44 愛し子の選択
「聞きたいことが、たくさんある。」
アイラはギュッと胸元を握りしめた。
「うん」
常世神――レオニダスの姿をしたまま、ギャランの声で答える。
「……わたしはどうして……刺されて…賢者の石を入れられたの? どうして……闇夜神は、わたしを……」
声が震える。でも、言わなきゃ。
常世神は少しだけ困ったように眉を寄せた。
「残念ながら、僕は石を通してしか、何も見えない。でも、一つだけはっきりしているのは、彼が君の体に、わたしの賢者の石を入れたってこと」
静かに言葉が降りてくる。
「そして、君が目覚める日を、ずっと待っていた」
「……!」
アイラは息を呑んだ。
「本当は、もっと早く石が発動するはずだった。でもね……僕、忘れてたんだ。神と人間じゃ、時間の流れが違うってことを」
レオニダスの顔で、ギャランの声が苦笑する。
「……発動した頃には、彼はもう……“失敗した”って、思ってたみたいだね。君の体は、他の人の骨と一緒に混ぜられた」
「……わたしが……あの集団墓地にいたとき……」
アイラの声は、かすれて消えそうになる。
「そう。地面の下で……君は一人で、復活した。だけどその頃の僕は……石として、君を見守ることしかできなかった」
……あの石は。
アイラは喉の奥が痛くなるのを感じた。
自分を幸せにしてくれるはずだった石が……
逆に、不幸にしていく姿を、見続けていたなんて。
「黄泉に、僕の一部が行くことはない。あそこは……また別の神の領域だからね」
常世神の声が、少しだけ寂しそうに揺れる。
「だから君は、どんなに傷ついても、どんなに死にかけても、冥界の門で……戻るしかなかった」
「……わたしは……もう、不死のまま……?」
「……うん。もう一度、僕が君のなかの石を取り込むことはできない」
それは……もう、覆せない現実。
アイラは小さく唇を噛んだ。
「バーベラのことだけど……あの魔法陣……師匠が書いたものよね」
「そうだね」
「……それに……あのとき、わたしの背後にいたのは……」
「うん、闇夜神で間違いない」
心臓がギュッと痛む。
「じゃあ……もう、彼は……わたしが生き返ったこと、知ってるのね」
「そうだろうね。君があの場から出るまで、少し時間がかかったけど……意表を突かれたんだろう。君を捉えそこなったようだから」
「どうして……黎凰とレオを……!」
声が震える。
「それは……僕にもわからない」
常世神は静かに首を振った。
「でも……彼は力と血に固執する男だ。理由があるとすれば……きっとそこにある」
「師匠がひとりで賢者の塔に入れない理由は……ここが、あなたの塔だから」
「そのとおり」
常世神は小さく笑う。
「本来、闇夜神は入れない場所。でも……君がいたから、特別に入れたんだ」
「……わたしが?」
「うん。君の中にある……純粋さ。その力が、彼の邪な願いをねじ伏せた。彼はそれを見越して……君を、そんなふうに育てたんだろうね」
アイラは絶句した。
……そうだったんだ。
「でも……入れても、最上階にはなかなか近づけなかった。君、覚えてるでしょ? 彼のために……ずっと空気を送り続けてたこと」
「……高山病、ね」
「そう」
常世神は、どこか楽しそうに笑った。
「彼は……大気を操る。逆に言えば、大気がなければ……彼は、ただの腕力バカ。物理攻撃しかできない」
「だから、ギャランは……」
「人間も、空気がなければ生きられない。……でも、闇夜神も同じだからね。神だから死にはしないけど、動けなくなる」
「じゃあ……どうしたら、死ぬの?」
アイラは、震える声で問いかけた。
ほんのわずかでも……希望がほしくて。
でも、返ってきた答えは――
「神は、死なない」
……その瞬間、アイラは言葉を失った。
どんなに強くなっても、どんなに努力しても、闇夜神は――不死。
「だからね」
常世神が、少しだけ声を低くした。
「君に、プレゼントを用意したんだ」
「……プレゼント?」
「もちろん……ただ、とは言わないけどね」
その笑みは、どこまでも優しくて、どこまでも残酷だった。
「……何を、対価にしたらいい?」
「簡単だよ」
常世神は微笑む。
「――闇夜神に勝ったら、君は……わたしのものになる。永遠に」
アイラは、ヒュッと息を呑んだ。
「……っ!」
「本来の賢者の石の目的通りにね。ここで、わたしを愛して、わたしのために生きてほしい。もし、それがつらいなら……今までの記憶、全部、消してあげる」
「……!」
「みんなが心配なら、君のこと……全部、忘れるようにしてあげることもできるよ」
「レ……レオの顔で……そんな酷いことを言わないで……!」
「まだ、姿のことを気にしてる?」
常世神は小さく笑う。
「愛する人を忘れたくないなら……この顔で、ずっといてあげることもできるけど?」
「ギャランだって……まだ未熟よ……妖界に戻ったって……!」
「戻ったって、うまくいかない?」
常世神は肩をすくめる。
「そんなことないよね。妖界ではもう……君の愛する人と変わらない力をつけてる。わたしが、冥界の王に頼んで君の眷属二人と、弟子が三人で、山のふもとで暮らしていく。君がいなくても、何の問題もない」
「……わ、わたし……」
「神との契約は、絶対だよ。……闇夜神に勝ったら、君のその……純粋な想い。全部、わたしのために使ってね」
アイラは目を閉じた。
レオ、ギャラン、彦、織……。
みんなの顔が、浮かぶ。
……これ以上、逃げ場はない。
「……わかった。約束する」
唇を震わせながら、でも、はっきりと言った。
「全部が終わったら……あなたのものになる。みんなの記憶も……全部、消して」
声がかすれた。
「ギャランと、彦と、織……みんなで幸せに生活できるようにしてあげて……」
レオ……ごめん。
……どうせ忘れられるなら、好きだって……言っておけばよかった。
でも……もう……今さらだ。
涙が、ぽろりとこぼれる。
どうして――わたしだって、幸せになりたいって――
どうして、願っちゃいけなかったんだろう。
「……愛し子を……悲しませたくないんだけどね」
常世神の声は、どこまでも優しい。
「わたしには、君が必要。でも……この後のみんなに、君は……本当に必要とされるのかな」
「……!」
「愛する彼は妖で……種族が違う。……終わったら、心変わりするかもしれないよ。眷属たちは、ずっとそばにいるだろうけど……君ではなく、ただ二人で生きるために君が必要。弟子も、もう立派に育って、君から……巣立っていく」
「……わたしは……」
……必要じゃ、ない?
そう言われて、アイラは涙を拭った。
たしかに――
わたしがこのままでいることが、彼らの幸せとは限らない。
「じゃあ――次にまた会うときは、君は……わたしのものだよ」
常世神の最後の言葉が、耳に残る。
白い光が、すーっと遠ざかる。
アイラの意識も、それに引き込まれるように、ふわりと――落ちていった。




