第十二話 蠢く影、交錯する継承者たち
ここ数日の中で、周囲の空気がわずかに変わっていることにルクスは気づいていた。
街を歩く冒険者たちの視線。
何気ない会話の中に差し込まれる【黒剣の男】の話題。
それらはまるで、網の目のように彼の周囲を取り囲み、正体を暴こうとする動きの前兆にも思えた。
……隠れているつもりでも、目立ち始めている。
ラグナ・レイジ――黒剣の一時的な顕現が、想像以上の波紋を呼んでいる。
あれは確かに、《原初スキル:憤怒》の副次的な現象でしかなかったはずだが、視た者にとっては十分に“異常”だった。
「《怒炎顕現》。……制御できなければ、次は街ごと焼くかもしれないな。」
独り言のように呟きながら、ルクスはギルドの裏路地へと足を向ける。
その奥、倉庫に偽装された小さな情報屋がある。
街の表には出ないが、冒険者や流通業者の間で“影の情報”を扱うことで知られている男だ。
扉を叩くと、しばらくして軋むような声が響いた。
「……また来たな、仮面の坊主。」
「仮面はつけていないが?」
「正体を隠すって意味では同じだ。」
老人のような、だが目だけは異様に鋭いその男──通称“キュロス”は、扉を開けるとすぐに裏帳簿を差し出した。
「新しい動きがある。“A級”の影が街に入った。」
「……光剣の誓約か?」
「ああ、ガルヴァンではない。今回は“彼女”だ。」
“彼女”。
その一言だけで、ルクスの中に冷たい記憶が蘇る。
──ロカ。
元パーティ《光剣の誓約》の副隊長であり、優秀である一方、どこか“こちら”を見下ろすような目をしていた女。
ガルヴァンを操っていた陰の中心。
その彼女が、なぜこの街に来たのか。
「表向きは、“古代遺跡の調査”だそうだ。だが、彼女の配下が動いている。探しているのは……“黒剣の男”だ。」
やはり、繋がっていた。
ラグナ・レイジの顕現が、彼女の関心を引いたということか。
まだ俺の正体には気づいていない……が、時間の問題だな。
「それと、もう一つ。」
キュロスが低く囁く。
「“欲に魅入られた者”の話を知っているか?」
「……?」
「欲望に突き動かされるまま、金・権力・力を求め、他人を操るようになった女の話さ。最近、その“力”が街の貴族連中に流れ出してる。影響力が不自然に拡大している者が何人かいる。裏に誰かがいるとしか思えん。」
ルクスの眉がぴくりと動く。
それはまるで、《原初スキル:強欲》の存在を仄めかすような内容だった。
──ロカが、強欲の継承者である。
それは俺の中で、紛れもない事実となった。
「……感謝する。報酬は?」
「《黒剣の男》の正体、教えてくれればタダにしてやるさ。」
「はは、生憎、それは俺も探してる最中だ。」
冗談めかしてそう答え、ルクスはその場を去る。
廃墟の残響、嫉妬の痕跡、ロカの動き──
すべてが、静かに繋がり始めていた。
/////
ロカ──元《光剣の誓約》副隊長、その女は、優雅にして冷酷な笑みを浮かべていた。
街の南区にある貴族屋敷の一室。
彼女はソファに腰掛け、対面の商人の話を“興味のない顔”で聞き流していた。
「──それで、最近の鉄鉱石の輸送に関しては……。」
「必要ないわ。金ならこちらで押さえておく。」
遮るような口調。
男の顔が引き攣るが、ロカは気にも留めない。
力無き者の交渉など、耳を傾けるに値しない。
彼女の脳裏には、別の思考が渦巻いていた。
――この街に、《怒りの継承者》がいる。
顕現した黒剣。
燃え立つ瞳と炎の魔力。
あれが“奴”でなければ、何者だというのか。
あの時、死んだと思ったけれど……まさか。
ロカの目が細められる。
思い出すのは、かつての仲間・ルクス。
忌々しいほど真っ直ぐな少年。
だが、その心の底には──制御不能な“激情”があった。
ならば、あれはルクス。
カイという偽名で生き延び、今ここにいる。
まだ確証はない。
だが、彼女は“欲望”に従って動いていた。
そして、彼女の中では、それはほぼ確信になっていた。
《強欲》──彼女が継承した原初スキル。
全てを手に入れ、全てを従わせるための力。
その一端を使い、街の貴族を意のままに動かす。
資金も、情報も、武力すらも、既にロカの手中にあった。
「……ルクス。もしお前が本当に生きているのなら──」
唇に浮かぶ微笑みは、まるで蛇のように冷たかった。
「私が“正しく”処理してあげるわ。今度こそ、完全に。」
その時、部屋の扉が開いた。
ロカが待ち侘びていた報せが、遂に来たようだ。
「報告です。あの冒険者“カイ”が、南門近くの廃坑へ向かったとの情報が。」
「……ふふっ、来たわね。」
立ち上がったロカの瞳が、黄金に染まる。
その奥には、誰にも踏ませぬ“欲”の渦があった。
一方その頃、ルクスはキュロスの伝手で手に入れた情報を元に、廃坑の調査を進めていた。
地下に魔力の歪み。
ロカがわざわざ興味を示しているとなれば、何かがある。
懐中に《怒剣》の“残響”を宿したまま、彼は廃坑の暗闇へと踏み込む。
照明も届かない闇の底、その空間の中心に――異様な魔力の結晶が、鼓動のように脈動していた。
これは……魔力結晶?
いや、違うな。
それは明らかに“何らかの力”を封じている。
近づくと、ふいに視界が揺れた。
――カッ……!
紅い炎と、金色の光が、ぶつかり合う光景が脳裏をよぎる。
……幻視?
まさか、これは。
その時だった。
結晶の奥から、誰かの“声”が響いた。
『憤怒と強欲……干渉、確認……記録、開始……。』
「誰だ!?」
応える声はない。
ただ、その空間が――《原初スキル》同士の干渉を、確かに記録していた。
まさか、これは……スキル同士の“共鳴”!?
ルクスの中に、不吉な確信が走る。
《憤怒》と《強欲》、原初の二つの感情が、今この街で接触し始めている。
交錯する継承者たち。
そして、その影で動く“何者か”。
……間違いない。
これはただの偶然じゃない。
ルクスは黒剣の柄をグッと握った。
怒りが静かに燃え始める。
この力が、次に向かうべき敵を──必ず、照らすのだと。