第二話 固定の絆という呪い
迷宮第五階層――最奥部へと続く螺旋通路を、ルクスたちは沈黙のまま進んでいた。
岩壁に反響する足音だけが響く中、前衛を務めるガルヴァンが手を挙げた。
「停止。前方、魔力の揺れを感じる。……ロカ、分析を。」
「魔石の密度が上がってる。変異体の可能性が高い。」
ロカの報告に、ゼドも眉をひそめる。
「罠じゃないが……動きが不自然すぎる。」
ルクスは壁際の魔素の流れを魔導具で読み取りながら、低く声を出す。
「この通路、再構成が進んでる。地図の形状が変わってる。以前の記録とは一致しない。」
「なら、無視する。情報が役に立たないのなら、判断は俺がする。」
ガルヴァンの応答は早かった。
反論する隙すらない。
それは最適解のようにも見えるが、ルクスにはどこか引っかかるものがあった。
進行が再開される。
先頭はゼド、次にガルヴァン、ロカ、ユレイラ、そして最後尾がルクスだった。
この配置に違和感はあった。
かつては自分が中央で全体の動きを補佐していた。
だが今、自分は“誰にも見られない位置”にいる。
……俺は、情報だけを提供する存在ってわけか。
そんな考えが浮かぶたびに、胸の奥が冷えていく。
「左手に隠し扉。痕跡あり。」
ゼドの報告に、ロカが即座に結界の準備を始める。
「敵の伏兵かもな。ガルヴァン、どうする?」
「開ける。ゼド、用心して進め。」
判断はすべてガルヴァンの中で完結していた。
ルクスは、何も問われない。助言する間も与えられなかった。
隠し扉の先は細い通路だった。一行は一列に並び直して進む。
その間、ルクスは周囲の魔力流を観測し、敵の気配を探っていたが――前の仲間たちの声は届かない。
突然、前方から叫び声が響いた。
「来るぞ! 魔物だ!」
ぬるりと現れたのは、甲殻に覆われた巨大な魔獣。
異常な再生力を持つ“アラグナの変異体”だった。
ゼドが瞬時に攻撃を仕掛け、ロカの雷撃が重なり、ユレイラの支援魔法が展開される。
連携は完璧だった。だが、その中にルクスの居場所はなかった。
「魔核は背部……再生器官は腹側に集中、攻撃誘導を……。」
口に出した分析結果も、誰の耳にも届かない。戦場の喧騒がすべてを掻き消していた。
やがて、ガルヴァンの大剣が魔獣の首を斬り裂き、アラグナは絶命した。
魔力が霧散し、静寂が戻る。その時だった。
「次の分岐で陣形を変える。ルクス、お前はそこで待機だ。」
唐突に放たれた指示。
そこには配慮も戦術的意図もなかった。
ただ、そこに“置いていく”ことが前提のような声音だった。
「了解……。」
声が震えそうになるのを、ルクスは無理やり押し殺した。
かつて、ルクスの指示なしにはこのパーティは成り立たなかった。
ルート構築、戦闘導線、物資運搬、記録と報告。
ルクスの支援があったから、皆が無傷で帰還できていたはずなのに――。
今、自分は、ただの“その場しのぎの人員”だ。
記録係であり、足手まといであり、切り捨てても影響のない存在。
理解はしていた。
だが、認めるにはまだ、心が追いついていなかった。
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待機指示を受けたルクスは、通路の角に身を寄せた。
背後では仲間たちの足音が遠ざかっていく。
彼らは何も言わなかった。
ただ命令通りにルクスを残し、前へと進んでいった。
……まさか、とは思いたくなかったけど。
胸の奥で、何かがはっきりと崩れる音がした。
あれほど信じた絆は、言葉もなく断ち切られた。
通路の冷気が肌を刺す。
いや、違う。
全身から熱が引いていた。
呼吸が浅くなり、膝がわずかに震える。
このまま置き去りにされる?
