[46]引きこもり魔女と商業祭Ⅵ
六畳一間、物がごちゃごちゃと散らかった狭い部屋。
勉強机に着く少女が一人、くるりと椅子を回して俺を見る。
「藍斗ってさ、どうしてそこまでアタシのためになってくれるの?」
どうして? そりゃ、お前が大切な《》だからに決まってんだろ。
「えぇ……、なんか重い。そういうのちょっと引くわ」
勝手に引いてろ、俺がいないとまともに生活できねぇくせに。
「はぁー!? そもそも、そっちが勝手に来たんでしょ! お母さんも嬉しそうにするし、仕方なく入れてやったんだからな!」
はいはい、もういいからさっさと原稿やれよ。
もうすぐ締め切りなんだから遊んでる時間は……。
キキ────ッ!!
タイヤの擦れる音、点滅する赤い光。
黒い地面、白い線、赤色。
全部懐かしい光景だ。
もう一度やり直したいと思った。
もう二度と繰り返したくないと誓った。
もう、俺には……。
「───アイトくんっ!」
俺は目を覚ました。
そこはイリスの実験室出張所。薄暗い部屋の中、どうやらソファの上に寝ているようだ。
側にはファラがいる。俺の手を握って安堵の表情を浮かべている。
「俺は……」
「動いたらアカン、傷がまだ塞がっとらんのや!」
右足が痛む。
視線を向けると足には包帯が巻かれている。
そういえば短剣を刺されていた。微かに足の感覚は戻っていて、動かすことは出来そうだ。
「……そうだ、イリスはっ!?」
ファラは首を横に振る。
「あの男の仲間に連れ去られてしもうた。ここの玄関を無理やりにこじ開けたんや、相当な力がある」
あの男の仲間、おそらく大男のことだろう。
イリスは魔術を切らしてここで眠っていたはず、そこに大男がやってきて連れ去っていったんだ。
「こうしてる場合じゃない……!」
「ダメやって! 動いたらアカンよ!」
立ちあがろうとするとファラに止められた。
動くたびに鋭い痛みが襲う。
「あの後、騒ぎを聞きつけて帝国騎士団が来たんや。男を引き渡して、アイトくんの治療をしてもろた」
帝国騎士団、確か商業祭の治安維持に出動していた。
レイリとかいう勘違い野郎もそれでこの街に来ていたのか、今になってようやく納得がいった。
「そんでここに来た時にはもうイリスちゃんはおらんくて、玄関が壊されとったから連れ去られてしもうたんやって思った」
ファラの声が段々と震え始める。
「今はニアちゃんと帝国騎士団が一緒になってイリスちゃんを探してくれとる……! せやのに、ウチには何も出来ん……! こうしてアイトくんが目覚めんの待つことしか出来んかった……!」
ファラは嗚咽する。
何も出来ないことのもどかしさなら俺にも痛いほどわかる。
俺だってイリスを支えることも、助けることも、こうして足の痛みを前に留まることしか出来ない。
誰かのために力を使うことのできる存在がどれほど凄い奴なのかを実感する。
「……前にイリスから怒られたよ、アイトは何も出来ないんだからあたしを頼ってくれって」
「ぇ?」
「その時は『無駄に足掻くなら誰かに頼ればいい』なんて納得したけどさ、こうして自分の無力さを知ると納得できない自分がいるんだよな」
俺は再び体を起こして立ち上がろうとする。
ファラが止めようとするが、それを振り払ってソファの背もたれに手をついて立ち上がる。
「やっぱり、俺には必死に足掻くことしか出来ない。自分の無力さを前に足踏みするなら、最後まで出来ることを探して足掻いてやる……!」
「アイトくん……」
もう二度と悔しい思いをしたくない、俺を救ってくれるかもしれない魔女に出会ったんだ。それを手放したくない。
「エニグマ───ッ!」俺は叫ぶ。
「えにゅ」
鳴き声が聞こえると、ソファの下からエニグマが姿を現した。
「力を貸せっ! イリスを助けに行く……!」
「えにゅっ!」エニグマは力強く返事する。
「なんでや、なんでアイトくんはそこまで強くおれるんや……!」
「俺はイリスの使い魔だからな。あいつを支えるのは俺だ、そして助けるのも俺なんだ」
エニグマが勢いよく玄関から外に走り出す。
俺は足を引き摺りながらエニグマを追う。
自然と痛みは感じない。アドレナリンってやつだろうか、今なら走ってもいける気がする。
「待っていてくれイリス、俺が必ず助ける」
