行き先
目が冷めると、涼の姿はなかった。
仕事に出かけたのだろうか?
こんな時くらい休みをもらっても良いのではないか。
すぐ横に千恵が寝ていた。
安心したのか、安らかな寝顔をしている。
涼が掛けたのか、毛布に包まり小さな寝息をたてている。
こんな女の子を金づるにしようなど・・、
僕は昨夜のことを思い出し、再び斎藤に強い怒りを覚えた。
僕はズボンのポケットからピッチを取り出す。
10時20分。
随分寝てしまった。
不在着信3件。
実家からと、テラから、もう一件は知らない番号だ。
僕は昨日ヤクザを相手に喧嘩したのだから、
そん番号に少し恐怖した。
しかし、かけ直そうにも、電池残量が残っていない。
少しいじっていると、やはり電池は切れてしまった。
ピッチがないと涼にも連絡をとることができない。
僕は重い体を起き上がらせて、
キッチンの方へ移動し、流しで顔を洗った。
体中の関節が痛い。
藤原を殴った右手の感覚もまだ鈍かった。
「優介・・・・。」
顔を洗っていると、
後ろから千恵の声が聞こえた。
「起きたのか?」
「うん。」
目を擦りながら、上半身だけ起こした千恵は可愛かった。
「おはよう。」
千恵は恥ずかしそうに言った。
「ああ、おはよう。」
考えてみれば、僕等二人で迎える初めての朝だ。
「支度をしたら一緒に電車で帰ろう。」
バイクはまた後日取りに来ればいい。
何より体がだるくて座って帰りたかった。
「・・。うん。 蒲田君は?」
「さあ。俺が起きたときはもういなかったし、
仕事でも行ったんじゃないか。」
「そう・・・。」
僕はアパートを軽く片した後、
制服に着替えて、
涼のアパートを後にした。
涼に連絡も取れないし、昨日もそうしていたので、良いかと思い。
鍵は掛けずにそのまま出てきた。
駅までの道を千恵と手をつなぎ歩いた。
こうしていると右手の感触で千恵の存在を確認できる。
「開けっ放しで大丈夫なのかな?」
「ああ、平気だろ。あいついつも掛けてないみたいだし。
もっとも、盗られる物なんて何一つないしな。」
涼の部屋にはテレビすらなかった。
「ねえ優介。」
「うん。」
帰りの高崎線の中で、向かい合って座る僕に千恵は話し掛ける。
車両のはじの4人がけの座席はちょっとした旅気分にさせてくれる。
「今回のことはホントごめんなさい。」
「ああ。もういいよ。そのことは。」
「私考えたんだけど、大学行くの諦めることにする。」
「えっ。」
「やっぱり、普通に働いて、少しでもお母さんを楽にさせてあげなきゃ。
と思ってきて。」
「・・・・・・。」
千恵は努力して大学に受かったのに、
その言葉は千恵の本心ではないことを、僕は見抜いていた。
しかし、僕にはかけてやる言葉がなかった。
何か力になってあげたい。
電車はレールの上を走り規則正しく、つなぎ目の音を鳴らしていた。
「本当にそれで良いのか?」
「うん。」
「それで納得できるのか。」
「・・・・。納得しなきゃ。」
「ローンとかは?」
千恵は小さく首を横に振った。
僕も詳しく知らないが言ってみただけだった。
「やっぱり、人にはそれぞれあった道っていうものがあるんだよ。
私の家はお母さんも中卒だし、本当のお父さんはペンキ職人。
私も少しでも早く、社会に出て働かなきゃって・・。」
「そんなの関係ないだろ。親のせいにしちゃいけない。
思っていても口に出すべきことじゃないと思う。」
「そうだね。・・・。」
自分で言わせておいて説教くさい事を言ってしまった。
僕は反省した。
「悪い。俺が言わせたようなものだな。」
「・・・・・。」
「でも働くとしたら何するんだ?」
「今はまだわからないよ・・。優介はスタジオで働くんでしょ。
何処にあるの?」
「高田馬場だ。でもまだはっきりとは決めたわけじゃない。」
「何で・・?」
「特に絶対にやりたいというわけでもないし、正直これまで、自分の将来について
真剣に考えたことなかったから・・・・。
ちょっと考えてみようかなと・・。」
「へへへ。変化があったんだね。」
「ああ。千恵や涼を見ていて、もっと真剣に生きなきゃって思ったよ。
昨日も夢を聞かれても、答えられない自分がいた。
俺はまだガキだから何も考えないで暮らしてきたけど、
それじゃあだめだなって、少なくとも自分の夢ぐらい答えれるようになりたい。」
「なんか今の優介かっこいいよ。」
「へへ。まじで?」
「でも、ほとんどの人がそうじゃないかな?きっと。
だから良く自分のやりたいことを探すために大学に行くとか言うじゃない。
優介も行ったら大学。」
「ええっ! 本気で言ってるのか。」
「うん。」
千恵は目を輝かせていた。
列車はレールの上を加速する。
「千恵の夢は・・・・・?」
「私は海の動物とかの博士になりたかった。」
「なんで過去形なんだよ。いい夢じゃない。」
「でも・・・・。」
「諦めることねーよ。夢があるだけでうらやましいよ。
よし、俺は決めた。大学にいく。」
「えっ。」
「だから千恵も今年はあれだけど、一年働きながら勉強して
お金をためろ。入学金くらい。絶対大学に行け。
俺も行けるように勉強する。」
「えっ!・・・・。」
電車は赤羽駅を越えてカーブして進む。
池袋行きだったのだ。
「大丈夫だ奨学金とか、学資ローンとか色々調べておくからさ。
浪人なんていっぱいいるぜ、テラだってそうだし。
なんだったら俺が働いて千恵の学費を出す。」
「・・・・・・。」
「一緒に二人でがんばろう。
来年は二人で大学生だ。」
「・・・・。うん。」
「よっしゃ。何か楽しくなってきたな。」
「うん。優介のお陰で元気が出たよ。がんばるぞぉー。」
千恵は胸の前で両手の拳を握った。
かわいらしかった。
「あははっ。なんだそのべたな。気合の入れ方、ぶりっ子みたいだな。」
「えへへ。」
「でもそんなことより、俺勉強大丈夫かな?」
「なに言ってんの?決めたんでしょ。一日8時間勉強すれば大丈夫よ。」
「8時間?」
「そうよ。10時間くらいやってもいいわ。」
「俺、やっぱり。その・・。」
「何、男が一度口に出したことをすぐ撤回する気?
吐いた唾飲めないわよ。」
こうして帰る頃には昔の僕らに戻れた。
18歳の僕等は単純だった。
未来は僕等の手でどうにでも変えられそうな気がしたし、
行き先も無限にあるように感じられた。
でもなにより千恵が元気になって良かった。