[48]引きこもり魔女と商業祭Ⅷ
俺は目を覚ました。
この感じ、もはや何度目だろうか。いつも大事な時に限ってこうして横になっている気がする。
見たことのある天井。ここは俺とイリスが宿泊している部屋、俺はベッドの上で横になっているようだ。
痛みは感じないが体の感覚が無い。指先も足も動かせる気がしない。
「おや、目覚めたようだね」
ふと声がした。
視線だけを動かすと、部屋の扉を前にミリアさんがいた。
「み、い、や、さん……」舌が上手く回らない。
「薬が効いているんだよ、無理に話す必要はない」
ミリアさんは俺の側に来ると、枕元に腰掛けた。
「よく頑張ったね。キミの活躍はとても素晴らしいものだった」
ミリアさんは微かに笑みを浮かべ、細めた目で俺を見ると、おもむろに俺の頭を撫で始めた。
こちらが麻酔で何も出来ないのをいいことに好き勝手しているようだ。
俺はもう人に撫でられるような歳じゃない、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「ところでさっき、商業祭の表彰式が執り行われたんだ」
「!」
表彰式だって!? それじゃあ、俺は商業祭の間をずっと眠ってしまっていたのか。
結局、俺には何も出来なかった。みんなに任せっきりだったな。
「顧客評価で優勝したのは……、残念ながらキミたちじゃなかった。ネルニディスタ・アルフローレ、彼女が今回の優勝者だ」
優勝、できなかった……。
それじゃあミリアさんの条件は達成出来なかったんだ。
イリスの生活を支援してもらうことは叶わない。
「おやおや、随分としょんぼりしているじゃないか。そこまで落ち込むのかい?」
「みいやさん、おれたひの、まけへす……」たどたどしく声に出す。
でも、俺はまだ諦めたわけじゃない。
またいつかミリアさんを納得させる方法を考える。
そして今度こそ、イリスの支援をお願いするつもりだ。
「どうやらまだ諦めていないようだね、いい心がけだ。だが、残念ながら次なんてないよ」
「え……?」
「だって、キミたちの支援は既に決定しているのだからね」
ど、どういうことだ? 俺たちはミリアさんが提示した条件を達成できなかった。
それなのに支援が決定しているだって? 流石に都合が良すぎてにわかには信じがたい。
「ふむ、納得がいかないとでも言いたげ顔だね。ちゃんと説明をしないといけないようだ」
ミリアさんは立ち上がると、対面にあるイリスのベッドに腰掛け足を組んだ。
「確かにキミたちは私との約束を果たせなかった。でも、あれはただの口約束だったからね。そういうのは破るためにあるものだろう?」
……この人は一体、何を言っているんだ?
「ほら、これが誓約書だ。商人なら商人らしく、しっかりと書面で提示するべきだよね」
ミリアさんは懐から丸めた紙を取り出し、俺に向けて広げ見せる。
片方の口角だけを上げた不敵な笑みを浮かべていて、およそ信用していいとは思えない。
それに、紙に何が書いてあるか俺にはわからない。ミリアさんの胡散臭さを考えると、本当にその紙が誓約書なのかすら怪しい。
「ふむ、まだ納得がいっていないようだね……。全くどうしてそこまで疑われるのか、心外だよ」
あんたがこれまでやってきたことを考えれば見当がつくだろ。
その胡散臭さもどうにかしてほしい。信用うんぬん言ってた人がそんなんでいいのかよ。
「仕方ない、キミたちの支援を決めるに至った評価を私から説明してあげよう」
ミリアさんは呆れたような表情で首を振る。
俺がまともに動けたらこの人を一発殴りたい気分だ。
「まず、今回の商業祭はこれまでに比べて大きな反響を呼んだ。それは顧客評価のアンケートを見ても一目瞭然、今回こそネル君の優勝となったがキミたちとは僅差だ。ほぼ同率と言っていい」
同率……、だけど、結局はネルが優勝したんだろ? それだけじゃ納得がいかない。
