エピソード_42
「どうなっている!」
書斎の重厚な扉が勢いよく開かれると、フォンテーヌ家当主の怒号が館内に響き渡った。
苛立ちを抑えきれなくないその男こそ、アイリーンの父・エドモンであった。
彼は机に積まれた書類の束を払いのけ、乱暴な音を立てて椅子に座った。
「行方不明になったと思えば、仮面舞踏会に現れただと!? アイリーンは何をしている!」
エドモンは怒りを抑えきれず机を拳で叩いた。
その声には、露骨な焦りと苛立ちが滲んでいる。
「あなた、どうかおやめになって。」
扉の向こうから控えめな足音が近づき、アイリーンの母が書斎の中へ入ってきた。
ドレスの裾を持ち上げ、慌ただしいその姿には普段の余裕はない。
「怒るのはおやめになって。 アイリーンが戻ってきたかもしれないというのに。」
「…何だと?」
父は振り返り、怒気をそのまま妻にぶつけた。
「アイリーンのせいで、今やフォンテーヌ家は笑い者だ!奴らが裏でどんな話をしているか、分かっているのか!」
エドモンが声を荒げて一歩詰め寄る。母はその勢いに一瞬たじろいだ。
「アイリーンは、余計な知識も疑問も持たぬように育ててきた。ただ家のために"いる"だけでよかったはずだ。それを……!あの娘は一体何を考えてるんだ!」
「だったら、最初からあの子をそんな風に育てなければよかったでしょう!」
母の声も、怒りと後悔とで震えていた。
父の眼光が鋭く光る。
怒りに充血したその目で母をにらみつけた。
「俺のせいだというなら、お前も同罪だ!物を買い与えるだけで、 余計な知恵をつけさせないようにしていたくせに!」
母は目を伏せた。反論できるはずもなかった。
確かに、彼女も同意していたのだ。
アイリーンを「価値ある娘」として育てる方針に。
「かわいそうなアイリーン……」
母の声が震えた。
「私は心配でたまらないわ。あの子は、今どこにいるのかしら……」
「うるさいな」
その時誰かが、書斎の扉を乱暴に開けて入ってきた。
アイリーンの兄・アランだった。
アランは低く舌打ちし、無言で争う両親を睨みつける。
「またかよ。アイリーンがいなくなってから、同じことの繰り返しだ」
彼の言葉には怒りというより、あきらめと不満がにじんでいた。
父も母も、妹がいないと何も回らないことをようやく理解したのだ。
しかし、それは彼にとっても同じだった。
「アイリーンを外の世界を知らない無知な女に育てたのは父さんと母さんだろう!今更あいつのことで騒ぐのはやめてくれ!」
アランは眉を吊り上げ、父と母に詰め寄った。
「大体一番可哀想なのは僕じゃないか!アイリーンのせいで婚約が延期になってしまったんだぞ!」
エドモンはぐっと言葉を飲み込んだ。
家族の誰もが、アイリーンという存在を「都合のいい道具」として見ていたのだ。
そして、そのアイリーンの離縁と失踪により、フォンテーヌ家の威信は地に落ちた。
それが家族の関係にも深い影を落としているのだった。




