第十七話 怒りの継承者、旅立ちの決意
ヘルミア村の騒動から一夜が明けた。
朝霧が村を包む中、ルクスとレアは、村長の屋敷に呼ばれていた。
「……改めて、お礼を言わせてくれ。君たちが来てくれなければ、我々は……。」
老人の声は震えていた。
昨夜の混乱、そして“強欲の器”によって狂わされた村人の姿は、誰の心にも深く傷を残していた。
「もう魔具の残滓は残ってない。村の外にまで魔力の干渉が及ばないように、結界を張ったよ。」
レアが静かに報告すると、村長は深々と頭を下げた。
ルクスはそのやり取りの後、淡々と切り出す。
「一つ、聞かせてくれ。この村に、“東の街道へ向かった不審な旅人”の情報はあるか?」
村長は少し考えた後、頷いた。
「……いたよ。三日前、黒いマントを纏った女性が、一人で東の街道を抜けていった。言葉少なで、だが鋭い目をしていた。……正直、関わらなくて良かったとすら思った。」
「それで充分だ。……礼を言う。」
ルクスの中で、情報が繋がる。
東の街道――その先にあるのは、交易都市。
各国の商人が集い、人も物も溢れる街。
強欲の継承者、ロカ。
“奪う力”を欲する者が向かうには、あまりに都合の良い街だ。
「ロカが動いているなら、次の原初スキルの所持者にも接触を始めている可能性がある。」
「急がなきゃ。私たちも動こう、カイ。」
村長からの報酬を受け取り、二人は屋敷を出る。
陽光が村を照らし始める中、レアが小声で呟いた。
「カイは……ロカに会ったら、どうするつもり?」
「……話し合いで済む相手なら、とっくにこんなことにはなっていない。」
「そっか。じゃあ、戦う覚悟はもう決めてるのね。」
「ああ。だが、それだけじゃない」
ルクスは荷物を背負い直し、真っ直ぐに空を見た。
「俺は、自分の《憤怒》を証明したい。怒りは破壊の感情じゃない。……奪われた者が、奪い返すための正当な手段だって、示してやる。」
その言葉に、レアは小さく頷いた。
「うん。……私、カイのそういうところ、好きよ。」
「……そうか。」
軽く息を吐いて、歩き出す。
東の空に、昇りはじめた太陽が眩しく光っていた。
旅の先には、また新たな“罪”が待っている。
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村を発って半日――。
街道を進むルクスとレアの前に、一つの分岐点が現れた。
片や山を越える近道、もう一方は森を抜ける遠回りの道。
「……どうする?」
「山道は距離は短いけど、通る人が少ない分、魔物の巣になってる可能性が高い。けど、カイなら……。」
「行くぞ、山道だ。」
ルクスの即答に、レアが小さく笑う。
「うん、そう来ると思った。」
山道は、案の定荒れていた。
枯れた枝が散乱し、獣の足跡が土に刻まれている。
時折濃い魔素の揺らぎが漂い、通常の旅人ならば引き返すだろう。
だが、ルクスは足を止めなかった。
その背に、赤い意志が燃えている限り。
そして、その“赤”に、もう一つの“影”が寄り添っていた。
「カイ、待って。」
レアが、進行方向の先――崖の影を指差す。
「何かがいる。」
ルクスが視線を鋭くした瞬間、そこにいた“それ”は動いた。
漆黒の外套を纏い、頭部は兜で覆われた異形の存在。
両腕には鉄鎖が巻かれ、背には巨大な“偽りの剣”を携えている。
「誰だ……。」
声を発した瞬間、その存在が応えた。
「継承者──否、“模倣者”。我は汝の《怒り》を試す者」
その言葉に、ルクスの眉がわずかに動く。
“模倣者”――この言葉は、ある可能性を示していた。
「……まさか、お前も《原初スキル》に触れたのか?」
「否。我は模倣せし存在。“原初に至らず、されど近き者”。汝の《怒炎顕現》を模し、力の価値を計る。」
次の瞬間、赤黒い魔力が敵の身体から吹き上がった。
──それは確かに、ルクスの《怒炎顕現》に酷似した気配。
「……成程な。コピーか。だが、薄い。怒りの芯が、通っていない。」
ルクスは構える。
相手の動きは鈍くはない。だが、“本物”ではない。
模倣された憤怒に、憤怒の本質で応えるだけだ。
「レア、下がってろ。」
「うん。……でも、カイは一人じゃないからね」
ルクスは地を蹴る。刹那、二つの“怒り”が激突した。
拳と刃が交錯し、赤と黒の残光が森に閃く。
敵の剣筋は重く鋭いが、どこか浅い。
思念の燃え残りのように、熱量が足りない。
「《赫ノ牙》!」
ルクスの拳が、相手の胸部を撃ち抜く。
そこから、模倣された魔力が霧のように霧散した。
──剣が落ちる。
仮面が砕ける。
その下にあったのは、“人ではない”。
おそらく魔具か、何者かの代理存在。
「……試されたか。まるで、次の継承者に導くかのように。」
レアが近づき、倒れた存在の断片を拾う。
「これ……魔力信号を記録する“記憶媒体”かもしれない。誰かが私たちの動きを見てる。」
「ロカか……あるいは別の“罪”か。」
ルクスは、赤い瞳を細める。
この先に待つものは、“ただの力比べ”ではない。
欲望、嫉妬、そして傲慢――まだ見ぬ継承者たちの意思と、どこかで交差する運命が、静かに幕を上げていた。