エピソード_50
「僕は国家中枢の不穏な動きについて、調査を進めてきました。」
ローブの男は棘のある口調で言った。
その声には苛立ちにも似た響きがあった。
「……そもそも、おかしいと思いませんでしたか?ここ数十年、貴族社会では離縁や婚約破棄が異様なほどに増えています。」
ヴァイオレットは黙ったまま彼を見つめている。
その様子には、彼の思惑を図りかねているようにも見えた。
「名誉を重んじるはずの貴族たちが、自らの誇りをあっさりと手放し、破滅を選ぶなど――普通ではありえません。本来なら、そうなる前に何重にも策を講じるのが“貴族”という存在のはずでしょう?しかも、それに連動するように破産、名誉の失墜、家門の断絶……まるで“計画的に貴族社会を崩す”ような事例が、各地で頻発している」
ローブの男の言葉には批判ではなく、物事を見極めようとする冷静さがあった。
その奥には確かな危機感がにじんでいる。
「だから、僕は極秘に、個人的に調査をさせていただきました。そして、ある男に辿り着きました。あなたもご存知でしょう?宮廷魔術師として名高いバーデミアスのことを。」
その瞬間、ヴァイオレットの瞳にわずかな光が走った。
それまで若々しく見えたその姿が、妙齢の人間のような表情に変わる。
ローブの男は、息を飲んだ。
ヴァイオレットから、まるで大きな獣を前にしているかのような重圧を感じたからだ。
恐ろしい緊張感が当たりを包み、松明の炎が小さく震える。
「……彼と、あなた様のご関係を知らないわけではありません」
ローブの男は言葉を絞るように続けた。
「しかし、彼は、あまりにも手堅い。あらゆる記録を残さず、配下はすべて第三者を介して動く。……僕の手勢では、とてもじゃないけど追いきれませんでした」
彼はゆっくりと立ち上がり、ヴァイオレットの前に進み出た。
そして――膝を折ることはしなかったが、その場で深く、はっきりと頭を下げた。
「だから――できることなら、あなたの力を借りたい。」
その姿に、ヴァイオレットの厳しい表情がわずかに緩んだ。
静かに彼の姿を見つめる。
「どうか、お願いいたします。僕に力を貸してくれませんか。」
「……おやめなさい。頭を下げるなど、王族のすることではありませんよ、皇太子殿下」
その言葉に、彼は迷いなく手を伸ばし、ローブのフードを静かに外した。
まばゆい金の髪がさらりとこぼれる。
顔を上げた青年の瞳は、深い蒼を湛えていた。
宝石のように澄んだその眼差しが、正面からヴァイオレットをはたと見据える。
「僕自身のためにではありません」
その声は静かだったが、揺るがないものがそこにはあった。
「彼に陥れられた人々のために。そして、何も知らない民のために。
――あの男を野放しにしておくことは、国家にとっての毒なのです。」
ヴァイオレットは一言も発せず、ただじっとその顔を見つめていた。
彼の目の奥に宿る光を確かめるように、長い沈黙のなかで時間が止まる。
「……よろしいわ。」
ヴァイオレットは長く息を吐いた。
白銀の髪が、松明の灯りに照らされて揺れる。
「わたくしの知る限りを、そしてできる限りの力を、あなたに貸しましょう。ただし、私のやり方でやらせてもらいます。」
皇子は微かに微笑し、頷いた。
そして、廃城の広間に、風がひときわ強く吹き込んだ。
いくつもの思惑が交錯し、影が渦巻いていく。
運命の糸は、静かに、しかし確かに、結び目へと向かっていた――。