「商業祭全体の売り上げも倍近く増えている。キミたちの地図のおかげで買い手が効率よく市場を回れた結果だろう。普段なかなか陽の当たらない店にも多くの集客を見込めた、私たちとしても今回のことからは学ぶことが多かったよ」
俺たちの地図のおかげ……。
良かった、ちゃんと成果は上げられていたんだ。
「そして何よりも、あの二人組の逮捕。あいつらも中々に姑息でね、こちらとしても動きようがなかった。それをキミたちがなんとかしてくれたのは非常に助かった」
二人組、ニアと俺が倒したチンピラのことか。
あいつらと対峙した後、俺は意識を失ってしまったからその後を知らなかった。
おおよそは帝国騎士が何とかしてくれたのだろう、ファラが言うには俺の治療もしてくれていたみたいだし何かと世話になっている。
「というわけだ、キミたちもそんなところにいないで入って来たらどうかな?」
ミリアさんは声を張って呼びかけた。
すると、扉を開けてぞろぞろと人数が入ってくる。
「アイトっ!」
イリスが勢いよく俺の側に駆け寄ってきた。
その表情には優しげな微笑みが見え、安堵しているようだ。
「いいす……」やはり舌が回らない。
「え? なに? 何か言った?」
「コラ、アイトくんは怪我しとるんやからそっとせなアカンで」
イリスの背後にはファラが立つ。
それに続くようにニアとネルが姿を見せる。
「無事で良かった、心配したぞアイト」
「わたくしも心配しておりました〜」
みんな、俺のことを心配してくれていたようだ。
なんだか少しこそばゆいな。
「あ、あたしもアイトのことナデナデしたい……!」
「だからダメやって!」
ナデナデ? まさか、ミリアさんが俺のことを撫でていたのを見られていたのか……。
というか、みんな最初から部屋の外にいたのか!?
「なんで! この人はやってたのに!」
「私はスポンサー特権というやつだ、これくらいしても当たり前だろう?」
どっちにしろダメだ! 俺を撫でる権利は誰にもない!
というか、怪我人が寝ている前でうるさくするな!
「さて、そろそろ行こうか。これから優勝者の祝杯だ! 全員、準備したまえよ」
ミリアさんは立ち上がると、通りすがりざまにファラの肩を掴んで扉に向かう。
「と、商業組合長!? まさかあんた、お酒を飲むつもりなんか!?」
「うん? 当たり前だろう。今日はパーッとやるぞ! さあ、全員ついて来るんだ!」
「ま、待つんや! あんたがお酒を飲んだら……! 離せっ! 助けてニアちゃんっ!」
ミリアさんが酒を飲んだら……、その先は想像に難くない。がんばれファラ。
途端に騒がしかった部屋は静寂に包まれる。
俺の側にはイリスだけが残っていた。
「いりすは、いかないのか?」
ようやく舌が回るようになった。
「あたしはほら、引きこもりだし……。騒がしいのは苦手っていうか」
イリスは手で髪を触ってくるくると巻いている。
「ねぇアイト、今回のことではっきりわかったよ」
イリスは俺の側に座り込むと、俺の頭に手を置いた。
「やっぱり、あたしはアイトが傷つくのを見ていられない。あたしにはアイトがいなきゃダメなんだよ、アイトに甘やかされていいのはあたしだけなの」
「いりす……」
「だからね、その、あたし、アイトのこと……」
イリスは俺の頭に置いた手をそのまま下にずらし、俺の視界を覆った。
何も見えないが、イリスの動く気配だけが伝わる。
イリスの吐息を近くに感じる。
「な、なんちゃって! アイトのことナデナデしちゃうもんねっ……!」
視界が開かれると、イリスが忙しなく手を動かして俺の頭をわちゃわちゃとした。
俺が動けないのをいいことにやりたい放題だ、今度やり返しをしなければなるまい。
「それじゃあ、あたしは魔術の研究しなきゃ!」
俺の髪をかき乱してひとしきり満足したのか、イリスは立ち上がって扉に向かう。
「おやすみ、アイト」
イリスは微笑みを見せて部屋を離れた。
早めに怪我を治すなら休息が一番だ。
俺は目を閉じて、再び眠りについた。
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