[5]引きこもり魔女と夢の一歩Ⅰ
鳥のさえずりと窓から差し込む陽、空は雲一つ無い青色で澄み切っている。
こんなに心地の良い空とは正反対に、俺の心はひどく曇った不穏な天気模様だ。
いや、むしろ強風吹き荒ぶ嵐の手前かもしれない。
俺は寝室の扉を前に仁王立ちしている。勿論、ここは俺の部屋ではない。
心の底から湧き上がる感情、怒りと情けが入り混じったかのようなこの複雑な感情に誰か名前を付けてほしい。
さて、俺がこの扉の前で脚を震わせてからどれほどの時間が過ぎただろうか。カツッカツッとリズムよく刻む地団駄で床に穴を開けてしまいそうだ。
……そろそろ頃合いか。ついに我慢の限界を迎えた。大きく息を吸い、目の前の扉の先にいるであろう怠け者に向けて発散させる。
「起きろ──────っ!!」
「うひゃあっ?!」
扉の先で悲鳴に近い声が聞こえたかと思うと、ドタドタと慌ただしく暴れるような衝撃が響く。
俺の手を加えるまでもなく衝撃を受けてゆっくりと開かれた扉の先、そこにはベッドから転げ落ちて芋虫の様に床を這いつくばるイリスがいた。
「うぅ……、いじわるぅ」
……ため息がこぼれる。なんだか頭痛もしてきた。
この怠惰で、自堕落で、ぐうたらな魔女が俺の主人なのだから──。
しばらくして、寝癖をつけて目元をぼんやりとさせたイリスがリビングにやってきた。
リビングの中央に鎮座するテーブルには、俺が用意した朝食…… もとい昼食が並べられている。
イリスが眠そうな目をこすりながらテーブルに着くと、あくびをしながら料理に手を付けた。俺はそんなイリスを懐疑的な視線を向けながらテーブルに頬杖をつけて眺めている。
この間まで家を追い出されそうと言って泣き叫んでいたのが嘘のように、今の姿からは全くと言っていいほどに危機感を感じない。
「ん~、おいひぃ~」
俺の不安を他所に、イリスは呑気に冷め切ったスープをすすっている。
しかし、冷めたスープでも美味しいと言うならちゃんとした出来立てを食べさせてやりたかった。
あのオッサンも、こういう状況に嫌気がさしてイリスを追い出そうとしたんだろうか。それとも、幸せを感じていたのだろうか……。
「イリス、今後について真剣に話がしたいのだが……」
俺がテーブルの上に両肘を立てて俯きながら真面目な話を振ると、途端にイリスは咳き込んだ。
げほげほと大げさにリアクションをするイリスが落ち着くのを待ち、話始めようかと思った矢先に先陣を切ったのはイリスの方だった。
「ちょっとアイト! 人は休めるときに休まないとダメになっちゃうんだからね!
