校正者のざれごと――東海道新幹線の車窓から
私は、フリーランスの校正者をしている。
久しぶりに、小説の校正の仕事が入った。といっても内容はビジネス書に近い。M&Aなどのテーマを小説仕立てで説明するような話だ。
登場人物たちは東京と大阪を新幹線で移動する。東京に不慣れな主人公が、ホテルからタクシーに乗り、運転手に「八重洲駅まで」と告げる。すると運転手は顔色一つ変えずに「東京駅ですね」。もちろん、東京駅の八重洲口のことだ。ここで、東京駅の構内地図をJR東日本のホームページで調べる。すると、表示上は「八重洲口」という出口はなく、「八重洲南口」「八重洲中央口」「八重洲北口」となっていた。なるほど。でも八重洲口って一般的な言い方だよな。念のため、ゲラ(校正紙)の端のほうにホームページの内容を書き添えておく。そういえば、たしか池袋駅にもそんな表示があった。「西口(北)」「西口(中央)」「西口(南)」。東口にも同じような表記がある。もはや西・東の意味とは? ちなみに池袋には東口に西武池袋本店があり、西口に東武百貨店があることも有名だ。知らなかったら絶対に迷うよな。とても安心して歩けない。
小説の登場人物たちは新幹線に乗り、大阪へと向かう。「新横浜を出ると、名古屋までノンストップだ」とある。JR東海のホームページで新幹線の停車駅を確認する。こだま、ひかり、のぞみがあるが、のぞみは新横浜の次の停車駅が名古屋になっていた。静岡県内はすべて通過する。そうか、のぞみに乗ったのね。確か、この区間では熱海駅を通過したあたりから富士山が右手に見えてくるはず。きっとそんな描写があるに違いない。でも、この小説には富士山は出てこなかった。『富嶽百景』好きの私としてはちょっと残念。
しばらくすると、会話のやりとりの合間に車窓の景色の描写も入ってきた。「木曽三川を渡って」ん? どこだ。グーグルマップを見ながら、東海道新幹線のルートをたどり、川を探す。新幹線のルートは、浜松を過ぎたあたりで浜名湖の南のほうを通り、急に進路を北に変えて名古屋へ向かう。名古屋駅を過ぎてから木曽川、長良川、揖斐川の三つの川を渡る。これね。小説とはいえ、こういうところはチェックしておかないと。国土交通省のホームページによると、「古来この三川は、一つの川として乱流していましたが、明治改修により三川の分流がなされ、現在の河状となったものです」とある。
「……渡って、右手には岐阜城のそびえ立つ金華山が見えてくる」金華山。どれどれ。地図上の新幹線のルートの右手には山がたくさんある。地図上の位置は確認できた。でもこれ、車窓から本当に見えるのかしら。JR東海のページとともに、写真好き、鉄道好きの人の載せている写真などもネットで見てみる。いくつか見て、車窓から金華山が見えることも確認できた。でも、岐阜城は小さくてはっきりとは見えないらしい。
小説にかぎらず、エッセイや観光地の案内などのなかに風景の描写が出てくるときは、その確認もしている。花が咲き誇る様子などが出てくるときは、季節も確認する。桜や菜の花なら春、コスモスなら秋。ラベンダーは6月下旬くらいから見られるが、北海道の富良野地方では7月中旬あたりが見頃らしい。紅葉の時期なども同じように調べる。「どこからともなく金木犀の甘い香りが漂い……」とか「川の向こう側の斜面には鮮やかな曼殊沙華の赤色が……」のような描写が出てきたら、それぞれの季節にふさわしいか考える。季節の描写といえば、子ども向けの教材の校正では、キャラクターたちの服装にも気を遣う。以前は春頃はまだ長袖のカーディガンなどを着ていたが、最近では春でも半袖の服装のほうが多い。温暖化の影響もあるのかも。
登場人物たちは新大阪駅に着いた。ここからは大阪の地名が頻出する。淀屋橋、天王寺、なんば……行ったことはあるが、なじみのない地名が続く。土佐堀川。天神橋筋商店街。地下鉄のルートなども出てくる。行き先なんて、さっぱりわからない。でも、これは調べればわかるはずだ。覚悟を決めて、一つひとつ確認する。電車好きな人なら、こういう調べもの、きっと楽しいんだろうな。
以前、上の子の友人Kくん(電車好き)が家に遊びに来た。確か中学生くらいだった。そのとき、居間では下の子がひとりでプラレールで遊んでいた。まだ保育園に通っていたころだ。下の子は当時電車のパンタグラフに興味があったらしく、大きめの洗濯ばさみを電車に挟んでパンタグラフに見立てていた。すると、それを見たKくんが下の子にひと言。
「残念。その電車はね、線路に通電してるから、パンタグラフないんだよね」
下の子はきょとんとしている。あたりまえだ。聞いていた私は、笑いをこらえるのに必死だった。電車を見てすぐにそんな知識が出てくるなんてすごいと思う。でもKくん、保育園児にその説明、どうなの?
地図を見ながらの調べものは大変ではあるが、ちょっと楽しくなるときもある。「……角を曲がると、炭火の香ばしい匂いが漂ってくる」そんな文章があれば、グーグルアースで確認する。角を曲がったところには、昔ながらの佇まいの焼き鳥屋さんが。持ち帰り専用。こういうの、いいよね。焼き鳥なら、キンキンに冷えたビール。暑い夏には最高だ。
でも、せっかく大阪まで行くなら、やっぱりたこ焼きかな。たこ焼きには、キンキンに冷えたビール。いや、串カツも捨てがたい。ソースの二度づけ禁止。串カツにはキンキンに……いや、仕事中ですけど。しかもまだ午前中。そろそろやめておこう。