いや、次の部屋で合流する予定……だったはずだ。
必死に理屈を探す。
だが、そう思えば思うほど、仲間たちの背中は遠ざかっていく。
まるで、もう二度と戻ってこないと知っていたかのように。
唐突に、頭上の天井から軋む音がした。
反射的に見上げた次の瞬間、視界が真っ白に染まる。
転移魔法ではない。
これは――罠。
床が抜けた。
ルクスの身体は、重力に引かれるままに落下していく。
「ッ、くそっ――!」
思わず叫ぶ。
暗闇の中、身体を岩に打ちつけながら、無数の光が視界を掠める。
そして――落下の衝撃と共に、意識が断ち切られた。
目覚めたのは、どれほどの時間が経った後だったか。
全身に鈍痛が走り、手足が思うように動かない。
だが、奇跡的に致命傷はなかった。
魔具の自動防護が働いたのだろう。
服は裂け、血が滲み、傷だらけだったが、彼は生きていた。
光のない空間。
湿った空気。
崩れた石柱と、歪んだ地形。
ここは第五階層の最下層――構造図にも載っていない“隔離領域”。
「まさか……こんな場所が……。」
呟いた声は反響しなかった。
孤独だけが、空間を支配していた。
ルクスは体を引きずりながら立ち上がる。
魔具の光を頼りに周囲を確認しようとした、その時。
視界の奥に、何かがあった。
石で組まれた祭壇。
だが、今まで見たどの遺跡とも異なる“意図された形状”。
そこに、一振りの黒剣が突き立てられていた。
黒く、深く、そして……呼んでいた。
刃に刻まれた赤い紋様が、ルクスの心臓の鼓動に同調するかのように脈打つ。
「……これは。」
足が、勝手に前へと進む。
傷の痛みも、疲労も、その瞬間だけは忘れていた。
手を伸ばす。
刹那、耳元に声が響いた。
『選ばれし者よ。汝の怒りは、如何ほどか。』
その声が脳髄を貫いた瞬間、ルクスの奥底に沈んでいたものが、一気に噴き出した。
怒り――否、それは怒りの皮を被った、絶望、喪失、裏切りの総体だった。
なぜ、自分だけが切り捨てられたのか。
なぜ、何の説明もなく、ただ命令だけが突きつけられたのか。
どれだけ支えてきた? どれだけ身を削って、命を懸けてきた? 仲間の傷を、弱さを、欠点をすべて補って、それでもまだ足りないというのか?
ガルヴァン。
お前は一度でも、俺を“仲間”だと思っていたのか。
目を合わせず、指示だけを投げて、それが“信頼”だと?
ならばなぜ、置いていった。
なぜ、最後に一言の説明すらくれなかった。
ロカ。
お前の魔法が命を救った日を覚えている。
俺はその術式を補強し、発動速度を最適化した。
それで命中精度が二割も上がったと笑っていたよな。
だが今や、俺にかける言葉すら惜しいのか。
ユレイラ。
戦場で叫びながら泣いたお前を、誰が支えた?
仲間を喪った罪悪感に潰されそうな夜、俺がそばで話を聞いたのを、覚えてないとでも言うのか。
そして、ゼド。
あの日、毒に倒れたお前を背負って走った俺を、お前は見ていなかったのか?
全部、全部、無かったことにするのか。
戦った日々も、重ねた言葉も、流した血も、支えた想いも。
全部、すべて、不要だったと?
――許せない。
自分が無能だったのなら、仕方ないと割り切れた。
だが、そうじゃない。俺は必要だった。
誰よりも多くの時間を費やし、誰よりもこのパーティのために働いた。
それを“価値がない”と切り捨てたのは、あいつらだ。
そのくせに、堂々と進んでいく。
俺を切ったことでより強く、より洗練された陣形になったとでも思っているのか。
ならば、見せてやる。
“怒り”がどれほどの力を生むのかを。
裏切られ、捨てられた者の恨みが、どれほどの深淵を生むのかを。
俺の中の怒りは、ただの感情ではなかった。
それは魂そのものを歪め、魔力へと変換される原初の衝動。
言葉にならない憎悪が、血管を焼き、骨髄を焦がし、心臓を貫いていく。
刹那――。
全身から蒸気が噴き上がり、黒い魔力が爆ぜた。
《憤怒》は、ついにその姿を顕現する。
そして、黒剣から放たれた黒き光が、ルクスを包み込んだ。
次の瞬間、ルクスの脳裏に直接、情報が流れ込む。
《原初スキル:憤怒》
《効果:精神統制解除・魔力増幅・自己再生・形態変化・怒炎顕現》
《制限:感情値の限界突破時のみ発動/程度により使用中は自己制御不能》
呼吸が荒くなる。
感情が暴れ、理性を押し流す。
それでも――ルクスは、はっきりと理解していた。
この力が、“誰か”に与えられたものではないということを。
これは、裏切られた者にだけ与えられる、対価。
「復讐する。あの全員を……必ず、地に堕とす。」
目の奥が、血のように赤く染まった。
地に捨てられた男は、今ここに、“原初”となった。
調子が良いため、第一章の間は一日二話投稿の予定です。
(19時と21時)
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異世界叙事詩専門店【Geist】より。