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第五話 地上に還る影

 地上の空気は、思っていた以上に薄かった。


 いや、違う。

 俺の身体が変わってしまっただけだ。

 濃密な魔素が漂っていた深層の迷宮に比べれば、町の空気はまるで味のない水みたいだった。


 こんなにも、違うものか……。


 振り返れば、あのダンジョンの最奥。

 血と怒りと闘争の渦中で、俺は確かに“何か”を得た。


 ただの記録係だった俺に、《憤怒(ラース)》という名の原初スキルが宿った。

 怒りに導かれ、力を得て、そして――生きて戻ってきた。


 今の俺の姿を見ても、あいつらは気づかないかもしれないな。

 擦り切れた冒険者のマント。

 変わってしまった体つき。

 それに、あの頃の俺が持っていなかったもの――“殺意”。


 視線を逸らし、フードを深く被る。


 今はまだ、名乗る時じゃない。


 踏みしめた石畳の感触が懐かしい。

 数ヶ月前まで、俺もこの町の一角で生活していた。

 勇者ガルヴァン率いるS級パーティ《光剣の誓約》の一員として。


 あの頃の俺は……役に立ちたいと願ってただけだった。

 戦闘能力のない補助職《記録士》。


 役立たず。

 足手まとい。

 空気。


 そんなふうに言われても、俺は信じていた。

 役割はあると。


 けれどあの日、俺は“置き去り”にされた。


 殉職扱い。

 帰還不可能な死地に捨てられた“荷物”。


 それが、勇者様の下した判断だった。


「……戻ってきたぞ、ガルヴァン。」


 口の中で呟くと、怒りが喉の奥でじんわりと燃える。


 だが、今はそれを押し殺す。

 目的は、奴らの動向を探ること。

 特に、《強欲(グリード)》のスキルを手に入れた者の存在。


 情報収集のため、酒場を目指す。


 《冒険者の休息亭》。

 町で最も口が軽く、耳が鋭い連中が集まる場所。


 重い扉を開くと、昼下がりにも関わらず店内は賑やかだった。

 低ランク冒険者たちの笑い声。

 中央では、Bランク級の若手が討伐成果を語っている。


 誰が何を知っているか……。

 とにかく、聞き耳を立てるしかないな。


 カウンターの隅へと腰を下ろし、水だけを注文する。

 フードを深く被り、周囲の会話を拾い始める。


「――なあ、聞いたか? 最近じゃ《光剣の誓約》がまたひとつ依頼を制圧したってよ。」


「マジかよ。あのパーティ、もう人間の域じゃねぇな……。」


「いや、それだけじゃねぇ。噂じゃ、リーダーのガルヴァン様が“未知の力”を使ったって話だぜ。従わせたモンスターが、人語を喋って命令に従ったとか、なんとか……。」


 心臓が、ひとつ跳ねた。


 未知の力……?

 人語を操る魔物?


 思い出す。

 試す者が言っていた言葉。


 《強欲》は既に“別の者”の手に落ちている、と。


 ガルヴァン――いや、“誰か”がその力を手にし、制御し、使っている。


 人や魔物の“欲望”を操作する。

 それこそ、《強欲》の本質だとしたら――


 あいつらの中に、原初を持つ者が本当に……いる。


 戦慄と興奮が同時に湧き上がった。


 自分だけの特別な力だと思っていた。

 だが違った。

 これは“戦い”だ。

 原初を巡る、新たな争いが始まっている。


 しかも、相手は――かつての“仲間”。




/////




 酒場のざわめきは、まだ耳に残っていた。


 “未知の力を使った”という噂は間違いなく真実だ。

 問題は、それを手にしたのが“誰か”ということ。


 ガルヴァンか、ゼドか、ユレイラか、ロカか……。


 脳裏に浮かぶ四人の顔。

 それぞれが異なる野心と性格を持っていた。


 力に執着していたのは誰か。

 誰よりも欲を隠し持ち、誰よりも“強欲”に選ばれそうな人間は――


「……ロカ。」


 自然とその名が口から漏れた。


 《記録士》だった俺と違い、彼女は《情報参謀》としてパーティの判断を担っていた。

 徹底した分析家であり、リーダーであるガルヴァンの補佐役。

 何より、常に“自分以外の全員”を下に見ていた。


 思い出すたびに、冷えた背筋が疼く。


 ロカが“強欲”を手にしたなら――

 最悪の事態が起きている可能性すらある。

 力を欲し、他人を駒とし、世界をその掌に収めようとするタイプだ。


 まずは、奴らの動向を……。

 そう考えながら、俺は町の外縁部――冒険者ギルド支部の掲示板へと向かった。

 大規模なパーティが請ける任務には、記録と報告が必要になる。

 そして、それは掲示板にも簡易報告という形で残されている。


 ――あった……。


 《光剣の誓約》――ガルヴァン率いる英雄パーティ。

 一週間前にランクA級のダンジョン“深碧の庭園”を制圧。


 参加メンバーにはガルヴァン、ゼド、ユレイラ、ロカ。

 見慣れた名前だ。

 ……そして、俺の名前は当然どこにもない。


 だが、報告の末尾に気になる一文があった。


“報告者:副隊長ロカ・ハーリス。尚、詳細内容の閲覧には許可証が必要。”


 ロカが、報告を一手に握ってる……?


 かつてのロカは裏方に徹していた。

 だが今は副隊長?

 立場が変わったのか、それとも――


 いや、奴の性格からして、“変えた”んだ。

 俺を排除したように、自分の都合のいいように物事を動かしたのだ。

 仲間ですら、自分を高く見せるための装飾として扱っている。

 力を手にした人間の行動として、あまりにも自然すぎる……。


 すると、不意に背後から声がかかった。


「おい、お前……。どこかで見た顔だな」


 振り返ると、見覚えのある顔があった。

 ギルド所属の警備隊員。

 以前、任務の付き添いで何度か顔を合わせた男だ。


「いや、気のせいか。……でも、妙な気配がある。最近、死人が戻ってきたって噂もあるからな。」


 不味い……。

 ここで顔が割れれば、準備も何もできていない今、動きづらくなる。


「ただの旅人だ。ダンジョンの調査で、ここに流れ着いただけだぞ。」


 低く、くぐもった声でそう言って、その場を離れる。

 警備隊員は訝しげな視線を送ってきたが、深く追ってくる様子はなかった。


 今はまだ、動く時じゃない。情報が足りない。

 俺は再び、フードを深く被った。


 ロカが《強欲》を手にしたのか、それとも別の誰かなのか。

 はっきりするまでは、俺はただの影でいい。


 けれど、一つだけ確信がある。


 ロカが、俺を捨てた中心人物だった。

 あの時の視線、冷笑。

 そして、殉職処理という最終判断。


 俺の怒りは、そこに根を下ろしていた。


「次に会う時は……お前の全てを、暴いてやるよ。」


 静かに呟いて、ギルドの裏通りへと身を滑らせた。

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