第三話 咆哮する原初
意識が浮上する。
冷たい石の床、湿った空気、血の味が口の中に広がっていた。
だがそれ以上に、心臓が焼けつくように熱い。
内側から煮えたぎるような衝動が、全身を突き動かしていた。
「俺は……裏切られたんだ。」
忘れられない。あの冷たい声。振り返らずに去っていった背中。
誰一人、俺を振り返ろうとはしなかった。
「なぜだ。俺はあんなに、皆のために……。」
喉元までこみ上げてくる怒りを、押し殺す必要はなかった。
むしろ、それは俺を導く声に変わった。
『選ばれし者よ。汝の怒りは、如何ほどか。』
その問いに、俺は無意識に手を伸ばしていた。
黒剣に、何かに――いや、“力”に。
祭壇に突き立てられたそれは、まるで俺を待っていたようだった。
そして、触れた瞬間、世界が裏返った。
黒い奔流が、俺の内側を満たしていく。
理性が揺らぎ、感情が渦巻き、かつてないほど“自分自身”を感じていた。
これは怒りじゃない。
怒りそのものになっていく。
《原初スキル:憤怒》
《効果:精神統制解除・魔力増幅・自己再生・形態変化・怒炎顕現》
《制限:感情値の昂りにより発動/程度により使用中は自己制御不能》
情報が脳に焼き付けられる。だがその意味を解析する余裕はない。
ただ分かるのは、俺が変わり始めているということ――。
「グッ……はぁっ……!」
腹の底から絞り出すような呻きが漏れる。
皮膚が焼け、血が沸き立つ。
筋肉が膨張し、骨が軋みを上げる。
理性の壁が崩れ、代わりに心の奥底から湧き出る“本音”が姿を現す。
「全員ぶっ壊してやる……。」
あの傲慢なガルヴァンも、見下しながら笑ってたゼドも、冷たく目を逸らしたユレイラも。
俺の存在を記録係としか思ってなかったロカも。
この怒りを、見せつけてやる。
視界の端が赤黒く染まった。
俺の足元にあった石床が、知らぬ間に砕けている。
踏みしめただけで、そこが陥没するほど力が増していた。
そのとき、周囲の魔素がざわめいた。
……何かが来る。
俺は剣を構えた。
自分の意思じゃない。身体が勝手にそうしていた。
影が現れた。
異形の魔獣。
牙と爪と甲殻に覆われた、常識では測れないサイズの化け物だ。
こいつが、ダンジョンの奥に潜んでいた真の脅威か――?
「来いよ……。」
低く、吐き捨てるように呟いた。
理性がどんどん遠ざかっていくのが分かる。
けれど、それが怖くなかった。
寧ろ、気持ちよかった。
これまでに無いほどに。
「全部壊してやる……俺を捨てた、この世界ごと……!」
魔獣が突進してくる。
地響きを立てながら迫る巨体。
だが俺は一歩も退かなかった。
剣を振り上げ、黒い魔力を纏わせた。
――その瞬間、轟音が響いた。魔獣の肩が裂け、甲殻が吹き飛ぶ。
強い……これが、憤怒の力か……。
身体が熱い。叫びたいくらいに、今の自分が“生きている”と感じる。
このまま、全部ぶつけてやる。
怒りも、憎しみも、裏切られた痛みも。
そのために、この力は俺に与えられたのだ――!
思考が、燃えていた。
目の前の魔獣の唸り声も、踏み鳴らす音も、もう耳には入らない。
ただ、この拳、この剣、この力で叩き潰すべき“対象”としてしか認識できなかった。
速い……でも、見える……全部、見える。
魔獣が跳躍し、爪を振り下ろす。
だが俺はそれを見切り、体をひねって回避。すぐさま右腕に力を集中させる。
黒い魔力が奔る。
剣ではなく、拳を使った。
振り上げた拳が空気を裂き、直撃した魔獣の頭部が爆ぜた。
甲殻の破片が飛び散り、血と臓物があたりに撒き散る。
俺の頬を、体を、それらが汚していくが――どうでもよかった。
楽しい……。
口元が笑っていた。
笑い声すら漏れそうだった。
こんなにも力に満ちている。
誰にも邪魔されず、何もかもを壊せる。
これが……“自由”か……。
怒りが、呪いではなく翼に思えた。
痛みも、裏切りも、喪失も、すべてを燃料に変えて飛翔する。
《憤怒》は、そういう力だった。
――だが。
『警告。感情値、閾値を超過。』
突如として、脳裏に冷たい警告音が鳴る。
『制御不能領域に到達。精神同調を分離開始――。』
何かが、切れる音がした。
意識が、ぼやけた。
自分が自分ではなくなる。
世界がぐにゃりと歪んでいく。
「……あれ? 俺は、何をして……た?」
血塗れの腕が見えた。
知らない場所に立っている。
崩れた柱、砕けた石畳、燃え上がる魔力の残滓。
気づけば、魔獣は跡形もなく消し飛んでいた。
「やったのか……俺が?」
喉が乾いていた。背筋が寒くなる。
自分が“何をしたのか”を、正確に思い出せない。
あのとき、どんな動きだった?
どういう力で倒した?
いや、それよりも――。
「……もし、あの場に、仲間がいたら……?」
想像しただけで、背筋が凍った。
この力を、あのまま振るっていたら。
怒りのままに暴れ続けていたら――
俺は、誰かを殺していたかもしれない。
目を閉じた。
深呼吸。
酸素が足りない。
だが、ようやく冷静さが戻り始めていた。
「……なるほどな。」
これは“ただの力”じゃない。
《憤怒》とは、怒りの感情に応じて力を与える代償に、“その怒りに支配される”スキルだ。
強さと引き換えに、俺は“自分自身”を手放しかけた。
「危ねぇな……けど。」
それでも、手に入れた意味は大きい。
これほどの力があれば、ガルヴァンたちに届く。いや、超えられる。
だが同時に、この力の扱いを誤れば――
……俺は俺じゃなくなる。
それが、今の最もリアルな恐怖だった。
祭壇の側に戻ると、黒剣はすでに赤い光を失い、ただ静かに突き立っていた。
“力”は得た。
代償も、理解した。
なら次にすべきは――
「……上へ戻る方法を探すか。」
地下の深層は静かだった。
だがその静寂の奥底に、ルクスの決意がしっかりと根を下ろしていた。
ここから這い上がってやる……一歩ずつでも。あいつらの背中を追いかけるんじゃない、俺が……。
――踏み躙る。
怒りと共に、ルクスは動き出した。
書き忘れていたため、ここにルクスの使用可能なスキルを載せておきます。
すみません。
【パッシブスキル】
《怒気解放》:精神に怒りが燃えた時、自動的に身体能力と魔力量が向上。
被弾や損傷によって怒りが増すほど、出力が比例して増加。
一定以上の怒気で、瞳が赤く発光する。
【アクティブスキル】
《赫ノ牙》:炎を纏った拳で対象を貫く攻撃。怒りの度合いに応じて威力が増す。
《爆炎連撃》:怒りを拳に込め、敵を押し潰すような連撃。
(上記二つの併用は可能)
《終牙》怒りの極限で放つ“決着”の一撃。魔力全解放による自傷リスクあり。
【例外】
《怒炎顕現》:パッシブとアクティブ両方を持ち合わせ、制御可能な感情の炎。
あくまで現状使用可能なため、これから増えていきます。
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異世界叙事詩専門店【Geist】より。