エピソード_25
「……え?」
急に話しかけられたことに戸惑い、アイリーンは言葉がうまく出てこない。
男性は静かに微笑むと、軽く手を差し出した。
「こんなに美しい夜に、あなたほどの方が一人でいるのはもったいない。もしよろしければ、一曲お相手願えますか?」
彼の煌びやかな金髪がシャンデリアの光を受けて輝いている。
アイリーンは一瞬、迷った。仮面舞踏会では互いの素性を明かさないのがルール。
この男性が誰なのかも分からない。
しかし、彼の立ち振る舞いからは、不思議と高貴な気配が漂っていた。
(まだ、時間まで少しあるわ。理由もなくお誘いを断るのは失礼だし…。)
「……ええ、わかりましたわ。」
アイリーンは一瞬ためらったが、彼の手のひらが穏やかに開かれているのを見て、そっと手を乗せた。
音楽が変わり、新たなワルツが始まる。
アイリーンは彼の腕の中で踊りながら、不思議な感覚に包まれた。
彼の動きは滑らかで、リードは完璧だった。
「あなたは、よくこういった会へ来られるのですか?」
「さあ、どうでしょうね」
彼は微笑みながら答えた。その声は何故か嬉しそうな響きがあった。
「でも、あなたのような方に出会えるなら、もっと沢山参加しようと思いましたよ」
「ふふふ、お上手ですね。」
彼はそれ以上喋らず、アイリーンを優雅に回転させた。
だが、次の瞬間、彼の声がやや真剣なものへと変わった。
「アイリーン、あなたがここにいるのは予想外でした。」
アイリーンの体が硬直した。
(私の名前を……知っている?)
彼女は驚いて彼を見上げた。
「なんで、名前を…?」
男は少しの間沈黙し、やがてそっと彼女の手を握り直した。
「昔、一度だけお会いしました。」
アイリーンの心臓が強く跳ねた。
(昔……? 一度だけ……?)
彼の瞳を覗き込み、記憶を探る。
だが、その瞳は優しく微笑んでいるだけで、何も語らなかった。
音楽が終わり、周囲が拍手に包まれる。
アイリーンは息を整えようとしたが、男はそっと彼女の手の甲に口づけを落とした。
「あなたのおかげで大変いい夜になりました。」
アイリーンもお礼を言って離れようとした、その時。
「…おや。」
そこで男は動きを止めた。
「……?」
何事かと男の視線の先を追ったその時、遠くに見覚えのある男の姿が見えた。
(あれは……!)
アイリーンは自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。
あの立ち姿、髪の色、仕草。仮面をつけていてもわかる。
間違いない、あれは元夫——ヴィクトールだ。
彼は美しい女性たちに囲まれていた。
微笑んではいるが、その瞳は冷たく、遠くを見つめているようだった。




