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第4章

 翌日、純哉は電車に乗り、ショッピングモールへ出かけスーツを買った。新しい仕事にスーツを着る仕事を選ぶことで、これまでの自分に別れを告げ、新しい自分でリスタートできる気がしたのだった。

 ショッピングモールでは幸運にもセールをやっており、かなりの安値でカバン、ベルト、シャツなどのいわゆる「フレッシュマンセット」を買い揃えることができた。純哉はスーツ店に貼られているポスターの中にいる笑顔の男のように、ガラスに映った自分を見ながらできる限りフレッシュに微笑んだ。

 それから本屋で、仕事情報誌と履歴書を買い、ファーストフード店で昼食をとりながら仕事を探した。昼食時前の店内はガラリとしていて、おそらく近所に住んでいるのであろう主婦が二人、とにかく楽しそうに話をしていた。

 情報誌の中からいくつかの仕事をピックアップし、給与などの条件を見比べた上で、代々木にある不動産店に電話をかけた。

「オーケー、じゃ明日来てください」

たんたんとしたテンポで説明を受け、翌日には早速面接を受けた。人事担当者はしきりに「それにしてもタイミング良かったなぁ」と一人言のように繰り返していて、その言葉通り、その場で純哉の就業が決まった。


 仕事は朝早くから夜遅くまで、休みも少なくハードだったが純哉は疲れを感じなかった。技術は未熟だったが、率先して早出、残業、休日出勤をして重宝されるようになった。仕事帰りに飲みに行く以外はほとんど金を使わず、一年も経たないうちに資金を貯め、都心に近い下北沢へ引っ越した。元バンドマンだという同僚と仲が良くなり、休みの日には同僚の家で曲を作った。同僚はギタリストで七十年代のハードロックをこよなく愛した。

 二人が作る曲は何処かに出すようなレベルのものではなかったが、純哉は行為そのものに価値を感じていた。初めて音楽と呼べる行為をしていることにより、何処かでホッとすることができていて、音楽をやるという口実で東京に出て来た過去の自分と、折り合いがついたような気がしていたのだった。


 そんな同僚の誘いで、知り合いがやっているというバンドのライブを観にいった。純哉にとっては東京に出て来て初めてのライブハウスだった。期待感に胸を膨らませていた純哉だったが、それとは裏腹に、結果的にただ退屈した。

 世界観はまるで理解できないもので、バンドなんてやらなくて良かった、とまで思った。純哉が地元で抱いていた、淡い期待の中の東京はそこには無かった。

 乗り気ではなかったが流されるままに打ち上げに出た。その中でひとり、純哉と同じようにつまらなそうにしている女がいた。純哉から話し掛け、二人はいつしか輪から外れて話し込み、連絡先を交換しあって別れ、翌日の日曜日に早速デートをして、純哉の家でセックスをした。

 休みの日は彼女と過ごすようになり、曲作りはしなくなった。元々情熱の無い活動だったから何の問題もなく、同僚とはそれまで通り仲良くやり、たまに会社帰りに飲みに行った。


 彼女が「予定がある」と言って家に遊びに来なかった日曜日、その日は大雨だった。純哉は何処かでその雨を見たことがある気がしていた。「雨なんてどれも同じだろうけど、そうじゃなくて雰囲気というか、温度というか・・・」、開け放った窓から部屋に風が吹き込んだとき、純哉は思い出した。それは居酒屋の彼女が出て行ってから、絶望の底へ沈んでいくように飲み続けていた日々を止めてくれた雨だった。純哉はふと手帳に挟んでいた母からもらった便箋を取り出した。そして、地元を出て四年、「家に電話しよう」、初めてそう思った。

 純哉は東京に出て来てすぐに携帯電話を買い換えていた。当時にしてみればなけなしの金だったが、それは純哉にとって『東京人』となっていくために欠かせない儀式のようなものだった。その儀式により、電話番号もメールアドレスも変わったが家族には知らせなかった。家族どころか、地元にいる誰ひとりにも知らせなかった。知らせたところでどうなると言うのだ、それが純哉の気持ちだった。勿論住所も知らせていなかった。だから完全に四年間音信不通ということになる。少しためらったが、純哉は実家の電話番号をプッシュした。

「もしもし」

「あ、もしもし、俺、純哉だけど」

「・・・」

「あれ?もしもし、もしもーし」

「うるさい、聞こえてるわよ。アンタね、ずっと連絡してこないで何なのよ。どういうつもりよ。母さんね、ずっと心配してたのよ。分かってんの、ねぇ」

「あぁ、うん、ごめん、悪かったと思ってるよ。絵美姉ちゃんだよね?」

「絵美姉ちゃんだよね?じゃないわよ、ホントに。相変わらずバカそうな声して。まじで信じられないよ」

「バカそうな声って何だよ。でも、ごめん、本当に、連絡しなくて」

姉の絵美がため息をつき、二人はしばらくお互いに黙っていた。

「あぁあ、もういいよ、ほんっとに。あんた元気でやってんの?」

「うん、まぁまぁ」

「で?バンドは売れそうなわけ?」

「いや、バンドはやってないんだ。今不動産屋で働いてる」

「それってさ、人生についてちょっとは学習したってわけ?」

「学習とか関係ねぇよ。あのさ、お盆休みに久しぶりに帰ろうと思ってんだ」

「そう、そうか。そうできるならそのほうがいいかも。アンタはいないものとして色々話進めてたんだけど、一応アンタも家族だし、お母さん、アンタをかわいがってるからね」

「何?話進めてるって」

「こんな突然の電話で大事な話聞いてもいいの?」

「いいのも何も気になるよ、何さ?」

「母さんね、あと半年の命って言われてるの」

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