第12章
インフォームドコンセントを受けてから約一ヶ月が経ち、季節は夏から秋へと移り変わっていた。あれから家族で、幾度も話し合いの場が持たれたのだが、あの日、病院を訪れる前には決まっていたはずの答に辿り着くことができなくなっていた。
その原因は純哉にあった。純哉は、手術を行うことにより母親が抱えなくてはならないリスクについて、もう少し深く考える必要がある、と言った。毎日見ている母の状態が、自分が帰郷してからそんなに変わっていないような気がしていたのだった。「きっと前は久しぶりに会ったからひどく変わってしまったように思ったのかもしれない。俺が帰ってきてから母さんはむしろ元気になったように見える。医者の判断だっていつも完全に正しいわけじゃない。診断が覆されるケースだってある。もしかしたら母さんはこのまま生き続けるかもしれないじゃないか。そうだったとしたら、亡くなる可能性を自分たちで用意するのはナンセンスだ」、意識の表層ではそんなことを考えていた。
しかしもっと深い場所では、自分に起こりうる合併症、特に「死」の可能性から逃れられず怯えている純哉がいた。だからこそ、家族の話し合いの場では母親のリスクのことを強調して、ドナーのことは最後に添えるような形で話した。誰かが答を導き出そうとすると、「そんなに簡単に決めていい問題じゃない」と激しく反論した。父親も絵美も、そして勿論母親も、純哉の気持ちに気づいていた。上手く話しているつもりでも、元々そんなに口数の多いほうではない純哉が積極的に話すこと自体不自然だったし、話し方だって褒められたものではなかった。母親は時折、「母さんね、なんだか怖くなったの、説明を受けてから。最近そんなに調子悪くないし、このままでもいいかな、って思うの」という風なことを口にした。その言葉は純哉に、自分に対する恥ずかしさのようなものを感じさせ、「そういうことじゃないだろ。だからそんなに簡単に決めるなよ、命のことなのにさ」と声を荒げさせる結果になっていた。純哉の言っていることは決して間違ったことではなかったので、父親も絵美も何も言えなかった。ただ、家族の間に疲労だけが蓄積し、母親の体にも悪いと、最初毎日行われていた話し合いが三日おきになり、そして一週間おきになっていった。
純哉はしょっちゅう堤防に出かけるようになった。一人で海に向かって時間を過ごしていると何となく落ち着くことができた。そこではいつもより少しだけ、自分の本当の気持ちと向かい合うことができた。純哉だって、母親を助けたい、という大前提は変わっていなかった。でも怖かった。そしてそれを口にしたくなかった。怖いから母親を助けなかった、そんなレッテルを貼られたくなかった。いっそのこと気絶させられて、そのまま手術されて、目が覚めたら「もう終わったよ」とでも言われたかった。「何か言い訳は」、そんなことを考えている自分に気づき嫌気がさした。インフォームドコンセントを受けた日から、純哉は自分のことをどんどん嫌いになっていた。