[4]引きこもり魔女と夢の一歩Ⅰ
六畳一間、ごちゃごちゃと物で溢れかえっている。
カーテンで締め切られた薄暗い部屋だ。
ここに来るのは何だか懐かしい。
《遅いっ! 早くしてよねっ!》
アイツの声だ。
母親にそっくりな優しい声をした生意気なヤツ。
俺がいないと何もできないくせに、一丁前にプライドだけは高くて困る。
「そんなにはしゃぐと転ぶぞ」
《藍斗がノロマなの! アタシ先に行っちゃうからね!?》
気がつくと、俺は外にいた。
アイツは足早に俺の先を行く。日頃から大人ぶってひねくれているくせに、こういうところはまだまだ子供だ。
しかし、いくら走ってもアイツに追いつけない。
俺を置いて一人で、勝手に行ってしまう。
「待てよ! 待ってくれ!」
俺の声は届かない。
いつもの交差点に、アイツの姿が見える。
ダメだ、ここに来てはいけない。
どうしてもここだけはダメなんだ。
キキ────ッ!!
息が苦しい。
呼吸をすることも忘れてしまう。
いっそのことこんな記憶も忘れてしまいたい。
「リサ──ッ!!」
点滅する光。
黒い地面、白い線、赤色、赤色、赤色……。
またこれか。
また……。
「……夢か」
鳥のさえずりと暖かな日差し。
窓越しに見える空は雲一つ無い青色で澄み切っている。
こんなにも清々しい天気なのに、俺の心は嵐のように大荒れ模様だ。
「はぁ……顔でも洗おう」
汗ばんだ体が気持ち悪い。
いっそシャワーでも浴びたい気分だ。
◆
俺はリビングに降りてきた。
イリスはまだ夢の中か、ここはとても静かだ。
丁度良い、少し浴室を借りようと思う。
──ガチャ。
「あっ」
脱衣所の扉を開けた瞬間だった。
「ちょっとアイト、さすがにノックぐらいしてほしいかも……」
「す、すまん! まさか、いるとは思わなくて……!」
そこには麦色のバスタオル一枚で身を包んだイリスがいた。
イリスは睨むようにしてジッと俺を見てくるが、予期せぬ事故なのだから仕方あるまい。
しかし迂闊だった。
仮にも年頃の女の子との共同生活、こんなハプニングも起きてしまう。もっと気をつけるべきだな。
「いいからはやく出てってよ……」
イリスからの冷たい視線だ。
てっきり大声で叫ぶのかと思ったが、意外にも冷静に対処されてしまった。
「そ、そうだよな! 悪かったよ、それじゃあ俺はこれで……」
俺が脱衣所から出ようとした瞬間、それは横目に見えた。
ふわりと落ちていく麦色、それは紛れもなくイリスの身を包んでいたバスタオルだった。
「ぬっ!?」
二度見をして変な声が出た。
色白なイリスの肌、幼気ながらもしっかりと実った……いや、それよりも気にするべきことがあった。
「イリスッ……!?」
イリスの様子がおかしい。
立ったままフラフラとしていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「おい! しっかりしろ!」
咄嗟にイリスを抱き抱える。
触れた肌の冷たさ、微かに震えている体、明らかに異常だ。
「うぅっ……」
イリスは顔が真っ赤になって苦しそうだ。
全身からも汗を噴き出していて、呼吸も不安定だ。
「どうしたんだ! おい!」
俺からの呼びかけにも返事がない。
これは本当にマズイ状況かもしれない。
「早く何とかしないと……」
しかし、こんな時はどうすればいいかわからない。
学校で教わった人命救助の方法がこの世界でも通用するのか?
誰かに助けを求めようにもここには誰もいない。
俺一人でどうにか出来るのか?
「クソッ……! どうすればいいんだっ……!」
「何があった!?」
「あ、アンタは……!」
背後からの声、その主はオッサンだった。
どうしてここにいる? いや、何でもいいからはやくイリスを助けないと……!
