第十六話 残響する欲望、再び交わる因縁
丘を越えた先に、小さな集落が見えた。
“ヘルミア村”――地図にもほとんど記されていないような、ひっそりとした辺境の村。
しかし今、その村には異変の報が流れていた。
“人が、宝に取り憑かれたように暴れた”と。
「妙だな……魔獣の影は薄い。なのに、魔力の乱れが広がってる。」
ルクスは村の境界に足を踏み入れた瞬間、肌に粘つくような空気を感じ取っていた。
傍らにはレアがいる。
彼女は静かに村の空気を吸い込み、眉をひそめる。
「これは……欲望の匂い。甘くて、濃くて、歪んでる。」
「欲望?」
「うん。私たち《原初の継承者》なら、分かる。これは“強欲”の魔力……残滓。」
ルクスは目を細めた。
強欲。
それは大罪の一つにして、《光剣の誓約》――あの元パーティの誰かが、手にしたとされるスキル。
まさか、その力がこんな形で村に影響を与えているとは。
「……何者かが“使った”というより、“漏れ出た”ような痕跡だな。」
「おそらく、継承者がここを通った。もしくは、短期的に力を使った。でもそれが無差別に周囲へ影響を与えた……。」
レアの声にわずかに怒気が混じっていた。
大罪スキルは強力だが、それ故に――制御を誤れば、“周囲の人間の感情”をも侵す。
「……やっぱり、ルクスみたいに扱える人は少ないよ。」
「皮肉か?」
「違うよ。……本音。カイは怒りを剣に変えるけど、他の人は欲望を牙にするだけ。」
会話を終えた頃、村の中央にたどり着く。
広場の一角には、魔力で崩れた家屋。
そして、怯える村人たちが遠巻きに二人を見ていた。
「この辺りが……魔力の中心だ。」
ルクスが目を凝らすと、焼け焦げた地面の一角に、鈍く輝く“破片”が埋まっているのが見えた。
それは金属でも、宝石でもない。
明らかに“魔具の欠片”――何かのスキル発動媒体の残骸だ。
彼は手を伸ばして拾い上げる。
「……熱い。まだ魔力が残ってる。」
その瞬間、レアの目が鋭くなった。
「カイ。それ、多分“強欲の器”だと思う。」
「強欲の……器?」
「大罪の中でも、“強欲”だけは物質に宿ることがある。……一時的な器を通して力を拡散する。それが原因で、一般人まで欲に呑まれたのかもしれない。」
「……誰がこんなものを?」
もう既に答えは分かり切ってはいるものの、そう呟く、
──ロカ。
元パーティの計略士。
常に冷静で、知略に富み、そして──誰よりも“他人を支配したがる”気質だった女。
もし彼女が“強欲の継承者”であるなら……この器は、彼女の置き土産。
「カイ……?」
レアが、彼の袖を軽く引いた。
「怒ってる?」
「いや……冷静だ。寧ろ、今はこの力の拡散を止める方が優先だ。」
ルクスは欠片を布に包み、荷物にしまう。
そして、村の広場を見渡す。
「この村はまだ浸食されきってはいない。早い内に瘴気を断ち切る。」
「なら、私も一緒に。……嫉妬って、欲望の反作用だから。少しは抑えるのに役立つはず。」
「……頼んだ。」
かくして、ふたりは再び、歪んだ力の中心へと歩を進める。
――“強欲”の残響が、ルクスを過去へと引き戻そうとしていた。
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村の奥――崩れかけた納屋の中に、魔力の中心があった。
そこには一人の青年がいた。
年の頃はルクスと変わらない。
だが、その瞳は濁っていた。
焦点を結ばない眼差しの奥にあったのは、理性ではなく――欲望だった。
「お前らも……あの金の指輪が欲しいんだろ……?」
青年は震える手で、地面に転がる歪んだ金属片をかばうように拾い上げた。
“強欲の器”――それは、彼を通して魔力を吸い上げ、暴走の触媒になっていた。
「下がれ、レア。」
「分かった。……でも、放っておけない。あの人、心が壊れかけてるよ。」
ルクスは前に出た。
青年との距離を詰めながら、声をかける。
「その魔具を離せ。今のお前は、自分の意思で動いていない。」
「うるせェ……。これは俺のもんだ……誰にも渡さねぇ!」
魔力が爆ぜた。
青年の腕が黒光りし、筋肉が膨張する。
──疑似的な強欲のスキル効果。
所有衝動をエネルギーとして肉体強化に変える、異常な魔力の循環。
ルクスは拳を握りしめる。
感情魔力で強化された肉体。
ならば、抑えに使えるのは……。
紅い輝きが身体を包む。
《怒炎顕現》――怒りの魔力を全身に放出し、瞬時の戦闘能力を引き上げる。
「一撃で終わらせる。制御できるか……試してみろ、俺。」
疾駆。
足元に火の紋様が灯り、空気を裂いて間合いを詰める。
青年が咆哮し、獣のように突っ込んできた。
「《赫ノ牙》ッ!」
ルクスの拳が、青年の腹部に突き刺さる。
怒りを込めた一撃が、魔具の干渉を断ち切るように炸裂する。
──だが、同時に青年の目が、血走ったままルクスを睨みつける。
「返せ……俺の、宝を……!」
なおも立ち上がろうとする青年に、棘が走った。
レアの魔力だ。
彼女の嫉妬は、“欲を奪うもの”として、抑制に効果を持つ。
「ごめんなさい。でも、カイの邪魔はさせない。」
棘が青年の足を縛り、行動を封じる。
その一瞬を逃さず、ルクスが再び拳を構えた。
「終わらせる──!」
《爆炎連撃》
赤い拳が連打され、青年の全身に叩き込まれる。
魔具の破片が砕け、鈍い光が弾け飛ぶ。
やがて、青年はその場に崩れ落ちた。
「……気を失っただけだ。命に別状はない。」
「うん。でも……あの器。やっぱり、ロカが関係してる?」
ルクスは返答しないまま、崩れた金属片を見下ろす。
──強欲の器。その魔力の“癖”は、知っていた。
かつての仲間。
いつも、戦利品の分配にうるさかったあの女。
「間違いない。……ロカだ。」
その名を呟いた時、胸の奥で何かが軋んだ。
裏切られた怒り。
それでも一度は仲間だったという記憶。
そして、何故《原初スキル》を得て、こうして暴れ回っているのかという疑問。
そのすべてが、未消化のまま燻っていた。
「カイ……大丈夫?」
レアがそっと隣に立つ。
ルクスは拳を開き、深く息を吐いた。
「まだだ。これで終わりじゃない。ロカが強欲の継承者なら……他の大罪も、どこかにいる。」
「だったら、見つけて、壊していこう。あなたのために、私が全部……。」
「壊さなくていい。」
その言葉に、レアの目がわずかに見開かれた。
「……俺が、“奪う”。」
静かに、しかし確かに。
ルクスの中に、確固たる意志が芽生えていた。
──力を得た者たちから、正当な怒りをもって、その力を“奪い返す”。
それこそが、自分の《原初スキル:憤怒》に託された使命だと、ようやく理解し始めていた。