第十話 遭遇したソレは人間ではなかったので
意気込んだは良いものの、歩けど歩けど目標地点は見えてこない。普段の気候ではなく、熱帯地のような全身を蒸してくる暑さによって、服はもうびしょびしょになっていた。用意していたタオルを首にかけて足を進めるが、腕や足、更には吸水性による衣服の密着具合がひどく気分を悪くさせる。
「本当にこっちであってるの?」
同じようにタオルをかけて、高い鼻や形の良い顎から汗を滴らせながら月雪さんは俺に問う。
「歩き続けて大体一時間半くらいだけど、太陽の傾く方向もあってるから大丈夫だよ」
時折そうやって別の方法を使って方角を確認しながら歩いているから問題はないはずだ。
リングワンダリングという、人間は目標とするものがないまま歩くと同じところをグルグル回ってしまう習性があるらしいが、それの回避はこれでできている。
幾箇所かの目立つ大樹に枝を折るという目印をつけていたが、再び同じ位置に来たためしは無い。幻影の魔法で阻害してくるかと思ったけれど、やはりそういう無駄な妨害をしてくるほど教師も暇じゃないらしいな。
「ねぇ、少し休憩にしない?」
地を踏む音を止めて、月雪さんが鞄を下ろす仕草をする。歩いているから息は切れていないけれど、疲れた様子で足をバタつかせていた。
俺はまだまだ大丈夫だが、こんな森の中で女の子一人を放っておいて先に行くのはさすがに気が咎める。たしかに起伏の激しい道や、腰をかがめなければ通れない雑木道などもあったから、普段使ったこともないような筋肉も疲労してしまっていた。
急いてはことを仕損じるということもあるし、一応今の状況整理をするためにも休憩を挟むのは構わないだろう。誰もが無休憩で進んでいるわけでもあるまい。
俺はその動作を肯定とするため踵を返し、月雪さんに大樹の根元へ座るよう促した。
念のためだが、誰かに見つかって無防備な所へ番号入替決闘を申し込まれたらことだしな。
番号入替決闘は原則として互いの了承がなければ行われないが、戦闘宣言をされた側がそれを拒否すると、敵前逃亡とみなされ魔評点が減点されてしまう。だから、もしも申し込まれた場合はたとえ無理でも僅かな可能性に賭けて受諾するほうが良いのだ。
ただし、戦闘ダメージはバトル終了後にほぼなくなるといえど、戦闘中に受けるダメージは本物とほぼ変わらない。もしもKOしてしまうと痛くて痛くて仕方ないらしい。上位者とマッチしてしまった場合は、どっちにしろ痛い目を見るということだ。
更に、とてもやっかいなシステムがあり、戦闘後に敗北した者は一定期間魔法の使用を禁じられてしまう。授業など先生の監視下では使用しても良いので、禁じられる、という言い方は少し語弊があるが、いわゆる負けた場合のペナルティというわけだ。
加えて禁止期間中は他人へ魔法を使用して、危害や助成をしてはならないというルールがある。番号入替決闘への介入も勿論禁止なわけだ。ゆえに、みな慎重に決闘を申し込むのだが、今の自分は行内最低ランクなわけで、他人からみたらその辺の石ころ程度のものだろう。
「……あ」
大きな幹に背を預けて、持参した2リットルの水筒からパックで沸かした自家製のお茶を摂取していると、正面の木陰で腰をかけている月雪さんが短く呟いた。
原因はきっと、持っていたマグボトルの水筒の中身だろう。ニュートン先生の法則を完全に適応した形で水筒をひっくり返しているが、そこから流れ出るべき液体は出てきていない。
そりゃそうだ、内容量が俺の持ってるもの半分に満たないんだもの。座っていてもじめじめして、水分が体中から出て行ってしまう環境なんだから、もっと大きなものを持ってくるべきだったね。
「月雪さん」
「!」
俺は鞄からペットボトルを取り出して投げ渡す。食料持参と言っていたが、運動部だった俺はそっちよりも水分の方を多く携帯するようにしていた。試合や練習の時にもっとも役に立つのはこちらの方に間違いはないからな。
ペースも悪くはないし、この大瓶水筒が全て無くなる頃にはいくらなんでも踏破できるだろうと思って、俺は彼女に持ってきていた予備水分を渡したのだ。
「さすがに魔法瓶じゃないからもう温くなってるだろうけど、我慢してね」
「……」
月雪さんは黙って、中身が吸収性の高いスポーツ飲料であること確かめてからそれのキャップを開けてしまった。
「お礼の一言もなしですか」
やれやれというように肩をすくませる。まぁ予想してたことだからご愛嬌さ。
「……うるさいわね」
ほら、やっぱり。
開けた口にがーっと中身を流し込み、キャップを締めてからまた俺に投げ渡した。
「ありがと!」
「え?」
キャッチするべき手の動きが止まってしまった。当然ながらペットボトルは俺の手の間をすり抜け、弧を描いたままちゃぷちゃぷとお腹を鳴らし、地面をバウンドしていってしまった。
「な、なによ?」
「今、ありがとうって言った?」
「……何よ。言っちゃ悪いの?」
悪くはないけど……いつもならそこで、ふんっ! と、つっけどんな態度ですたすた歩いていくところだからびっくりしちゃって。
「私だって……別に、お礼くらい言うわよ」
腕を組んでる姿は普段どおりだけど、顔はこちらを向いていない。だから、どんな表情をしているかはわからなかったけど、多分本当に言ってくれているんだろうな。
