エピソード_35
翌日アイリーンはいつものようにエレノアの元を訪れた。
だが、部屋に入るなり、エレノアの目がきらりと光る。
「仮面舞踏会は大荒れだったそうじゃない?」
まるで待っていたかのように、挨拶もそこそこに切り出された。
「思ったより大事になってしまったみたいで……。」
アイリーンは一瞬、言葉を失ったが、すぐに苦笑して肩をすくめた。
昨日の出来事が、早速貴族の間で話題になっているようだった。
「知らなかったんですけど、私って行方不明扱いになってたみたいですね。」
アイリーンはため息をつき、椅子に腰を下ろした。
自嘲気味な笑みが口元に浮かぶ。
しかし、エレノアは驚く様子もなく、首を軽く傾けた。
「離縁された令嬢が行方不明になって、突然知らない男と現れただけでも大事件なのに、元夫と公衆の面前で口論だなんてね。」
「う、はい…。」
その言葉は事実そのものであり、だからこそアイリーンは居心地の悪さを覚えた。
冷静に指摘されることで、自分がいかに異例の立場にあるかを思い知らされる。
「まあ、いいんじゃない?」
エレノアは淡々と言った。
「問題はそこではないわ。本来の目的は果たしたんでしょう?」
アイリーンは姿勢を正し、真剣な顔で頷いた。
「はい、ヴェロニカ様は大変満足されていたみたいです。」
「それはよかったじゃない。」
エレノアの目が細められる。
改めて、昨日の一件がうまく行ったことに、アイリーンは心から安堵した。
「それに、仮面舞踏会の方々ともお話をさせていただきました。」
アイリーンの言葉に、エレノアは興味を示した。
「素敵ね。昨日は結構集まっていたみたいだから、貴重な機会だったでしょう。」
「はい、あれ?そういえば……。」
アイリーンは昨日の会話を思い出し、ふと口を開いた。
「ヴァイオレット様というお名前を聞きました。私は存じ上げなかったのですが、エレノア様はご存じですか?」
その瞬間、エレノアの表情が僅かに変わった。一瞬、彼女の瞳が鋭く光り、口元の笑みが消える。
「ヴァイオレット様ですって?」
アイリーンは、その反応に驚いた。
エレノアがここまで感情を表に出すことは滅多にない。思わず息をのむ。
「迂闊にあのお方の名前を口にするとは……。」
エレノアが低い声で呟いた。
「どこのご婦人が話していたの?」
その問いには、冷たい圧力が込められていた。
アイリーンは身震いし、口を開こうとしたが、言葉が出てこない。
「それは……。」
躊躇うアイリーンを見て、エレノアは静かに首を振った。
「いいわ、無理に答えなくても。」
アイリーンが安堵の息を吐くと、エレノアは立ち上がった。
「あなたに説明するのは、もっと先にしようと思っていたけど、いい機会だわ。」
アイリーンは戸惑いつつも、その後を追った。




