[31]引きこもり魔女と外に出るⅢ
晴天の空、暖かな朝日。
いつもの陽気な一日の始まり。
「起きろ───ッ!!」
「うひゃあっ!」
相変わらず自堕落な魔女を叩き起こす。
俺よりも早く寝たくせに、俺よりも起きるのが遅い。
せっかくアトリエから遠出して街まで来たというのに、こいつの生活習慣は変化を知らない。
「ほら、朝飯を食べに行くぞー」
俺からのありがたい喝を受けて地面に転がるイモムシ娘を他所に、俺はベットメイキングする。
「朝ごはん……。今日はなぁに……」
まだ寝ぼけているのだろう、この部屋をアトリエにある自分の寝室と勘違いしているようだ。
だとすれば、眠気覚ましにピッタリの強烈な一言がある。
「喜べイリス! 朝飯は食べ放題だっ!」
「な、なんですと───!!」
俺たちは街に来ている。
ファラが所属する商業組合の長に会って、イリスの支援をしてもらうべく交渉に向かうためだ。
そして、ここはファラたちに宿泊先として案内された宿。本来は商人専用らしいが、今回は特別に泊めさせてもらっている。部屋はイリスと相部屋だが、朝食は食べ放題のバイキング形式だ。
「うま───っ!!」
イリスが口いっぱいに料理を詰めて堪能している。
最近は節約で満足に食べられなかった分、ここで思う存分に食べたいのだろう。
しかし、周りからの視線が痛い。イリスの手元にある皿には料理が山盛りで、テーブルを埋め尽くすほどに並べられている。
ただでさえ部外者なのに、目立ってしまうのがいたたまれない……。
「おはよう」ニアの声だ。
「あぁ、おはよ──」
挨拶を返そうとニアを見た。
料理で山盛りの皿をいっぱいに持ったニアが立っている。
「お前もかよ!」
「ここの食事は美味しいだろう。存分に楽しむといい」
ニアは表情を緩ませた。
奥にある厨房から恨めしい顔でこちらを睨みつけている料理人が見える。
これは、相当大変だろうな……。同じく料理を振舞うものとして同情せざるを得ない。
「ごちそうさまでしたー!」
朝食を終え、身支度を整えた俺とイリスは宿のエントランスにいる。
エニグマの姿が見当たらなかったがいつものことだ。勝手にどこか探検しているのだろう。
「でね! お湯がバーッ! ってなって、ボコボコ! ってなってたんだよ!」
イリスは宿にある入浴施設の話をしている。昨日の夜に俺も利用したが、なかなか良いところだった。
入浴の効果なのか、イリスの顔がピカピカとしている。普段から日に焼けない分、より地肌の綺麗さが際立つ。
「すまない、待たせたな」
しばらく待っていると、ニアが姿を現した。
今日はニアの案内で街を散策する予定で、ファラは用事があるとかで不在だ。
「今日は私が、キミたちを案内する。まずは市場に向かおう」
「おう、よろしくな」
最初の目的地は市場だ。
宿の入り口を抜けて大通りに出ると、後ろに引っ張られる感覚が襲った。
「アイト……」
振り返ると、イリスが片手で俺の服の裾を引っ張っりながら俯いている。
「イリス? どうした?」
「う、うん。ちょっと人が多いなぁって思って……」
周りを見回すと確かに人が多い気がする。
人々が往来する大通り、止め処ない人の流れは一度飲まれてしまうと簡単に抜け出せそうにない。
昨日この街に到着したのは日没だったし、その時は人通りが少ない方だったのかもしれない。
「近々、商業祭が開かれる。この街で行われる大きな祭りだ。この時期は比較的人通りは多いかもしれない」ニアが淡々と話す。
「商業祭……相当大きなイベントなんだな」
「そうだ、商業組合長が街に来ているのも商業祭を控えているからだ」
そういうことだったのか。
街で大きなイベントなら、商業組合の偉い人もやってくるわけだ。この街は商人の街っていうくらいだしな。
しかし、この人の多さはイリスにとって苦痛かもしれない。
ただでさえ日頃から引きこもっているんだ、こんな人通りに免疫なんてあるはずがない。