「どけ! 私が運ぶ! お前は服を持ってこい!」
◆
二階にある俺の部屋の隣、そこがイリスの寝室だ。
ベッドに寝かされたイリスを見守るようにして、側にはオッサンが立っていた。
「い、イリスは無事なんだよな?」
「魔力の使いすぎだ。魔力の生成が追いつかなくて倒れたのだろう」
イリスの容体は安定しているようだ。
呼吸も落ち着いていて、今は眠っている。
「魔力……俺を召喚したことが関係してるのか?」
「さぁな。少なくともしばらくは安静にするべきだ」
これまでにイリスは魔力切れで何度も倒れていた。
その度に俺の作った料理を食べて魔力を回復していたつもりだったが、この様子だとそれだけでは足りなかったらしい。
ここまで体調が悪かったなんて、全然気づかなかった。
「私のせい、だろうな……」
「……えっ?」
オッサンの言葉が理解できなかった。
見るからに落ち込んだ様子で、オッサンは立ち尽くしている。
「私がイリスをここから追い出そうとしなければ、こんなことにはならなかったはずだ」
オッサンの屈強な見た目からは想像できない弱々しいセリフだ。
よほどこの状況が堪えていると見える。
「私を説得しようと必死になって、相当無理をしたのだろうな」
「だったら! イリスをここから追い出すなんて……」
「仕方のないことだ! こうするしか方法はないんだ……!」
オッサンの言葉はどこか悔しそうで、寂しそうにも聞こえる。
横顔から覗く目元も悲しそうにしていて、本当にイリスを大切に思っているのだろう。
であれば、どうしてイリスを追い出そうとするのかが気がかりだ。
その理由を知りたくて仕方がない。
「教えてくれ、どうしてイリスをここから追い出そうとするんだ? 何が理由なんだ?」
「お前には関係ない。これは私と、イリスとの問題だ」
「だったら尚更だ! 俺はイリスに、俺がイリスを養うって約束したんだ!」
「お前が、イリスを養う……?」
オッサンからの視線は痛い。
コイツは何を言っているんだ、そう訴えかけてくる。
まぁ、無理もないだろう。
「お、俺はイリスの夢を応援する! だからイリスをここから追い出す訳にはいかないんだよ!」
「ふっ……笑わせるな、お前は別の世界から来たのだろう? そんな若造にこの子を任せられるとでも?」
何も反論できない。
オッサンの言っていることは正しい。
でも、それでも俺はイリスを支えたいと思った。
イリスのためになりたいと望んだんだ。
「……俺は本気だ、アンタをぶん殴ってでもイリスをここに留めさせるつもりだ」
「舐めるなよ。お前ごときが私に敵うはずが無いだろう」
オッサンに胸ぐらを掴まれる。
鋭く睨みを効かせてくる表情はまるで鬼のようだ。
冷や汗が止まらない。
俺の意思に反して手足も震えてくる。
「──二人ともやめてよ……」
「い、イリスっ……!」
「起きたのか!」
ベッドから起き上がろうとするイリスだが、まだ調子は良くなさそうだ。
「ダンテおじさんごめんね、あたし……」
「まだ寝ていろ、無理をするな」
イリスを介抱するオッサンの姿は優しさに溢れている。
見ている分には我が子を心配する父親のようだ。
本当にこのオッサンがイリスを追い出すつもりなのか、疑問が生まれてくる。
「イリスがこうなってしまった以上、しばらくは様子を見てやる。だが、何を言われようと次は無い。それだけは覚えておけ」
「ダンテおじさん……」
「待てよ、アンタだって本当はイリスを追い出すつもりはないんだろ? なのにどうして……」
「子供にはわかるまい。大人しく、私の言うことを聞いていろ」
「なっ……」
オッサンは部屋から出て行った。
何て言い草だ、俺を子供扱いしやがって。
これが大人のやることかよ、子供だからって何も教えなくて良いって言うのか?
