第二十四話 山の中腹、サラマンダーの刺客
ゆっくりしたペースで山を登っているけれど、慣れない登山は疲れてきた。何メートルあるかは知らないけれど、少しずつ空気が薄くなってきているのはさすがに気のせいだろう。
「ちょうどこの辺りが五合地点だ。少し休憩しよう」
ビューロさんが指さす岩にはバツ印が描かれている。安全な休憩場所という意味と高さを示しているのだろう。ふぅと息をついて、わたしは荷物の中から水筒を取り出して水を飲む。討伐に行くならと、宿の人が用意してくれた少し甘い水だ。
山登りは順調だろう。途中、暴れる精霊が出たけれど全てビューロさんが倒してくれたし、大きな岩が道を塞いでいてもイオが剣で一刀両断にした。
眼下を見ると平原が広がっている。西側と東側には巨大な城壁のある街があるけれど、平原の向こうはずっと向こうにあるはずの海も薄っすらと光ってみえた。ドーナツの形の大陸の外海だ。それほど高い場所に登って来たのだ。わたしは感慨深くなってくる。
「この景色ともすぐにお別れね。サラマンダーに会ったら、もう来ることもないもの」
カカがニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくる。
「まあ、ユメノがサラマンダーにチャレンジするのは特別に今回だけだろうな。次はもっと大人になったときだ」
まさか大人になるまでこの世界にいるつもりはない。そう言わずに黙っていると、ビューロさんが杖の先で地面に山の形を描く。
「イオとユメノは初の討伐だから説明しおこう」
わたしとイオは側に立って絵を覗き込んだ。ビューロさんがゆっくりと説明を始める。
「俺たちはいま、山のこの辺りにいる」
山の真ん中辺りにバツ印を付けた。
「そのまま上へと登るわけだが、ここから先は切り立った崖が続くから気をつけろ」
バツ印から上へと線が伸びる。
「そして大体八合目辺り。ここに洞窟の入り口がある。サラマンダーが住む巣穴への入り口だ」
わたしはごくりと息を飲む。そうか、火口に行くわけだから山の頂上までは登らないんだ。
「洞窟の入り口で今夜は野宿する。早朝に体力が回復したところで、サラマンダーの元に突入だ。いいか?」
ビューロさんはわたしとイオの顔を確かめた。
「了解」
「分かりました」
とにかく、山を登って明日にサラマンダーに挑戦。それだけ分かれば十分だ。
ビューロさんの予告通り、山はすぐに険しくなった。
「うそ……。ここを通るの?」
「ユメノ震えているよ」
エルメラがそう言うけれど、自分でも震えるのも無理はないと思う。道幅は十センチか、二十センチ。片方は絶壁のような急な坂で、もう片方は垂直の崖になっている。一応、壁には鎖が打ち込んであるけれど、カニ歩きして進むしかない。
「イオ。足場作ってよ」
「さすがに長い距離を五人分支える足場は作れない。不安定で良ければ作らないこともないが」
そう言われたら諦めるしかない。オリビアさんが後ろから、いつもより優し気な声で話しかけてくれる。
「もし落ちても、後ろにいるわたしが支えるから大丈夫よ」
「オリビアさんが?」
「正確にはわたしの精霊がね」
落ちても、花の精霊のツタで引っ張り上げてくれるってことだ。固定されていない命綱は想像しただけでも怖いけれど、少しは安心できる。
「それじゃ、先に行くぞ」
ビューロさんはさすがに慣れた様子だ。鎖に軽く捕まって、スルスルと前に進んでいく。その後のイオも普段、土の階段を作って空中で戦っているだけあって、ちっとも怖気づいていない。次はわたしの番だ。片手は杖があるけれど、それでも強引に両手で鎖を掴む。
「ひっ」
だけど、一歩前に出た途端にヒューっと下から風が吹いて、スカートを膨らませる。エルメラが崖の方で飛んで、小さな手でわたしの背中を支えようとしてくれた。
「がんばって、ユメノ」
じりじりと何とか前へ進む。下を見てはダメ。前を向いて足を出す。それだけを頭の中で繰り返した。でも、ゴールは遠いかも分からない。崖の細い道は曲がりくねり、先が見えなくなっているのだ。先頭を行くビューロさんはカーブを曲がって、見えなくなってしまった。
「大丈夫、大丈夫。ゆっくり進みな」
少し後ろからオリビアさんが付いてきてくれているのが救いだ。十分ぐらい進んだときだろうか。まだゴールは見えないけれど、少しは早く進めるようになった。
「いま、半分ぐらいよ」
続いてきているオリビアさんがわたしを励ますように言う。