ここはひとつ、手を打とう。
「大丈夫だイリス、俺がしっかり握っててやる」
「うん、ありがとうアイト……」
俺は裾を掴んでいたイリスの手を握り、ニアに案内されながら市場の通りを進む。
そこは屋台が立ち並び、多くの人で賑わいを見せている。
こんなに多くの人を見るのは久々だ。
すれ違う人は俺たちに気を止めることすらなく、ただそれぞれに違う目的を持って行き交っている。
「あそこの店は串焼きが美味い。あの店はスープが、そしてあそこは甘いスイーツが食べられるぞ」
全部食べ物じゃないか……。
まぁ、ニアらしいといえばらしいが。
「これはこれは、ニアさんじゃあないか! 奇遇だねぇ!」
前方から高らかな男の声が聞こえる。
目の前の人が次々と道を開け、やがてそこには鎧を纏った集団が姿を現した。
「こんなところでお会いできるとは光栄だよ! この出会いに祝福を……」
鎧の集団の先頭に立つ男はニアの正面に立つと、足を引いて右手を体に添え、左手を水平に流して一礼をした。
貴族が優雅に挨拶するときにやるやつだ、間近で見るのは初めてだ。
男は長い金髪を後ろで縛り、赤い目をしている。
全体的に白を基調とした軽装の鎧を纏い、細くスラッとした体型で華奢な印象を抱く。
「む。誰だ貴様は」
「おっと、忘れてしまったのかい? ボクだよ、ボク」
男はニアの言葉に拍子抜けして体勢を崩したが、すぐに立て直して右手を顔に添える。
「ボクこそ! レイリ・ヴァンホルン! 帝国騎士団第八警務隊の長にして、ヴァンホルン家の長男さ!」
男は役者然とした口調でレイリと名乗った。
レイリの周りにいる鎧の集団はおそらく彼の部下なのだろう。ポーズを決めるレイリに向けて複数人が手をひらひらとさせながら演出を加えている。
「そうか、覚えておこう」
ニアの素っ気ない返答にレイリは再び体勢を崩す。
しかし、帝国騎士団と言ったか。その隊長を務めるらしい男がニアに何の用だろうか。
ニアはレイリのことを全く知らないようだし、正直この状況は理解に苦しむ。
「ニアさんも随分と苦労をされているようだねぇ。そのような庶民の護衛をしなければならないとは……」
なんだこいつ、ケンカ売ってんのか?
俺を見るなり含みのあること言いやがって。
「どうだろうニアさん、そんな庶民を守るよりももっと有意義なことをしようじゃあないか!」
レイリはニアに近づくと、その周囲をくるくると周回し始めた。
まるでニアから俺たちを遠ざけたいという意思を感じる。しきりに横目でこちらを見てくるし、さっきから『庶民』を連呼して煽ってきやがる。
「ボクたち帝国騎士団はいつでも歓迎するよ。薄汚い商人の護衛なんてやめてしまったらどうだい?」
レイリはニアの横に立つと、背中から手を回して肩に手を置き、横顔を近づけた。
俺からはニアの表情は見えない。だが、こんなことを言われてただで済むはずがないだろう。
俺は今すぐにでもこのキザな勘違い男に蹴りを入れてやりたい気分だ。
「帝国騎士団か、ちょうど貴様たちに話があるのを思い出した」
「おっとぉ! それはなんたる偶然だぁ!」
なんだって? それじゃあ俺たちはどうなる?
このままここに置いていくって言うのか?
そいつの提案を呑むって言うのか!?
「お、おいニア!」
「すまない。ここから先はキミたち二人で楽しんでくれ」
ニアは振り返り、俺の前にやってきた。
「心配するなアイト、しばらくしたら宿で会おう」
ニアは俺の空いた手を握り微笑む。
「さあ、お前たち! 丁重にもてなしたまえ! ニアさんはとても大事なお客様だ!」
ほどなくして、レイリたち帝国騎士団はニアを連れて行ってしまった。
道を開けていた人が徐々に流れを取り戻し、俺とイリスは再び人混みの中へと取り残された。
閲覧ありがとうございます。
ぼちぼち更新する予定ですのでお待ち下さいませ。




