[2]引きこもり魔女と召喚魔術Ⅱ
「ううっ……」
俺は目を覚ました。ここは魔女の家のリビングにあるソファの上だ。
ルームライトの光だけが届く薄暗い部屋。
俺の全身には包帯が巻かれていて、激痛で体を動かせそうにない。
残念ながら夢ではなかったみたいだ。この世界も、色々な出来事も全て。
「イリス、これはお前のためなんだ。わかるね?」
この声は俺を殴り飛ばした大男のものだ。
大男の声とは別にすすり泣く声も聞こえる。泣いているのはおそらくイリスだろう。
「お前の祖母……先生には世話になったがこれ以上は無理だ」
「でも、あたしは……」
「ワガママを言うんじゃない! ここで暮らせていたのは誰のおかげだと思っている!」
「っ……!」
何やら真剣な話をしているようだ。
距離感の近い会話の様子から、イリスと大男は家族か何かだろうか。
なるほど、あのオッサンは俺のことを悪者と勘違いして殴ってきたって訳か。
「三日だ、それ以上は待てない。それまでに、ここから出ていく準備をしておけ」
「そんな……!」
「あの男も、ちゃんと帰してやれ」
オッサンとイリスは言い争いをしているのか。
しかし、イリスにここを出ていけだって? 随分な物言いだな。
何故だか心がムカムカする。あの魔女がどうなろうと俺には関係ない、むしろ元の世界に帰してくれるのならば本望だ。
願ってもいないチャンスだろう。それなのに、どうしてこんなにも気分が晴れないのか。
「うぅっ……ぐすっ……」
リビングにはイリスの泣き声だけが残されていた。
どうやらいつの間にかオッサンはいなくなったらしい。このまま寝ていても仕方がないだろう。
俺は何とか体を動かそうとソファから身を乗り出した。
「あいたっ」
しかし、体が思い通りに動かず勢い余って転げ落ちた。
どうしてこうも背中ばかり打つのだろうか。
「気がついたんだねっ……! よかった……」
ドタドタと足音を立ててイリスがやってきた。
俺はイリスの手を借りてソファに座り直す。それに続くように、イリスは隣に座った。
イリスは肩を落としてしょんぼりとした様子だ。目元を腫らしていて、さっきまで泣いていたことを裏付けている。
「ごめんなさい、あたしのせいでこんなことに……」
俺が怒っているか探るように話しかけてくるイリスだが、不思議と怒りは感じていない。
むしろ、ここまで理解できない状況が重なって怒る感情も湧いてこないのが本心だ。
「ここが異世界で、お前が俺を呼んだ魔女なのはわかった。だけど、どうして俺を呼んだのかがわからない。あのオッサンとしていた話も気がかりだ」
「き、聞いてたんだね……」
「お前、ここから追い出されるのか? どうして?」
「えっと……それは、その……」
イリスは言葉を詰まらせている。
一度に質問しすぎてしまったか、だけどその答えを聞かないと俺は納得できない。
俺を使い魔にするとか言っていた真意を、こいつが泣いている理由を知りたいんだ。
「……別に怒ってる訳じゃない。ただ、知りたいんだよ」
「そっか、そうだよね……うん、ちゃんと話さないとダメだよね……」
そうしてイリスは一息ついた。
俺の隣に座るイリスは俯いたまま、語る準備を整えた。
「あたしのおばあちゃんはね、この世界を救った英雄なんだ。最強の魔女って呼ばれていて、あたしもそんな魔女になりたいって思った」
イリスは淡々と語り始める。
確か最初に会った時も、自分が英雄の孫だと言っていた。
「この家も、元々はおばあちゃんが使っていた場所なんだ。今はダンテおじさんが管理していて、あたしにも使わせてくれているの」
ダンテおじさんというのはおそらく、俺を殴り飛ばしたスキンヘッドのオッサンのことだろう。
ここを管理しているということは、イリスとは血縁関係ではないようだ。
「あたしはここで最強の魔女を目指していたんだ。おばあちゃんが遺した魔術書を必死に読んで、一生懸命に魔術の研究をしたつもり。だけど……」
イリスの表情が曇り出した。膝の上に乗せた手に力を込め、ふるふると震わせている。
「なかなか上手くいかなくて、もっと頑張ろうって……! そうしたら段々、外にも出られなくなって……!」
「引きこもっていたんだな、ここに」
「うん……。ダンテおじさんはこの環境があたしをダメにしているって、だからここを出て街に行った方がいいって……」
