第9章
「お帰り」
空港の到着ロビーで待っていたのは父ではなく、絵美だった。
「あれ?父さんが迎えに来てくれるんじゃなかったの?」
「私じゃ不服?夫婦二人の時間作ってあげてんのよ。あんたが帰ってくるんだから父さんも出かけるわけにいかないし。たまには二人だけで話とかしたほうがいいのよ、あの人達は」
前を歩く絵美が、自分の地元帰還について結構嬉しそうだったので純哉はホッとした。建物の外に出て、南国の木々が風に揺れているのを眺めていると、改めて自分にとっての東京が終わったんだと実感した。
「母さん、最近どうなの?」
「純哉が帰ってきたときとあんまり変わり無いよ。でもこないだの夜、突然背中が痛いって言い出してすごい汗かいてたの。そのとき出張で父さんいなくて、救急車を呼ぶべきなのかどうなのか分からなくてさ。とにかくずっと背中さすってた。そしたら少しずつ呼吸が落ち着いてきて、そのまま眠ったよ」
爆弾、そう母は爆弾を抱えているようなものだ、という絵美の言葉を純哉は思い出した。
「俺さ、いったん東京帰ってから、自分なりに非代償性肝硬変のこと調べたんだ。母さんの症状と照らし合わせたりしながらさ。でね、俺としての結論なんだけど」
絵美は立ち止まり、振り返って純哉を見た。
「俺がさ、ドナーになって母さんに俺の肝臓を移植するのがベストだと思うんだ」
「ベスト?なんで?」
絵美のその返しは純哉をびっくりさせた。なんで?なんて言われるとは全く思っていなかったからだ。絵美の目は感情を感じさせず静止したままだった。
「え?なんで、って言われてもさ、あの、ドナーの傷も見たけど盲腸とかと違うじゃん。お腹の端から端まで横に切って、そこからまたミゾオチに向けて切り上がってさ。あんな傷、女の絵美姉ちゃんにつけるわけにはいかないだろ?」
「だからアンタが肝臓を差し出すっていうのね」
「え、うん、そうだよ、女の絵美姉ちゃんより俺の方がいいよ」
「じゃ駄目。出すとしたら私が出す」
絵美のその言葉に純哉は唖然としてしまった。純哉が何も言えないでいるのを見かねて絵美は少し天を仰いだ。
「あぁ、ごめんごめん、こんな言い方するつもりじゃなかったの、ごめん。でもさ、誰がドナーになるか、っていうことよりも、母さんに三十パーセントのリスクを負わせて手術をするかどうか、っていう問題の方を先に決めなきゃいけないって思うんだよね」
「あ、うん、そうか、そうだな、ごめん姉ちゃん」
「物分かりのいい弟で良かったわ」
二人は少しだけ笑った。
「明日、診察日だから四人で一緒に行こう。純哉も病院行ったほうが実感湧くし、頭の中整理できるよ、多分今ごちゃごちゃでしょ」
確かにそうだった。純哉はここ二週間程でネット上から知識は得ていた。しかしそこに出ているものをどうしても自分の母親に重ね合わせることができずにいた。母さんは、もしかしたら大丈夫なんじゃないか、そんな根拠の無い淡い期待から逃れられずにいた。