「ごめん、また迷惑かけちゃった……」
「イリス……」
「あたし、魔力が多い方じゃないから……いっつもこうなっちゃうんだよね……」
イリスは肩を落としてしょんぼりとしている。
少し元気づけてやる必要がありそうか、何か話をして気を紛らわそうと思う。
「なぁ、魔力って多いとか少ないとかあるのか?」
「想像してみて、あたしの場合は手のひらに収まるくらいのカップ。他の人は大きなカップ、もしかしたらバケツかもしれない。そんな感じで、人それぞれが持つ魔力量には違いがあるの」
「それで魔力が無くなって倒れていたのか?」
「うん……最近は特に魔術を使ってばかりだったから魔力が底をついたんだと思う」
要するにエネルギー切れってことか。
補給してもすぐに使ってしまうし、そもそも満タンの容量が少ない。
そうか、だからイリスは『魔術を保存する魔術』なんて遠回りなものを使っているのか。
「こんなんじゃおばあちゃんみたいな最強の魔女になんてなれないよ……」
意気消沈って感じだな。
誰にだって得意不得意はある。しかし、俺なんて魔術も使えないのだからイリスのことが羨ましくも感じる。
そんなイリスでさえ憧れる存在、イリスのおばあさんは相当に凄い人物なのだろう。
「その、イリスのおばあさんってどんな人だったんだ?」
「おばあちゃんはね、すごいんだよ! あたしの憧れなんだから!」
イリスはさっきまでの暗い表情から一変して目をキラキラと輝かせた。
本当におばあさんのことが大好きなようだ。
「おばあちゃんは優しくて、かっこよくて、強くて、天才で……」
「待て待て、そんな一気に並べられてもわかんねぇよ……」
「えぇー? でも、確かにおばあちゃんは凄すぎて説明に困るかも……」
「例えばほら……何で最強の魔女なんて呼ばれているか、とか?」
「あー、それなら……」
イリスは枕元に置いてあった青い表紙の本を手に取った。
そのままパラパラと本をめくり、ひとつのページを俺に見せてくる。
「昔ね、魔王っていう最悪の悪魔がこの世界を支配していたの。それを退治したのがおばあちゃんなんだよ」
「いや、いきなりスケールがデカいな……」
イリスが見せてくるページには絵が描かれている。
それは紙芝居のような。一人の魔法使いが、禍々しい悪魔を退治したとでも言いたげな絵だ。
この魔法使いがイリスのおばあさんなのだろう。
世界を支配する魔王を退治したから最強の魔女、英雄になったというわけか。
改めてここがファンタジーな異世界なのだと実感させられる。
「魔術の基礎を作ったのもおばあちゃんなんだよ。おばあちゃんがいなかったら魔術は発展しなかったんだから!」
「サラっと凄いこと言ってんな……」
本当にイリスのおばあさんは英雄のようだ。
しかし、そんな人と比べたらイリスが劣って見えるのも当たり前の話だ。
そう考えるとイリスの夢はハードルが高すぎるようにも思える。
「イリスのおばあさんが最強の魔女たる所以もわかった、それに憧れるのもわかる。だけどな……」
「あたしだってわかってるよ……でも、あたしはおばあちゃんと約束したの!」
「約束……?」
イリスは開いていた本を閉じてギュッと胸に手繰り寄せた。
「おばあちゃんの遺した魔術を完成させる……あたしがおばあちゃんに出来なかったことを引き継ぐんだって……!」
「だからお前はここで最強の魔女を目指そうと……?」
「うん……あたしにしか、出来ないと思ったんだもん……」
ようやくイリスの夢がハッキリと見えた気がする。
イリスがここを離れたくない理由も、最強の魔女を目指す理由も。
「だけど、イリスのおばあさんは最強の魔女なんだろ? そんな人に出来なかったことなんて……」
「それがあたしにもわからないから悩んでいるんだよ。でも、おばあちゃんは本当に、あたしに言ったの……」
イリスは思い詰めた表情だ。
憧れの、大切な人から託された夢。それを叶えるために今日まで努力してきたんだ。
ただの引きこもりで、ぐうたらな生活をしたいだけなのかもしれない。それでも、託された大事な夢だけは諦めたくないのだと伝わってくる。
やはり、俺はイリスの夢を応援したいと思う。
「わかった、それなら俺も全力で応援する」
「アイト……」
「さっきはオッサンに圧倒されてビビったけど、もう屈したりしねぇ! ちゃんと説得して、お前がここにいられるようにする!」
そうだ、まだ諦めてたまるか。
イリスに頼ってもらった、その思いに応えたい。俺にできること全部でイリスを応援するんだ。
「でも、ダンテおじさんをどうやって説得すればいいか、またわからなくなっちゃったよ……」
「あのオッサン、俺たちを子供だと言ってバカにしてきやがったからな。少なくとも、下に見ていることは間違いない」
「そう、なのかな……」
「だから俺たちが、ここで夢に向かって進めるってことを証明する必要がある。子供じゃないってことをしっかりと見せつけてやるんだ」
「あたしたちが証明する……」
俺はイリスの手を取る。
不安そうにしているイリスを少しでも勇気づけたい。
この状況を打開できるかもしれない唯一の方法、それを実践するんだ。
「俺にひとつ考えがある、任せてくれないか?」
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