第十四話 黒剣の目覚め、刻まれし宿命
――夜が深まっていた。
ルクスは宿の一室で、静かに瞑目していた。
体は横たえていても、思考は眠っていない。
ロカは強欲を継承していた。
ならば、俺の《憤怒》とぶつかる時、どうなる……?
心の奥底で渦巻くのは、かつての記憶と、今の怒り。
捨てられたあの瞬間の絶望は、時間が経とうと消えはしない。
そして、もう一つ――
黒剣……。
いや、あれは、俺の怒りそのものだった。
《怒剣ラグナ・レイジ》。
ダンジョンの最奥で、自分の怒りが呼び起こした剣。
まるで心の奥底から引きずり出されたような、それは存在だった。
唐突に、部屋の空気が変わる。
ゾクリと、背筋を撫でるような魔力の波。
そして、――床に影が滲み出した。
「……来るか?」
ルクスが手を伸ばすと、そこに“紅い柄”が形を成した。
怒りの記憶から実体化した剣――否、《原初スキル:憤怒》が一時的に具現させた“黒き武器”。
赤黒く染まる刀身には、うねるような魔力の文様が浮かぶ。
「《怒剣ラグナ・レイジ》……まさか、呼べるとはな。」
今はまだ仮初め。
本来の“完全体”ではない。けれど確かに、ここにある。
試すように、ルクスは剣を構えた。
──ゴッ。
無意識に、怒りの魔力が噴き出す。
空気が振動し、周囲の木材が軋むほどの力が、宿の一室に充満していく。
これは……今までの《怒気解放》とは段違いだ。
それは、感情がそのまま“武器”となった状態。
《怒炎顕現》の応用でもあり、次の段階への兆しでもある。
そして――そのタイミングで、扉がノックされた。
「……カイさん、いますか?」
聞き覚えのある声。
この街で知り合った、情報屋キュロスの使いの少年だ。
ルクスは剣を消す。
怒りを収束させ、普段の表情へと戻して扉を開いた。
「どうかしたか?」
「新しい依頼人が、あなたに直接会いたいと。場所は……《灰の工房》です」
「……灰の、工房?」
古びた工房跡。
今では廃墟同然のその場所に、何の用があるのか。
「依頼の詳細は……“黒き炎に共鳴せし者へ”とのことでした。」
「……!」
ルクスの脳裏に、かすかな既視感がよぎる。
まるで、“怒り”に引き寄せられるように。
まさか……俺のスキルに反応してきた?
それとも、別の継承者か?
やがて少年が去ったあと、ルクスは一人、部屋に立ち尽くした。
黒剣の残響が、まだ指先に微かに残っていた。
「行くか……そこに、“宿命”があるのなら。」
/////
《灰の工房》――かつて魔導技師が集ったとされる場所。
今では誰も近づかぬ、魔力の残滓と埃に包まれた廃墟だ。
ルクスはその中心部、吹き抜けの広間で足を止めた。
そこに――彼女はいた。
白銀の髪、黒のドレス。
薄暗がりの中でも浮かび上がるように、美しく、不気味で、そしてどこか儚げな少女。
《棘抱く者》。
彼女はまるで待っていたかのように、微笑を浮かべて言った。
「やっと、会えたね……。ルクス。」
ぞわりと、背筋を這うような感覚。
だが、そこに敵意はない。
ただ、強烈なまでの“興味”と“執着”があった。
「私の《嫉妬》が騒ぐの。あなたの怒りに……触れたいって。」
彼女が一歩近づく。
その魔力が、黒く、棘のように空間に染み出す。
ルクスの中で、赤い魔力が応えるように揺らめく。
──共鳴。
だが、ルクスは剣を抜かなかった。
その少女の表情が、どこか“孤独”に見えたからだ。
「お前、何が目的だ?」
「あなたの傍にいたい。それだけ。」
あまりに真っ直ぐで、重たい言葉。
「おかしいだろ、それは……。」
「そう。でも、あなたも“おかしい”よ。あんなに怒りを抱えて生きてるのに、誰も傷つけようとしない。」
「……」
「私は見てた。あのダンジョンの底で、ルクスが叫んでたのも。剣を振るって、なお誰も恨まなかったのも。だから――私は、あなたを、ルクスを“手に入れたい”と思ったの。」
彼女はそのまま歩み寄り、手を伸ばす。
「私、ちゃんと手加減するから。一緒にいても……暴走したりしないから。」
それは、言い訳のような懇願のような、歪で純粋な告白だった。
ルクスは静かに、その手を見下ろす。
これは……“嫉妬”の力による依存か?
いや……それだけじゃない。
俺の中にも、彼女の言葉が、引っかかっている。
「……お前の名前は?」
「……まだ名乗ってなかったね。でも、ルクスが呼んでくれるなら、どんな名前でもいいわ」
どこまでも、危うい笑み。
「……はぁ。とりあえず、着いて来るなよ。目立つ。」
「ふふっ……了解。じゃあ、陰からストーキングするね。」
それを冗談のように言う彼女に、ルクスは更に小さくため息を吐いた。
面倒なのに関わられたな……。
でも、多分俺は、もう一人ではいられないのかもしれない。
――黒剣が、ルクスの背で微かに震えていた。
怒りが、別の感情と静かに混ざり合っていく。