第十一話 揺れる街と黒き刃の噂
朝靄が街を覆っていた。
ルクス──今は“カイ”として活動する俺は、いつも通りギルドの掲示板前に立っていた。
だが、今日は少し様子が違う。
人々の視線が、不自然なほど俺の背中に集まっているのを感じる。
……あの日の黒剣か。
数日前、《怒炎顕現》に呼応するようにして現れた《怒剣:ラグナ・レイジ》。
あれは共鳴体との戦闘の中、確かに俺の手に握られていた。
だが、その瞬間を見たのは仲間のグレイたちだけのはずだ。
街に出回っている噂は、それよりもずっと“脚色”されていた。
「燃える瞳で紅蓮の剣を振るった男がいたって、本当か?」
「黒い外套に、灰色の髪。カイって新顔の冒険者が怪しいらしいぜ。」
「いや、あれは伝説の継承者だって……。」
ヒソヒソと交わされる声。
正体を悟られないために名を偽ったというのに、皮肉なものだ。
俺は掲示板に近づき、依頼の紙を一枚剥がす。
内容は、近郊の廃墟に現れた“正体不明の魔力反応”の調査。
難度はCとあるが、俺の目にはそれ以上の危険が潜んでいるように思えた。
「また一人で行くのか? カイ。」
声をかけてきたのは、冒険者登録員のセルダだった。
厳格だが公正で、俺の実力を認めてくれている数少ない人物だ。
「他の依頼者が嫌がってるんだ。だったら、俺がやるだけだ。」
「ふぅん。……最近の噂、気にならないわけじゃないけど……まあ、あんたならいいか。」
彼女は小さくため息をつくと、調査対象の地図を差し出した。
「気をつけてね。“魔力が死んだ空間”が広がってるらしい。いつもの魔物とも違う感じだって。」
「了解。戻ったら報告する。」
俺はギルドを出ると、そのまま人気の少ない裏道へと歩を進めた。
歩きながら、《ラグナ・レイジ》の“残滓”を指先に感じる。
あの剣は確かに俺の怒りと共鳴し、顕現した。
……だが、俺があれを制御できたわけじゃない。
黒剣はいきなり現れ、戦いが終わると消えた。
自らの意志ではなく、“怒りの臨界”が引き金になっている――それが今の俺の限界だ。
そして、それを見ていた“誰か”が、街のどこかで俺の正体を探っている気がしてならなかった。
裏切られた過去は、まだ終わっていない。
たった一回の裏切り。
それでも、憤怒に認められなければ死んでいた。
復讐の炎は消えてなどいない。
俺があの黒剣を完全に手にするとき、全ては焼き払われるだろう。
だが、今はまだ──。
「……一歩ずつだ。」
そう呟きながら、俺は廃墟へと向かう道を踏み出した。
/////
街を離れ、北の丘陵地帯に点在する廃墟群へ向かう。
目的地は、かつて魔術研究所だったという小型の遺構──現在は誰も近づかない“魔力死地”となっていた。
空気は重く、冷たい。
魔素が流れていない空間はまるで、“世界から拒絶された”ような圧迫感を漂わせていた。
石造りの門をくぐると、足元の苔がざくりと音を立てる。
そしてゆっくりと気配を探る。
……気配はある。
だが、魔物とは違う。
それは、もっと“感情に近いもの”だ。
怒りでも、憎しみでもない。もっと冷たい、歪んだ“執念”。
と、その瞬間――
「──カイ、か。」
耳元で囁くような声が聞こえた。
振り返るが、誰もいない。
だが、直後、空間が歪む。
廃墟の中心、崩れた研究装置の残骸から黒い靄が立ち上る。
靄はやがて、一振りの剣の“幻影”を形作った。
これは……。
それは確かに見覚えのある形。
《怒剣:ラグナ・レイジ》──先日、共鳴体との戦いで顕現した、俺の怒りの象徴。
だが、今のそれは明らかに“実体”ではなかった。
「残響……?」
俺の声に応えるように、黒剣の幻影が震える。
周囲の空間に魔力が渦巻き、一際強い圧力が発生する。
その時だった。
幻影の黒剣の刃先が、ある一点を指し示す。
崩れた床の奥に、小さな石碑のようなものが埋まっていた。
「これは……?」
慎重に手を伸ばすと、碑面にわずかな文字が刻まれている。
《ラスト・エンヴィ──嫉妬、触れるなかれ。》
……エンヴィ?
俺の中で警鐘が鳴る。
《棘抱く者》と名乗った少女。
彼女が放っていた“黒紫の魔力”と、この碑から漂う気配は同じだ。
まさか、これは……《大罪スキル:嫉妬》の痕跡──?
そのとき、黒剣の幻影が揺れ、煙のように空へと消えた。
同時に、碑の周囲の魔力が一気に霧散する。
まるで、“嫉妬”の存在を隠すかのように。
「……やっぱり、この街にはまだ何かあるな。」
ちょっとしたイラつきから、近くの壁に軽く拳を打ちつけた。
憤怒、嫉妬──大罪の力は決して一人の物語で完結するものではない。
すでに、何人もの継承者が、この世界に点在している。
そして、誰かがそれを“集めようとしている”気配すらある。
……俺は、どうする。
怒りに身を任せるだけでは、真実には辿りつけない。
だが、その怒りこそが、俺の力の源であることも確かだ。
迷いの中、拳を握りしめる。
――そして、とりあえずは一つに覚悟を決めた。
この《ラグナ・レイジ》の謎を解く。
その先に、かつての仲間の“罪”と、“世界の歪み”が繋がっているのなら──
全てが見えるよう、焼き尽くすまでだ。