外は日が落ち、石造りの道を街頭が微かに照らしている。
市場は変わらず多くの人で賑わいを見せている。夜の部というやつだ、客層も変化して昼間とは違った雰囲気をしている。
「アイトさまっ!?」
ふと、ネルが慌てた様子で近づいてきた。
心なしかその声は掠れていて、顔にも疲れが見える。
「すまない今急いでいて、イリスを探しているんだ」
「全て聞いております! わたくしも市場の方々に聞いて情報を募っているところでございます!」
どうやらネルもイリスを探していてくれたようだ。
よく見るとネルの手にはチラシのような紙を持っていて、そこにはイリスの特徴をよく捉えた似顔絵が描かれている。
「ネルも探してくれていたんだな、ありがとう」
「いえ、アイトさまこそ怪我をされていたのでは……」
「これくらい平気だ、何かわかったことはあるか?」
「申し訳ございません……、未だ有力な情報が見つからず手探りな状態でごさいます……」
「えにゅっ!」
突然、エニグマがネルに向かって飛び込んだ。
ネルは手に持った紙をばら撒きつつエニグマを受け止める。
「……地図を、エニグマさんに使え?」
「地図……! そうだ、地図にはイリスの魔術、魔力が入ってる!」
ネルはドレスのポケットから地図を取り出し、エニグマに貼り付ける。エニグマはぐるぐるとその場で回り出すと、途端に立ち止まり、来た道を戻るようにして走り出した。
俺もエニグマの後を追って小走りをする。
「アイトさまっ! ご武運を!」
ネルからの応援に俺は手を振って返す。
どうやらエニグマはイリスの居場所がわかったらしい、このまま後を着いて行こう。
たどり着いたのは小さな港、俺が初めてミリアさんと出会った場所だ。
エニグマは近くの倉庫らしき建物の扉に前足をかけて必死に擦っている。
「ここか?」
そこは古びた見た目をした石造りの倉庫。鉄製の扉にはサビが広がり、手入れのされていない様子から今は使われていないように思う。
扉には大きなかんぬきに錠前が付けられていて、簡単には開きそうにない。
「こいつをどうにかしないとな……」
「えにゅっ!」
瞬間、エニグマが俺に向かって飛び込んできた。
俺は勢いに押されてそのまま尻餅をついた。
ドカーンッ!
突然、目の前の倉庫が爆発を起こして扉が吹き飛んでいった。
エニグマが俺を突き飛ばさなければ爆発に巻き込まれてしまっていただろう。
「あれっ!? アイトっ!?」
聞き覚えのある声がした。
ふと、さっきまで扉があった場所を見ると魔術書を構えたイリスの姿があった。それに、イリスの隣には見慣れない少女の姿もある。
「アイト逃げてっ!」
イリスが声を上げた瞬間、イリスたちの背後に広がる闇から二つの赤い光が浮かび上がった。
「ニゲルナ……オマエラ、クウ!」
大男だ。しかし、前に見た時よりも遥かに大きくなっていて、人の形こそ保ってはいるがまるでゾウのようだ。
「なんなんだよこれ!」
大男はメキメキと音を立てて倉庫を壊しながらこちらに近づいてくる。
俺はエニグマを抱えて立ち上がり、イリスたちと一緒に道に沿って逃げ出した。
「あいつに捕まってたリーシャちゃんと一緒に逃げてたんだけど、あたしの魔術が全然効かないの!」
「もしかしてその娘、おじさんの娘さんか!? 一緒にいたなんて!」
「お、お父さんを知ってるんですか……!?」
「ああ! ちょっとばかり世話になって……うわっ!」
俺は足がもつれて転んでしまった。忘れかけていたが、俺は足を怪我している。
すでに傷口は開いてしまっていて包帯には赤いシミが滲んでいる。
「痛ってぇ……!」
傷に気がつくと痛みが込み上げてくる。
こうなるなら気づかなければよかったと思う。
「アイトっ!? その傷……!?」
こうしている間にも大男は大きな足音を立ててこちらに向かって走ってきている。
「くそっ! 結局、俺が足手まといになんのかよ……!」
俺のやること全てが裏目に出る。
必死に足掻いたところで何もかもが悪い方向へと繋がる。
悔しくて仕方がない、この状況を打開できる方法があるなら俺の命を賭けてもいい。
どうか、イリスだけでも助けてほしい……。
閲覧ありがとうございます。
ぼちぼち更新する予定ですのでお待ち下さいませ。




