第九十五話 凍り付いたウンディーネ
わたしたちは一瞬呆然としてしまったけれど、水の龍は攻撃を緩めることはない。
「待って! わたしたちはウンディーネに危害を加えるつもりはない!」
「神殿に近づくな!」
叫んでも、水の龍は聞く耳を持たない。水の渦を放って攻撃を絶え間なく続けて来る。わたしはシルフに抱えられて、攻撃を避けた。そうしている間も、イオがノームと協力して攻撃を続ける。ルーシャちゃんがイオに降りかかる攻撃を防いでいた。
でも、その連携にも迷いが見える。防ぎきれずにノームが作りだしたゴーレムがいくつか破壊された。
「どうすればいいの? このまま、あの水の龍を倒すしかないの?」
きっとイオやルーシャちゃんも同じことを思っているはずだ。
あの水の龍はウンディーネを守っているだけ。しかも、ウンディーネに凍り付かせたのは、水の龍の話だと、どうやら精霊使いだ。だから、同じ精霊使いであるわたしたちを警戒している。水の龍は悪者ではないということだ。
シルフがうーんと考えながら、案をひねりだす。
「ウンディーネを助けるって説得するのはどうだろう」
「……それしかないよね。でも、信じてくれるかな」
「うむ。こういうのはどうであろう」
わたしの杖の精霊石から声がする。サラマンダーだ。
「吾輩の炎で辺りの雪や氷を溶かすのだ。それこそ、あの龍の氷も溶かして見せよう」
「え。でも、サラマンダーは力を出せないんじゃ」
サラマンダーには精霊の海は寒すぎて、すぐに弱ってしまう。
「なに。少し出て来て、炎を吐くことぐらい容易い。ただし、出来るのは一撃のみである」
確かにサラマンダーは暖かい火山の火口にいる。それをこちらに呼び出して、一撃だけ攻撃することは出来るだろう。
「でも、水の龍を溶かしても大丈夫?」
エルメラがフードから顔を出して尋ねる。
「あの龍、話は出来ても、聞く耳を持たない。それぐらいの荒療治は必要であろう」
自分のことを棚に上げているようにも思えるけれど、サラマンダーの言うことも分かる。水の龍は激昂していて、話は通じない。サラマンダーも加減してくれるだろう。
「よし! やってみよう」
「では、シルフ。もっと近づくのだ」
「はいはい」
わたしはシルフに抱えられて、水の龍に近づいていく。水の龍もシルフに気づいた。
「それ以上、ウンディーネさまに近づくな!」
やっぱりわたしたちに向けて、水の渦を放ってくる。それをシルフが猛スピードで避けた。
「イオ! ルーシャちゃん! わたしの後ろまで下がって!」
イオとルーシャちゃんは頷いて、水の龍から離れて行く。水の龍の攻撃がインターバルを置くように止む。チャンスは一瞬。
「今だ! サラマンダー、召喚!」
わたしは杖を前方に構えて叫んだ。
「いざッ!」
赤い玉が出て来て、一瞬でサラマンダーの形を作る。そのまま、背をそらせて勢いを付けた。
「な、火の精霊の王……!?」
水の龍がサラマンダーを見て口をあんぐり開けている間に、サラマンダーはどろどろの溶岩を含んだ炎をゴウッと吐いた。
思わず腕で顔を覆う。凍える空気が、一気に気温が上がっていく気がした。大量の水蒸気が辺りに充満する。
「これって、サラマンダー! 本当に加減している!? どうなったの?!」
「うむ。少しは過ごしやすくなったであるな」
サラマンダーの満足気な声と共に、水蒸気が少しずつ晴れていく。そこには土の地面に石造りの神殿が建っていた。周りを囲んでいた氷はなくなったし、水の龍まで居なくなっている。
「どこに行ったのかな。まさか消えちゃった?」
「さすがに消えない程度には加減したぞ、……くしゅッ!」
サラマンダーがくしゃみをした。神殿の氷は溶けたとはいえ、周りはやはり雪と氷に覆われている。少し風が吹くと、また冷気が身に染みた。
「うう。また、力が抜けてしまうな」
「サラマンダー、戻っていて。また、活躍できなくなっちゃう」
「そうであるな。では、失礼するぞ」
サラマンダーは地面に降り立つと、そのままわたしの精霊石の中に戻って行く。
「神殿に入れそうだな」
「一応、気を付けて参りましょう」
イオとルーシャちゃんも、入口の前にやって来た。シルフとノームはそれぞれの精霊石に戻る。氷が解けて、水浸しになっている土の地面をぴちゃぴちゃと音を立てて歩いた。
神殿の扉の前にやって来たときだ。
「おい! ここは通さぬと言っただろう!」
どこからか声がする。水の龍の声に似ているけれど、さっきより甲高い。
「あ! あそこ!」
エルメラが柱の影を指さす。同時にルーシャちゃんが声を上げた。
「まあ! 小さくなっていますわ!」
神殿に何重にも巻き付くほど巨大だった水の龍。それが体長三十センチぐらいに縮んでしまっていた。まるで水分が抜けて、干からびてしまったみたい。
「これでは何も出来ないな」
「何を!? 我はまだ戦える!」
しかし、イオに放った水の渦はイオの身体を濡らさずに地面を濡らす。
「ぐぅ……。まさか、火の精霊の王を味方に付けているとは……」
水の龍は悔しそうに言う。わたしはしゃがみ込んで話しかける。
「ねえ、ウンディーネって凍り付いているんだよね」
「いかにも。お前たち精霊使いのせいである」
「でも、わたしたちウンディーネを助けに来たの。たぶん、サラマンダーなら凍ったウンディーネを溶かすことが出来るんじゃないかな? さっきの炎を見たでしょ」
神殿を囲んでいた氷も溶けたんだから、可能性はゼロじゃないと思う。水の龍は目を見開く。
