アイリーンの結婚_2
食事の後、アイリーンは自分の部屋に戻った。
部屋は少女らしいピンクと白を基調とした内装で、まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたような美しさだった。
「疲れていらっしゃるのでしたら、少し休息を取られますか?」
部屋に戻ると、レヴィがそう言った。彼女にしては、わずかに気遣いが込められているように聞こえた。
「いえ、大丈夫よ。」
アイリーンは鏡の中の自分を見つめながら言った。
「レヴィ」
ふと、アイリーンが振り返った。
「何でございましょうか?」
「あなたがいてくれて、本当に心強いわ。いつもありがとう」
その言葉に、レヴィの表情がわずかに変わった
。一瞬、何か複雑な感情が瞳に宿ったように見えたが、すぐに元の無表情に戻る。
「恐れ入ります。お嬢様の役に立てて光栄です。」
レヴィは一礼すると、舞踏会用の準備を始めた。
アイリーンは、なぜかその後ろ姿に一抹の寂しさを感じた。
「レヴィ、あなたは私のことをどう思っているの?」
突然の質問に、レヴィの手が一瞬止まる。
「どういう意味でしょうか?…私は申し上げるべき立場ではございません」
「でも、いつも一緒にいるじゃない。何か思うことがあるでしょう?」
アイリーンの純粋な問いかけに、レヴィは長い沈黙の後、静かに答えた。
「お嬢様は、とてもお美しく、お優しい方だと思います」
その言葉は、まるで台本を読んでいるかのように平坦だった。
アイリーンが思っていたような答えではなかったが、それ以上追求することはしなかった。
「ふうん。分かったわ。…じゃあ、舞踏会のドレス選びを手伝ってくれる?」
「もちろんでございます」
レヴィはクローゼットを開け、美しいドレスの数々を取り出し始めた。
どれも一流の仕立て屋が手がけた逸品ばかりである。
「これはいかがでしょうか?」
レヴィが差し出したのは、薄いブルーのシルクドレスだった。
アイリーンの瞳の色によく似合いそうな、上品な一着である。
「素敵ね……でも、少し地味かしら?」
「では、こちらは?」
今度は淡いピンクのドレスだった。胸元に繊細なレースがあしらわれ、スカートは優雅に広がるデザインになっている。
「こちらの方が良いかもしれませんね」
アイリーンがドレスを体に当てて鏡を見ていると、ふと気になることがあった。
「レヴィ、あなたも舞踏会に参加したことはあるの?」
レヴィの手が一瞬止まった。
「いえ、侍女の身分では……」
「そうよね……」アイリーンは少し申し訳なさそうに呟いた。
「でも、あなたもきっと美しく踊れるでしょうね」
「恐れ入ります」
レヴィの返答は、いつものように簡潔で感情を読み取れないものだった。
「レヴィ、いつか一緒に踊れたらいいのに」
アイリーンの純粋な言葉に、レヴィは黙って頷いただけだった。
「アイリーン、準備はできているか?」
夕方になると、父のエドモンが娘の部屋にやってきた。
彼は正装に身を包み、いつにも増して威厳に満ちていた。
「はい、お父様」
「今夜は大切な夜になるだろう。多くの紳士方がお前と踊りたがるはずだ」
エドモンの言葉には、期待と同時に心配も込められていた。
「でも、慌てることはない。いつも通り振る舞えばいい」
「はい」
アイリーンは頷いたが、内心では緊張が高まっていた。
舞踏会には、王国の名だたる貴族たちが集まっていた。
美しいドレスに身を包んだ淑女たち、正装に身を固めた紳士たち——まさに社交界の華が勢揃いしていた。
「フォンテーヌ侯爵ご一家のお越しです」
執事の声が響くと、多くの視線がアイリーンたちに向けられた。
特に、アイリーンに注がれる視線は熱いものがあった。
「あら、あの美しい方はどちらの?」
「フォンテーヌ侯爵のご令嬢よ。アイリーン様とおっしゃるそう」
「なんと美しい……」
周囲の囁き声に、アイリーンは頬を染めた。
注目されることには慣れていたが、これほど多くの人々の視線を一身に受けるのは初めてだった。
「アイリーン」母のイザベラが娘に近づいた。
「ランベルト侯爵夫人がお呼びよ」
そう言うと、母の背後に、女性が立っているのが見えた。
紹介されたランベルト侯爵夫人は、上品で知的な美しさを持つ女性だった。
「これはこれは、美しいお嬢様ですこと。お噂はかねがね伺っておりました」
「お招きいただき、ありがとうございます」
アイリーンは完璧なお辞儀をした。母から受けたマナー教育の成果である。
「ところで、アイリーン様」侯爵夫人が意味深に微笑んだ。
「息子にもお会いいただきたいのですが……」
侯爵夫人はそう言って一人の青年を連れてきた。
「ヴィクトール・ランベルト=ステラです」
青年は深々とお辞儀をした。
美しい銀髪に深い青の瞳、彫刻のような整った顔立ち——まさに理想の貴公子といった風貌だった。
「アイリーン・フォンテーヌです」
アイリーンが挨拶を返すと、ヴィクトールの瞳が一瞬輝いた。
「もしよろしければ、一曲踊っていただけませんか?」
ヴィクトールが手を差し出すと、会場がざわめいた。
ランベルト侯爵家の跡取りが、初対面の令嬢に踊りを申し込むなど、異例のことだったからだ。
「喜んで」
アイリーンは頬を染めながら、彼の手を取った。
馬車の中で、フォンテーヌ家の面々は今夜の出来事について話し合っていた。
「アイリーン、今夜は大成功だったな」
父のエドモンが満足そうに言った。
「まさかランベルト家の跡取りと踊るとは」
アランも感心していた。
しかし、アイリーンは黙って窓の外を見つめていた。
心の中では、ヴィクトールとの出会いが何度も甦っていた。
(あの方ともう一度お会いできるかしら……)
そんな淡い恋心を抱きながら、アイリーンは家路についた。