9 妖界の母と二人の息子
《これまでのあらすじ》
半妖の少年ギャランは、力の暴走をきっかけに人間界の最強魔女・アイラの弟子となった。
朝は畑仕事、昼は薬屋の手伝い、夜は魔力と妖力の制御訓練。
兄レオニダスや店の仲間たちに振り回されつつ、
「自分の力」と「居場所」をつかむため、ギャランの修行生活が始まる――。
しばらくして。
夜空にきらりと流れ星、かと思いきや、それはまさに《彦》の帰還だった。
「お届けしてまいりました。了承いただきました」
軽やかな口調でそう報告すると、彦はふっと静かに着地する。
「最初からこっちに頼めば良かったわね」
アイラは肩をすくめながら、くるりと振り返った。
「じゃ、ふたりとも。ちょっと行くわよ」
そう言って、レオニダスとギャランに声をかけると、すたすたと部屋の奥のドアへと向かった。
「えっ、今からお出かけ?」
思わずギャランが聞き返す。
外を見れば、赤提灯はすでに消えていた――つまり《青提灯》の時間、妖たちが目を覚ます《妖時間》の始まりだ。
ギャランにとっては、まだあまり良い思い出のない時間帯。
あの世界では“半妖”というだけで冷たい視線を浴びることもあった。
嫌がらせこそ減ったとはいえ、胸の奥にはずしんと重たい不安がこびりついたままだ。
「ううん、下には降りないから安心して」
そう返したアイラは、ドアの前で立ち止まり、右手を扉の方向にかざす。
左手には、淡く光る魔法陣がふわりと出現し、それをなぞるように右手の“魔法ペン”でなにやら描き直していく。
魔法陣の線が完成するやいなや、パチンと音がして、ドア全体がピンクの妖力と黄色の魔力をまとい――
「よし、開通っと♪」
ぱちんと指を鳴らすと、魔力の光が収まり、そこには一見すると“普通の扉”が現れた。
しかし、その向こう側には“普通じゃない空間”が広がっていることを、ギャランにはなんとなく察せられた。
そして次の瞬間。
「ヤッホー! 黎凰ちゃん、来たよーっ!」
満面の笑みでアイラがその扉を開け――スタスタと中へ入っていく。
「……か、母ちゃん……!?」
「……母さん……」
先に続こうとしたレオニダスとギャランの顔が同時に引きつった。
レオニダスは「しまった!」という顔をし、ギャランは目を見開いたまま固まっている。
(えっ、いま“母さん”って言った!?)
「んも〜〜、アイラちゃん。もっと早く来てくれると思ってたのにぃ。連絡、遅すぎ〜!」
そう言って頬をふくらませたのは――レオニダスとギャランの“母”にして、この家の主、黎凰だった。
その見た目は、年齢不詳の艶やか美女。だが口を開けば、まるで旧友のようなノリの良さである。
「ごめんごめん、状況整理と問題点の洗い出しが基本でしょ? 今日は急だったから何も準備してないけど、明日は人間界で“招き猫の白甘酒”買ってくるから」
「え〜〜〜〜っ! あれ超ひさしぶり〜〜! 飲みたい飲みたい! ほら妖界のお酒って、猫はまたたび、虎もライオンもネコ科だから“雷獣もまたたび酒でいいだろ”みたいな雑なノリじゃない? そうじゃないのよー!」
「わかる〜。フルーティーなのとか、香りの良いやつ、欲しくなるよねぇ〜〜!」
止まらないガールズトーク。
視界の端で、レオニダスとギャランが石像のように直立不動で固まっていた。
(……話、入りづらすぎる)
ギャランはそっと隣の兄に目線を送るが、レオニダスも目を泳がせたままだ。
と、そのとき――
「そういえばさ、アイラちゃん? なんでレオニダスがここにいるの? まさか……嫁にでもなりたいとか?」
黎凰がニヤリと笑って振り返る。
「なるかいっ!」
即答でアイラがツッコむ。
「このボンクラがね! ギャラン君を“心配してる”とか言いながら、毎日うちに夜這いしてくるのよ!? 結界までぶっ壊して! しかも、毎晩激し――」
「やめろおおおおおおおおおっ!!!」
レオニダスが耳まで真っ赤にしながら叫んだ。
「なんですってぇぇぇぇぇ!!?」
今度は黎凰が雷のような声で応戦。
ゴゴゴゴゴ……と、背後に見えない圧が立ち上るのを感じて、ギャランはそっと二歩、下がった。




