第六話 強欲に蝕まれる街
違和感は、小さな市場通りにあった。
ギルド裏通りから東へ三つ目の角を曲がった先、露店が並ぶ小さな広場。
かつての俺も、仲間と共に立ち寄った記憶がある場所だ。
だが、今はまるで別の街区のように変貌していた。
人々の表情が異様に明るすぎる。
財布の紐も、言葉も、視線も全てが緩い。
いや……違う。
“緩んでる”んじゃない。
“奪われてる”んだ。
俺の中の《憤怒》が警鐘を鳴らしていた。
周囲から漂う魔素の流れが、どこか不自然だったのだ。
強欲――それは、単なる金品や権力への執着ではない。
“他人のものを欲する”という感情そのもの。
そして、もしその力が《スキル》として発現しているなら……。
人の心すら、操れる可能性がある。
奪う。
命ではなく、意思を。
そう考えた瞬間、俺は立ち止まり、視線を向けた。
小さな喧騒の中、露店の奥で女が誰かと話していた。
見覚えのある銀髪。
細い指。
薄く笑う口元。
――ロカ・ハーリス。
その表情に、俺は既視感を覚えた。
昔のロカは、こんな顔じゃなかった……。
笑わなかった。
常に冷ややかで、理詰めで、感情を押し殺していた。
だが今、彼女の顔には不自然な“柔らかさ”がある。
そして、彼女と話していた相手――
数分前まで威勢よく客を怒鳴りつけていた露店の男が、
まるで従順な奴隷のように、頷いていた。
……やはり、“操ってる”。
確信した。
ロカは《強欲》を手にした。
欲望を読み取り、操作する力。
それは恐らく、他者の意思を“買える”ようなものだ。
この街で、何人がもう“彼女のもの”になってる?
背筋が冷えた。
いや、逆に言えば、だからこそ今は手出しできない。
彼女に操られている者たちは、単なる一般人だ。
無理に動けば、真っ先に俺が“加害者”にされる。
やるなら、確実に。
証拠と構造を押さえた上でだ
俺は再び通りを離れた。
路地裏に紛れ、ロカが広場を去るまでの時間を稼ぐ。
そして、ふと気づく。
ポケットに仕込んでいた《感知札》――かつてロカ自身が設計した探知式アイテム――が微かに反応している。
魔力反応……“契約の印”か?
スキルを用いて交わされた強制契約。
それが発動している痕跡が、札を通じて波紋のように伝わってくる。
やっぱり、“縛ってる”んだ、あいつ。
欲望に訴えかけ、誘惑し、契約を結ばせる。
表面上は善意や好意に見せかけて、他人の心と意思を売買する――
それが《強欲》の使い方なら、俺たちの目的は真っ向から対立する。
“怒り”は他者を縛らない。ただ、自分の内に燃えるだけだ。
それを誇りに思う自分がいた。
ロカと俺は、今やまったく異なる道を歩んでいる。
そして、その道はいつか――必ず交差する。
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夜が深まると、街の空気は少しずつ変わっていく。
光の届かない路地裏に、沈黙が降りていた。
だが、沈黙こそが不自然だった。
この辺りは本来、子供の駆け回る音や、下町の喧騒に満ちていたはずだ。
歩く俺の前方に、小さな影があった。
ボロ布を纏った少年。
歳は十歳前後。
痩せ細った体。
ただの浮浪児かと思ったが、すぐに違和感があった。
魔力の……痕?
額にかすかな紋様。
目の光――そして、感知札が強く反応した。
この少年も、縛られている。
俺は静かに声をかけた。
「……おい、こんなところで何してる?」
少年は、反応を見せない。まるで機械のように、首だけを動かした。
「命令待ちです。次の指示が来るまで、ここで動くなと。」
「誰からの命令だ?」
無表情のまま、少年は答えた。
「“強き者”より。“導き手”より。ロカ様より。」
胸の奥に、確かな怒りが立ち上った。
子供を――しかも、何も知らない弱者を、《強欲》の力で縛っている。
欲望を操ることで、“自由意思”さえ踏みにじる。
それはただのスキルの使い方ではない。支配だ。
「……お前、本当はどうしたい?」
「わかりません。考えようとすると、痛みが来る」
その一言で、すべてが確信に変わった。
ロカは《強欲》を通じて、“感情”そのものを上書きしている。
欲望を餌に、自由と自我を奪い、命令に従わせる――それが今のあいつの“やり方”だ。
ふざけるな……。
拳を握る。
血が滲むほど強く。
この怒りは、衝動じゃない。
憤怒の力に呑まれるのではない。
俺が、俺自身の意志で、正義として怒っている。
“怒り”は、誰かを縛るためにあるんじゃない。
誰かを守るために、立ち上がる力だ。
俺はしゃがみ込み、少年と目線を合わせた。
「今は逃げられない。でも、いつかその印は外せる。……絶対に。」
その言葉が届いたのか、少年の瞳に一瞬だけ、本来の光が戻った気がした。
ルクスが立ち上がる。
更なる怒りを携えて。
準備は整った。
次に動くのは――俺だ。
この街に潜む《強欲》の根を断ち切るために。
かつての仲間、“ロカ”と再び向き合うために。
そのために、俺の怒りはある。
復讐という名の誓いが、また一歩、現実に近づいていく。