結果が出なくて塞ぎ込んでしまった。その気持ちは俺にも理解できる。
どれだけの努力を重ねてきたかはわからない。でも、努力が実らないことの悔しさは計り知れないだろう。
「どれだけ頑張っても、誰にも理解してもらえない……! みんなから諦められて、夢ばかり見るなって言われている気がして……!」
イリスの目が潤んでいる。
振り絞るように言葉を吐き出しながら、声を震わせて嗚咽している。
きっとこの場所はイリスにとって、夢を叶えるために必要な場所なんだ。それを諦める決断をしなければならない、その悔しさがイリスの涙の理由なのだろう。
「……そんな時に見つけたの、この本を」
イリスは涙を拭い、懐から一冊の本を取り出した。
それは赤い表紙が特徴的な『異世界召喚魔術』の記された魔術書だ。
「これが最後、これが上手くいかなかったら諦める。そう思って魔術を使ったの……」
「それで、俺が召喚された……」
「キミを召喚できた時は嬉しかったなぁ、これならきっと……って」
俺がこの世界に召喚されてイリスと最初に出会った時。
必死の思いで俺を召喚することに成功したイリスの笑顔……というよりドヤ顔か。その表情には安堵と自信が満ちていたのだろう。
俺という存在が、イリスの夢に再び色をつかせるきっかけになるはずだった。
「だけど、ダンテおじさんにはわかってもらえなかった。キミにも迷惑をかけちゃうし、あたしって本当にダメだなぁ……」
イリスの声は再び震え出す。溢れる涙を堪えきれず嗚咽している。
だが、これではっきりした。俺をこの世界に召喚した理由、俺がこの世界に召喚された理由も。
イリスが夢を叶えるために手を伸ばしたのが俺なんだ、この子はきっと俺に………。
「助けてほしい、最初からそう言えばよかっただろ」
「えっ……?」
俺の呟きに、イリスは顔を上げた。
驚いたような表情で、涙に濡れた頬を見せる。
「お前は追い詰められて、必死の思いで俺を召喚した。つまりそれは、誰かに助けてほしかったってことだろ?」
「で、でも! あたしは自分のためにキミを巻き込んで、キミを利用して……」
「まったくだ、本当に迷惑極まりない。殴られて怪我はするしで散々だ」
「うぅ……」
イリスは苦い表情だ。
俺がここに来なければ、痛い思いをせずに済んだかもしれない。苦しまずに済んだのかもしれない。
「だけど、助けを求めているヤツを見捨てる程、俺は人でなしじゃねぇよ」
我ながら恥ずかしいセリフだったかもしれない。
別に、泣いている女の子を前にカッコつけたい訳でもない。ただ、俺の中でモヤモヤする気持ちに踏ん切りをつけたい一心で放った一言かもしれない。
「だから手伝ってやる。お前の使い魔として、お前の夢を応援してやる」
全力で悩んでいるヤツを全力で応援したい。その思いが俺の中で大きく膨らんでいたんだ。
俺に出来なかったことをもう一度、もう二度と繰り返さないために……。
「うわああ────んっ!!」
イリスが突然、泣き叫んだ。
相変わらずの声に俺の耳はキーンと耳鳴りを起こす。
ずびずびと鼻を鳴らしながら俺に抱きついてくるイリス。まるで子供をあやすような気分だ。
「ずずずっ!」
「あ、おいっ! 俺の服で鼻を拭くなっ!!」
◆
「さて、落ち着いたところで!」
「急に落ち着くな」
大泣きの最大瞬間風速も過ぎ去り、俺は全身の痛みに囚われている。
ソファから身を動かすこともままならない。しばらくはこのままじっとする必要がありそうだ。
「早速ですが! ここでキミにあたしの凄さをお見せしましょう!」
俺は目の前の胡散臭い魔女に懐疑的な視線を送る。
「何さその目は! さては、あたしのことを信用していないな!」
「いや、何をするつもりなんだ……?」
「ふふふ! あたしがその怪我を一瞬にして治してあげましょう!」
「マジで……?」
「マジで! いや、魔術で!」
その付け加えはいらん。
しかし、魔術がどんなものか分からないが、怪我を治してくれるなら何でもいい。
この激痛の枷から解き放ってくれるのならば本望だ。
「それではご照覧あれ! あたしの魔術を!」
イリスはそう言うと、懐から青い表紙をした一冊の本を取り出した。
ぱらぱらと、器用にページをめくるイリスは得意気な表情をしている。
魔術なんてものを目にするのは初めてだ。一体どんなものなのだろうか。
「あ、あれ……? おかしいな、ここに保存したはずなのに……」