「月雪さんのお礼なんてレアなものだしね、ありがたく受け取っておくよ」
「……はぁ。そこで一言余計なこと言わなければ……」
「言わなければ?」
「……なんでもない。それより、いい加減その月雪さんって呼び方やめてくれない? 智佳は呼び捨てにしてるのに、なんで付き合いの長い私のほうはまださん付けなの?」
言われてみれば……。
付き合いが長くても月雪さんは月雪さんってもうわかったし。俺が他人の呼び方を変えるときは頼まれた時か、その人への対応の仕方が理解できた時くらいだね。
こんな強情な子だけれども、やっぱ全体像を見てみると高嶺の花ってイメージはまだ拭い去れない。
そばに居るといっても今はただ仕方なくついているだけで、いつかは月雪さんに相応しい眉目秀麗な王子様が颯爽と奪って俺との関係なんかすぐ忘れるんだろうという未来が見えなくもないのだ。
「じゃあ何て呼べばいい?」
「月雪でも由莉奈でもゆ、ゆっちでも何でもいいから、他人行儀な呼び方はやめて! 気分悪いわ」
「ふーん……。じゃあ……由莉奈」
「!」
「……ゆっち」
「っ!!」
「いや、やっぱおかしいなこれ。ごめんな、月雪でいい?」
呼ぶたびに途端にピクンと反応して、最後には俯いてしまったから彼女も変だと思ったんだろうな。そのリアクションから判断し、俺はやっぱり苗字で呼ぶことにした。
「……ばか」
「?」
「もうそれでいいわ。休憩も十分だから先に進みましょ」
なんで侮蔑されちゃったんだ今? 口調も不機嫌な時と同じになってるし……。自分で頼んでおいて、やっぱ呼び捨てが不快なのかな。
俺は最初から休憩を欲するほど疲れてはなかったから大丈夫だ。
なんだかさっきからやけにべたつく汗が気になるくらいで……。
「……あ、天神……」
ん? なんだ? 急に血相をかえて。
俺の頭上を指差しているが何かあるのか?
……ははは。
いるいる。涎垂らして物欲しそうにしてる、魔法生物のアイアンコンガじゃないか。
樹上で生活する、二足歩行で歩く黒い毛をしたゴリラくんが一体何のようだね?
あぁ、そういえばキミ、ゴリラの癖に確か肉食だったな。だから、近場にいた肉塊である人間を見つけてやってきたってわけか。なるほど、やけにべたつくと思ったのは汗じゃなくてキミの涎だったってわけか。合点が、
「いくかぁああああああ!!」
俺の首根っこを掴みに来たコンガの腕を跳躍して回避する。勢い余って彼は俺が預けていた幹を殴ってしまったが、見事に抉り取っていた。本物のゴリラ以上の腕力を持っていそうだな。
「逃げるぞ!」
「言われなくてもわかってるわよ!」
アイアンコンガはそのまま陸へ降り立った。樹上で追うよりも陸地の方が捉えやすいと思ったのだろう。この辺りは移動に適さないような木が多いということもあるだろうがな。
それでも、こいつは間違いを犯している。アイアンコンガという魔法生物は、残念なことに腕力こそ化物であれど、脚力は人間とさほど変わりは無い。いつか疲れ果てて逃げ切ることは十分に可能だ。
風を切って、まとわりつく空気さえも生暖かくて気持ち悪いな、と感じながらも逃げ切れることは確信していた。スポーツマンを舐めるなよ。
だが、俺はこの予想を違えていた。
足の速さも、持久力も全て所詮は俺だけのもの。
共に逃亡している月雪はその式には当てはまらない。
彼女は普通の女子高校生なのだから、鈍いということはなくとも野獣から逃げのびることが出来るほどの身体能力は持ち合わせていなかった。
「はぁ……はぁ……」
すぐに大きく息を切らせ始め、遂には立ち止まってしまう。アイアンコンガはそれ好機といわんばかりに、ニヤリと笑ってから飛び掛った。あの野郎、もしかして最初から俺ではなく月雪を狙っていたのか!
「ちっ!」
俺は舌打ちしてから、体の向きを変えて慣性を打ち消すように足を懸命に踏ん張る。そしてそのまま体の捻転を利用しながら、月雪へと細い体を抱え込むようにしてタックルをした。
「きゃっ!?」
「悪い、我慢して!」
体勢は立つことではなく押し倒すことを前提にしているので、月雪の体を抱えたまま転がり込むことになる。幸い、コンガの腕はまたもや空を切ることになったが、今度はリスタートできるほどの体力と状況ではなかった。
「怪我は?」
「な、ないけど……」
それでも出来る限りの抵抗をすべく急いで立ち上がらせる。無傷ならよかった。俺は転がった時にあちこち小石や木の枝で擦りむいちゃったけどね。
安否確認をしたと同時に、影がぬうっと目の前に現れた。
こちらが逃げることが出来ないとわかったのか、余裕たっぷりな感じでのしのしと近づいてくる。
「……月雪、何か魔法はうてるか?」
「え? あ……ん~残念だけど、アイアンコンガを倒せるような魔法はまだ……」
「それくらいは俺だってわかる。そういう意味じゃないんだ。なんでもいい、少しでもいいから、あいつを錯乱させられる魔法はできないかって聞いてるんだ」
「えぇ!? う~……あ、煙の魔法なら一回くらいはできそうかも」
「オッケー、任せた。俺は詠唱に入らせてもらう」
「え? ちょ、ちょっと?」
非道かもしれないが、俺は月雪の背中をポンと押して前に出す。その間に俺は、目を閉じて二本立てた指を眼前に持ってきて詠唱を開始した。