「な、なんと……! 確かにこの氷の地で強力な炎を出せる当てなど、他にないが」
「ね! わたしたちに任せてみて!」
わたしはどんと胸を張って叩いてみせた。
水の龍と一緒に、神殿の中に入る。入ると同時にわたしたちは同時に感嘆の声を上げた。
「わぁ!」
「荘厳ですわね……」
神殿の中はやはり石造りで出来ている。だけど、ステンドグラスの窓から光が入って、七色の光が床を照らしていた。かなり広く、ひんやりとした空気が余計に神聖な気持ちにさせる。わたしは腕の中に納まっている水の龍に尋ねた。
「この神殿はウンディーネが造ったの?」
「そんな訳があるまい。昔、精霊の海が氷と雪ではなく、水であった頃に人間たちが造ったのだ。ウンディーネさまを祀るためにな。それが、あのようなことになろうとは……」
「あのようなこと? 海が凍って、ウンディーネも凍っちゃったこと?」
だけど、水の龍は首を横に振る。
「いいや。精霊の海が凍ったこととウンディーネさまが凍られたことは、全く別の事件である」
そっかと呟いて、コツコツと靴音を立てながら奥に進む。神殿の中と言っても、所々氷が残っていた。滑らないように慎重に歩く。
「そうだよね。精霊の海が凍ったのは、三百年前。でも、ウンディーネが凍ったのは?」
「つい、一年のことである」
「一年前……」
一年前って言ったら、わたしはまだこっちの世界に来ていない頃だ。
「何か見えてきましたわ」
ルーシャちゃんの声に前を向いた。氷が張った床に靴が滑りそうになる。
そして、息を飲んだ。大きな広い空間に彼女は立っていた。大人の男の人より大きな女性。髪が足につくほど長くて、波打っている。堀の深い顔に濃いまつげ。だけど、その瞳は瞬きすることはない。
ウンディーネは完全に凍り付いているのだ。
「サラマンダー、溶かせるかな?」
精霊石のサラマンダーに問いかける。
「今すぐには、無理である」
予想した通りの答えだ。さっき出て来たばかりだから当然だ。イオがウンディーネを見上げ、ジッと見つめる。
「……ウンディーネは本当に完全に凍っているのか?」
「凍っちゃったから動かないんじゃないの?」
わたしたちが来て、凍っていないのなら話し出しそうなものだ。他の四大精霊の王たちもいる。それぐらい、ウンディーネだって分かるはずだ。
「だが、水の精霊の王が完全に凍り付いたなら、精霊の海だけでなく、森や大地にも影響があると言っていた。……一年前にそんな変化は見られない」
「そういえば」
この世界でも普通に川が流れていたし、雨も降っていた。突然凍ったり、雪になったりはしていない。
「気になるのは、一年前にあることが起こっていたことだ」
「ん? 何かあったの?」
わたしとルーシャちゃん、エルメラは心当たりがなくて首を捻った。イオはわたしたちを通り過ぎ、入り口の方へと歩いていく。
「おそらく一年前だろう? ジュレ族の村が襲われたのは」
イオは誰に問いかけているのだろう。そこには誰もいない。そう思っていたけれど、柱の影から人影が出てきた。あの、ピンと立った耳は――
「メジロ! 無事だったんだね! よかった!」
わたしは駆け寄ろうとする。けれど、イオの腕がそれを阻んだ。
「ダメだ。ユメノ」
「どうして? メジロはさっき吹き飛ばされて……」
「こやつだ!」
メジロが何か言う前に水の龍が叫ぶ。
「こやつがウンディーネさまを凍らせた不届き者である!」
「ええ!?」
ウンディーネを凍らせた犯人がメジロ?
ウンディーネが凍らないように、わたしたちをここに連れて来たのに?
でも、そもそもウンディーネは一年も前に凍り付いていた。
ということは――
「嘘をついていたの、メジロ!?」
メジロはわたしたちを睨むようにこちらを向いた。
「左様。すべては精霊使いをここに連れてくるためである」
やっと口を開いたと思ったら、メジロは低い唸り声をあげるように話す。
「おかしいと思ったんだ。メジロが留守にしている間に村は襲われたと言っていたが、村の跡を見たらどう見ても一か月そこら前に襲われたようには見えなかった」
イオは少し異変に気付いていたみたいだ。
「いかにも。村を襲ったのは精霊使いである。村には腕の立つものたちもいたと言うのに、女子供みな……。だから拙者は探しているのだ。村を襲った力の強い精霊使いを」
「だから、わたしたちをここへ?」
メジロは何も言わず頷く。
「何のためとは聞かずとも分かりますわ」
ルーシャちゃんが杖を構えた。
「で、でも分かったでしょ! ユメノたちは、メジロの村を襲った精霊使いじゃないよ!」
エルメラが必死に言うけれど、メジロは杖を構えた。
「拙者は誰であろうとも、人間の精霊使いが憎い。しかし、それ以上に憎いものがある」
「それ以上に?」
「ウンディーネは自分を崇めているジュレ族の村が襲われていることを知りながら、助けに来なかった! だから拙者が凍らせたのだ! ツルオリ!」
メジロの精霊石から巨大な氷のオオカミが出て来る。
「ホムラ!」「フリント!」「ミルフィーユ!」
わたしたちは杖を構えて精霊を呼び出し、攻撃に備えた。
「ツルオリ! 溶かすのである!」
「え?」
ウォォォン!
ツルオリの遠吠えが聞こえたと同時だ。わたしたちの足元に張っていた氷が溶けて水になる。その下は何もない巨大な空間だった。
わたしたちは、その大きく空いた穴に落ちていく。