そういうことはもう少し、言うタイミングっていうのがあるんだよ!」
うるせぇ! いつもそうやって先延ばしにしてきた結果が今この状況だろうが! と言いたいところだが、心優しい俺は心の中で悪態をつく反骨精神を落ち着かせた。というか、話を振っただけで反発してくるってことはこれから何の話をするか察してるじゃねぇか。
そう、俺が真剣な面持ちをしているのには理由がある。それは、オッサン説得の期限が明日にまで迫っているということだ。
オッサンというのは、イリスが暮らすこのアトリエの管理人で、イリスを追い出そうとしている張本人だ。
そんなオッサンを説得して『イリスをどうにかしてこのアトリエに留まらせる』ことが目的なのだが、俺はこの世界に召喚された翌日にオッサンととある賭けをしていたのだった──。
《小僧、いい度胸だな。貴様が私の代わりにイリスの面倒を見るだと?》
目の前には手に汗握らせる威圧を放つスキンヘッドの大男、例のオッサンが立っている。
俺はイリスとの約束を叶えるため、オッサンを説得しようと必死に盾突いている。
《あんた確か、三日待つって言ってたよな。昨日を抜いて残り二日、それまでに俺……いや、俺たちがあんたを説得してみせる!》
《ほぅ、面白い。ならばこの私を納得させてみせろ!》
オッサンは獲物を狙う虎の如く更に強い圧を放ってこちらを圧倒する。
ははッ……乾いた笑いが出ちまった。震えが止まんねぇ。何なんだこのオッサン──。
「……なんであんなこと言っちゃったんだろう」
過去の出来事を後悔している俺はさぞ溶けたように間抜けな顔をしていることだろう。
オッサンに啖呵を切ってしまった以上、何とかせざるを得ない。昨日は何もできずに結局、期限も明日にまで迫ってしまいもはや後がない。
それに、目の前には緊張感の抜けたイリスが平然としながら料理を平らげている。俺は今、最高に追い詰められているのだ。
とにかく、今日中にオッサンを説得するための材料を見つけなければならない。
俺がオッサンの代わりにイリスを養っていく方法、そしてイリスが夢を実現する方法……。なんでも構わない、何とかしなければ。
「よし、イリス。今日は俺が付きっきりでお前の魔術研究を見ていてやる!」
ナーバスな気持ちを切り替えよう。俺が意気揚々と今日のやることを発表すると、イリスはこの世の全てを否定するかのような嫌悪感を示した。……めっちゃ嫌そう。
拒否権はない、やれ、イリス……。俺は心の中に鬼を宿し、嫌がるイリスを引き摺ってアトリエという地獄の扉を開く。
鬼──ッ! 悪魔──ッ!と叫ぶような声がしたが、残念だったな今の俺には届いていない。
イリスをアトリエまで引っ張ってきたのはいいが、俺には魔術なんてさっぱりだ。教科書と漫画の区別もつかないようなもので、研究のつもりで本を読みながら暇つぶしでもされたら敵わない。
なんだか勉強を強いる親のような気持ちだ。対するイリスはテスト前日に猛勉強する学生といったところだろうか。
「イリス、お前は俺を召喚するくらいに凄い魔女なんだから自信持てよ」
渋々と研究棚に座り魔術研究に臨むイリスに向け、俺は励ましの言葉を贈った。
イリスは黙々とお祖母さんが遺した魔術書を読み漁っているようだ。そうだイリス、ここで何かを掴まなければオッサンは説得できないぞ。
これはお前のため、俺はお前を信じているぞ──。
《これはお前のためなんだ、イリス》
ふと、オッサンの言葉を思い出した。
お前のため、か。何故だかわからないが、俺はこの言葉に対して激しい嫌悪感を抱いた。
俺の中に込み上げるこの違和感は何だ? どうしてこんなにも心苦しいんだ?
俺はイリスの夢を応援したい、最強の魔女になることを願っている。だからあいつにはこの状況を破って──。
《あたしには何もできなかった……!》
今度はイリスの言葉だ。そうだ、あいつは追い詰められて俺に最後の希望を託したんだ。
ようやく俺は気づいた。むしろ、どうしてここまで気づかなかったのかと自分を殴りたい気持ちでいっぱいだ。
オッサンを説得するために必要なのはイリスに凄い魔術を見つけさせることじゃない。ましてや、俺がイリスを真っ当にさせることでもない。
「なぁ、イリス。悪かった……」
俺はこれまでの間違いをイリスに謝罪した。対するイリスは呆然として何を言っているのかわからないという様子だ。当然だろう、さっきまでやる気満々にこき使っておいて急にしょんぼりして謝り出すのだからな。
「待ってアイト。さすがに気持ち悪いよ……」
イリスからの率直な意見が俺の胸に刺さる。……返す言葉もない。
だが、俺の中で答えは固まった。もはや、オッサンなんて怖くない。……いや、ちょっとは怖いかも。
何かが吹っ切れた俺はイリスに息抜きをしようと提案したが、再び気持ち悪がられてまともに取り合ってもらえなかった。仕方なく、俺はイリスにとあるお願いをした。
「……イリス、俺に魔術を教えてくれないか?」
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