1 壊された結界と暴走した魔力
――結界が、割れた。
私は、玄関の方から聞こえたその音に、まるで世界が一瞬で揺らいだような気がして、急いで外へ向かった。
そして、見た。
目の前にいたのは――雷獣レオニダス。
妖の世界でも名の知れた彼が、魔女である私の家の前で、深く頭を下げている。
その異様な光景に、私の口から出た言葉は、冷えきったものだった。
「……相当な魔力じゃないの、この子」
そんなつもりはなかったのに、声は自分でも驚くほど冷たかった。
私は腕を組み、顔を上げないレオニダスを見下ろす。
この町《灯霞》に来てから、もう二百年。
結界を何重にも張り、私の家には誰も近づけないようにしてきた。
その努力を、あっさり破られた。
ただの通りがかりなら怒りはしない。でも、ここまで緻密に重ねた結界を壊されたとなれば話は別だ。
レオニダスがこうして頭を下げているのも、私がこの結界にどれだけの魔力と時間を費やしてきたか理解したからだろう。
「すまない。あなたがこの結界にかけた年月を思えば、許されることじゃない」
彼は真摯だった。謝罪の言葉も、態度も。
けれど私の関心は、正直――謝罪ではない。
(……この子、すごい力を持ってる)
レオニダスの後ろにいる、あの少年。
背は小さくて、まだ年端もいかないような外見。なのに、私の結界にぽっかり穴を開けたのは、彼だ。
(まさか、これほどとは……)
その中に渦巻く魔力が、荒削りで、けれどまっすぐで、美しいほど強い。
「名前は?」
私が声をかけても、少年は答えない。むしろ、私を睨んでくる始末。
まるで納得いかない、とでも言いたげに。
兄であるレオニダスが目で合図を送ると、渋々前に出てきた。
「ごめんなさい。魔女の家に来るだけで、こんなに怒られるとは思わなかったんだ」
ぶすっとした顔で言ってくる。
全く反省してない。
レオニダスがすかさず怒鳴る。
「何言ってんだ、お前! “来るだけ”じゃない!あの結界を見てわかんなかったのか!? 人の家を壊して、妖だろうと半妖だろうと人間だろうと、許されないだろ!」
そのまま少年の頭をがしっと掴み、床に押さえつける。
「え? 壊してないよ?」
少年――ギャランはきょとんとしたまま。
……見えてなかったの?
「これは“見える者”しか壊せない強力な結界。でもギャランは見えなかった。なのに壊した……つまり、完全に暴走。ただ、力任せに突っ込んできただけ」
私はそう判断した。
魔力の暴走。成長期の妖や半妖にありがちな現象。
なるほどね、と思いながら、空中に手をかざす。
空中にきらきらと浮かび上がるのは、蜘蛛の巣のような細い糸。
ギャランに見えるように視覚化すると、唖然としている
そこにぽっかり大きな穴
破れた結界を、簡易的な魔法陣で補修していく。
「とりあえずの応急処置よ」
結界の補修が終わると、私は玄関に戻ってふたりに笑いかけた。
「悩んだってしょうがないわ。壊れたものは直せばいいし、魔力の暴走なんて、成長期にはよくあることよ。ね?」
肩をすくめながら言ってやると、ギャランは小さくうつむき、レオニダスは困ったような顔をしていた。
「ちょうど美味しいお茶が手に入ったの。おしゃべりしながら飲みましょ。悩みは……そのあとでも十分よ」
――まあ。家を壊した罪は重いけど。
今は、それより気になることができた。
この子、ただの半妖じゃない。
彼の中に渦巻く力は、きっとこの先、何かを動かす。
私はそんな予感を抱きながら、家の中へとふたりを招き入れた。