でもあと半分もあるのか――。つい弱気になってしまうので頭を振って振り払う。着実に進んでいるということだ。そのとき、エルメラが叫ぶ。
「大変!」
「全然大変じゃないよ、エルメラ。これぐらい、へっちゃら……」
「そうじゃなくて! 上から精霊がやってくる!」
「え」
わたしは前髪をエルメラに引っ張られて上を見上げた。急斜面で精霊の姿は見えない。けれど、ガッガッと岩と岩がぶつかるような音が上から聞こえてきた。
「タチサレ、タチサレ」
そんな片言の声まで聞こえてくる。
「ホッ、ホムラ! 炎の玉で攻撃して!」
杖を振るえないけれど、ホムラはわたしの前を進んでいたからすぐに攻撃出来る。炎の玉を続けて三発、上に向けて放った。先制攻撃だ。
「あッ! バカ!」
途端にオリビアさんが焦った声を出す。まるで悪い行動をしたみたいだ。だけど、こんな所で先に攻撃されたら、落ちてしまう。
しかし、オリビアさんが正しかった。すぐに近くに来てわたしを抱えるようにかばう。
「プルメリア、花の盾!」
壁面に接着するように、わたしとオリビアさんの頭上に大きな花が咲く。それとほぼ同時だ。ボンボンと破裂音が聞こえてきて、火の付いた石炭のような破片が頭上に降って来た。風も猛烈に吹く。
「きゃーッ!」
わたしは必死で鎖にしがみついた。
「なに!? なんなの!?」
「攻撃は相手の姿を確認してから! これは攻撃すると爆発するタイプの精霊よ!」
「えーッ!!」
攻撃したら爆発してしまうなんて、攻略法が全くない。
「こんな所で出てくるなんて、ついてないわね。まだ来るわよ!」
花の盾が消えて、その姿が確認できる。燃える岩のような精霊だ。アルマジロのように見える。こちらを睨みつけながら転がって来ていた。
「タチサレ、タチサレ」
立ち去れって言ったって、こんな所じゃ立ち去れるわけない。炎の岩の精霊は逆回転を始める。空回りしているかと思ったら、大きくわたしたちの頭上高くに飛んだ。そのまま、落ちて来たら直撃だ。
「プルメリア!」
オリビアさんがまた盾を作ってくれるけれど、どしんどしんと何度もぶつかる音がする。何度も飛び上がって、落ちてきているみたいだ。花が燃えてしまわないことが不思議なくらい。
「まずいわね……」
オリビアさんが横でつぶやく。わたしは攻撃ができないし、盾もそう自在じゃないから身動きが取れない。スイリュウかオトヒメの攻撃でも爆発するのだろうか。
そうオリビアさんに聞こうとした、そのときだ。
「クロキカゼよ、奴らを排除しろ」
静かに声が響く。シュルカさんの声だと気づくのに数秒かかった。しばらくすると花の盾への衝撃が無くなる。
「こっちだ!」
行く先からイオが手招きをしている。その足元には土の精霊のキツネが足場を作っている。わたしは思い切ってその足場に飛び乗り、どんどん出来ていく足場を走り出した。オリビアさんも続いてくる。
「シュルカさんは……!」
わたしはなんとか広い空間がある場所にたどり着いた。振り返ると、最後尾にいたシュルカさんの姿を確認する。彼は大きなカラスの背中に乗っていた。シュルカさんの精霊だろう。カラスが風を操り、火の精霊を風で包み込む。自由自在にコントロールして、崖の下へと次々と投げていた。
「あれって、シュルカさんの」
「そう。クロキカゼって名前の風の精霊。どうやらあちらも玉切れのようね」
上からはもう火の精霊は落ちてこない。
「あの火の精霊。話していたね」
カタコトだったけれど、確かにわたしたちに話しかけていた。他の精霊は話さないし、解放してもきゅるきゅるとしか鳴かないのにだ。先に待っていたビューロさんが頷く。
「あれは山に入ってきた者たちへのサラマンダーの刺客。話せるのは、サラマンダーが力を与えているからだ。それほどサラマンダーの力が強力という証拠でもある」
たぶん、わたしたちがここを通るときを狙って襲ってきた。サラマンダーの入れ知恵か、それかそれだけ知性があるってことじゃないかな。
「もしかして、サラマンダーはもっとペラペラしゃべる?」
「うるさいほどにな。行くぞ」
後ろからシュルカさんが追いつくと、ビューロさんは先に歩きだした。精霊に言葉が通じることは分かっていたけれど、サラマンダーとはきちんと話が出来るようだ。うっかり口を滑らせて、元の世界に帰る方法を教えてくれないだろうか。
そんなことを思いながら、わたしも先へと進んだ。




