、はいっ!」


 知らない人に突然名前を呼ばれたらビックリするさ。特に、偉い人だと思ったらね。


「おっと、そういえば自己紹介がまだでしたね。私は特進科校舎の校長を勤めている州王 周冶(すおう しゅうじ)という者です。以後お見知りおきを」

「はぁ、どうも」

「さて……部外者とはいえ、あなたを巻き込んでしまったのは事実です。きっと、今はひたすらに混乱していることでしょう。これからのあなたに対する処理の検討材料になりますから良く聞いてくださいね」


 校長と名乗る初老の男性は、いやらしさを感じさせない薄ら笑いを浮かべながら、革製の黒い高級そうな椅子に座りながら続けた。


「この校舎のことはご存知ですね?」

「あ、はい、勿論ですよ。明翔学園の特進科……歴史はそれなりに古くて、特進科という名に恥じない実績を出している施設ですよね。毎年、有名大学に進学が決まった人だとか、大手会社への就職が決まった人とかで話題になってますね」


「そうです。学び舎は違えど、さすがは同じ学校の生徒といったところですね」

「……それで、その何が問題なんでしょうか」

「おや、まだ何も始末の悪そうなことを言ったつもりはないのですが」

「お二人の話を聞いていればなんとなくわかりますよ」

「聡明な方ですね。ならば回りくどい話も必要ないでしょう」


 男性は笑みを消すことなく、はっきりと言った。







「実はですね、この特進科は勉学に励む学校ではなく……『魔法』を学ぶ場所なんですよ」

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