第十五話 歪な同道、嫉妬の影と怒りの剣
夜が明けきる前、ルクスはひとり、街の東門に向かっていた。
旅支度は最低限。宿に置いてきたものはない。
昨日の《灰の工房》での奇妙な出会い――あの少女の存在が、心に残っていたとしても、それが旅の足を止める理由にはならない。
付きまとわれるのは御免だが……あの力は、放っておくには危険すぎる。
嫉妬の原初スキル。
その継承者である《棘抱く者》。
彼女は確かに言った――“一緒にいたい”と。
だが、そんな歪な感情で同行を許すほど、ルクスは甘くない。
そう思っていた。
「……おはよう。いい朝ね、カイ。」
すでに門の前で待っていたのは、昨日の少女だった。
「……何故ここにいる。」
「予想通り、こっちから出ると思ったから。昨日の足音、進行方向、姿勢の癖……そういうの、見てると大体分かるよ。」
「……」
「それに、もし見失っても、あなたの“怒り”は私を呼ぶもの。……共鳴って便利ね。」
微笑む少女の目に、悪意はなかった。
ただ、明らかに“常識の枠”を逸脱している。
「言っておくが、俺は一緒に行くとは言ってない。」
「でも、私は一緒に行くよ? 勝手についてくるだけだから、問題ないでしょ?」
「勝手についてくるって……お前な……。」
「それに、旅って“出会い”じゃない? 出発の時点で一人増えてても不思議じゃないと思うな。」
理屈になっていない。だが勢いで押してくる。
ルクスはしばし黙ったまま、彼女を観察する。
……昨日と同じ。
あの棘の魔力も抑え込んでいる。
今のところ暴走の兆候はない。
なら……。
しばらくの間、彼女の魔力が手綱を握っていられるのなら。
それを“見張る”という意味でも――放置よりは、そばに置いた方が合理的だ。
「……名前は?」
「無いよ。あるにはあるけど、昔のは嫌い。カイが決めて。」
「……。」
「変な名前でもいいよ。カイが呼ぶなら、それでいい」
“名前すら他人に委ねる執着”。
その姿勢は、もはや“従属”に近い。
だがルクスは、それに飲まれることなく言葉を選ぶ。
「……じゃあ、仮に“レア”とでも呼んでおく。何か呼ぶ必要が出た時のために。」
「レア……ふふっ、嬉しい。じゃあ今日から私は“レア”ね。ずっと、ね。」
その笑みは、純粋に見えて、どこか壊れていた。
恍惚とした表情で、満足げにずっと反芻している。
ルクスはそんなレアを放って無言で歩き出す。
後ろから“レア”が自然に並びかけてくるのを、拒絶せず、追い払わず、ただ受け入れた。
「ねぇ。カイは次、どこに行くつもり?」
「北の村だ。魔獣の目撃情報がある。村人の依頼だな。」
「そっか。じゃあ私、カイの“盾”になるね。魔獣も、敵も、女の子も。」
「……最後のは、いらない。」
そのやりとりに、自分でも僅かに苦笑がこぼれたのを、ルクスは否定できなかった。
怒りの中にも、静かな温もりが芽生えはじめている――そんな感覚が、どこかで生まれていた。
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北方の丘陵地帯。
空はどこまでも晴れていたが、空気には緊張が混ざっていた。
ルクスとレアの二人は、依頼のあった村へ向かう道中、魔力の気配を感知して立ち止まっていた。
「……来るぞ。」
「うん。私も感じる。……嫌な匂い。」
風が吹き抜けると同時に、茂みの向こうから現れたのは、牙を剥いた三体の魔獣――《ブラッドハウンド》だった。
赤黒い毛並み、血に染まった爪。
狂気の残滓をまといながら、地面を削るように突進してくる。
「散れ。」
ルクスは地を蹴った。
瞬時に《怒気解放》が発動し、魔力が脚に宿る。
一体の魔獣へ飛び込み、拳に紅蓮を纏わせる。
「《赫ノ牙》──!」
炸裂。
怒りの拳が魔獣の側頭部を貫き、鮮血とともに吹き飛ばす。
だが、残る二体が脇から挟み込むように迫る。
「カイ、後ろ!」
レアが叫ぶ。同時に黒い棘が宙に踊り、二体目の足元を絡め取った。
「邪魔。あの子を見てるだけで、イライラするの。」
彼女の口から放たれたのは、明らかに魔力干渉の言葉だった。
――嫉妬の魔力。
感情を起点とした魔力操作が暴走を始める。
「落ち着け、レア。」
「ごめん……。でも、カイが誰かに傷つけられるのは、耐えられない。」
その魔力が再び広がり、地面の棘が急激に成長を始める。
ルクスは急ぎ、彼女の前に出る。
「俺は大丈夫だ。抑えろ、レア。暴走すれば、関係ないものまで壊すことになる。」
その言葉に、レアの肩がびくりと震えた。
そして、棘の動きがゆっくりと止まる。
「……うん、ごめんなさい。ちゃんと抑える……から。」
その目には、ほんのわずかな不安と後悔が浮かんでいた。
その隙に、最後の一体が飛びかかる。
「ッ──遅い。」
怒りが再燃し、ルクスの拳が爆ぜる。
全身から紅の魔力が噴き出し、目が赤く輝く。
「《爆炎連撃》──!」
連撃。打撃、打撃、打撃。
拳が火を纏い、魔獣を押し潰すように殴り続ける。
そして、沈黙。
戦いが終わると、風がまた吹き抜けた。
レアは少し離れた場所で、自分の手を見つめていた。
「私、また……壊しそうになった。」
「だが、止められた。それが大事だ。」
「……それは、カイが言ってくれたから。」
彼女の声は、どこか幼い響きを持っていた。
「私は、カイがいるから制御出来てる。だから、離れたくない。……お願い、傍にいさせて。」
「……好きにしろ。」
ルクスはそう呟き、歩き出す。
レアはその背を見つめ、小さく微笑んだ。
……この人がいる限り、私は私でいられる。
そして再び、二人の足音が並ぶ。
憤怒と嫉妬――相容れぬはずの感情が、ひとつの旅路を歩き始めた。