イリスは本のページを何度も行ったり来たりしていて、どこか焦っているようにも見える。
果てには本を両手で広げながらバサバサと振っている始末だ。
「どうした?」
「え? あ、ちょっと待ってね……」
そう言い残してイリスは足早にリビングからいなくなった。
向かった先は古い図書館のようなあの部屋だろう。扉の奥から立つ物音が、リビングにも響いてくる。
何かトラブルだろうか。俺は全身の痛みで動けず、イリスの戻りを待つことしかできない。
「お、おまたせ! 今度こそあたしの魔術で治すよ……!」
息を切らしたイリスが戻ってきた。
その手にはイリスの背丈と同じくらいの長さをした、大きな杖が握られている。
これでようやく魔女らしい姿になったみたいだ。しかし、最初から準備しておけばいいのにとも思う。
「むむむ……!」
イリスは杖を構えると呪文らしきものを唱え始めた。
それに呼応するように、イリスの周囲には青白い光が集まり出した。
「これが、魔術なのか……!」
まるでテーマパークに来たみたいだ。ワクワクが止まらない。
周囲を漂う光は俺の体に集まり、鳥肌を立たせてちょっとした浮遊感を与えてくる。
そんな中、イリスは掲げていた杖を下ろして沈黙した。
イリスの動きに合わせて、俺を包んでいた光も消えていった。
「成功したのか……?」
俺は変化を探るべく体を動かす。
しかし、以前と変わらず体の痛みは消えていない。むしろ痛みが増しているような気もする。
一方でイリスは黙ったままだ。一体何があったのだろうか。
「ま゛り゛ょ゛く゛が゛た゛り゛な゛い゛よ゛ぉ゛────!!」
イリスのダミ声が響く。
俺は改めてイリスに懐疑的な視線を送る。
「さっきお腹いっぱいごはん食べたのに! 全然魔力が回復してないよぉ?!」
イリスは戸惑った様子で頭を抱えている。
頭を抱えたいのはこっちの方だ、魔力が足りなくて俺の怪我を治せないってことか?
期待した俺がバカだった……やはりこいつはポンコツ魔女なのか。
「なんだ、怪我を治せないのか……」
俺はここぞとばかり残念そうな顔をしてみせる。
「そ、そんなことないっ! きっと他にも方法があるはずだよ! ……たぶん」
イリスからは自信の無さがひしひしと伝わってくる。
そんな様子を見せられると俺まで不安になる。本当に大丈夫なのだろうか……。
イリスは赤い表紙の本をめくり、必死に別の方法を探しているようだ。
「しばらく寝てれば勝手に治るだろ、そこまで熱心になる必要は……」
「それじゃダメなのっ!!」
イリスは声を荒げた。
その迫力に、俺は声を出せなかった。
「あたしがやらなくちゃダメなんだ……!」
イリスの表情は真剣そのものだ、必死に俺の怪我を治そうとしてくれている。
それが彼女なりの償いなのだろう。ありがとうと言って気持ちだけ受け取るべきだろうか。
いや、ここまでされたら最後まで見届けようと思う。最強の魔女の力、見せてもらおう。
「あっ……! でもこれは、うーむ……」
どうやら何か解決方法を見つけたようだ。
しかしイリスは深く悩んでいる様子だ。頭を捻りながら左右に揺れている。
「どうかしたのか?」
「あぇ……」
間抜けな反応が返ってきた。それは一体どういう意味の返事なんだ。
「あのね、その……少しだけ目を瞑っていてほしいなぁ……なんて」
「なんだよ、何をするつもり……」
「い、いいから! あたしの言う通りにしてっ!」
イリスは言葉を遮って俺の体を強引に引っ張ってきた。
体を揺らされるたびに痛くてたまらない。せめて怪我人には優しくしてほしい。
俺は仕方なくイリスの指示に従って目を瞑った。
暗闇に包まれる視界の中、何やらゴソゴソと動く気配を感じる。
「せいっ!」
唇に柔らかい感覚が伝わってきた。
これはまさか……と思いきや、ぐいぐいと口の中へ何かが入ってくる。
「んごっ……!」
目を開くと、顔を赤くさせたイリスが、人差し指を俺の口へ突っ込んでいた。
口に入ってくる異物感に無条件反射で舌が動く。すると、イリスの生暖かくて柔らかい指先から鉄のような味がした。
「お、おまへっ……! なひして……!」
「ま、魔力を直接渡せばいいって書いてあったからっ……! し、仕方なくだよっ!」
イリスの指先を舐めると不思議なことに体中の痛みが消えていく。
これも魔術の力なのか? 流石に女の子の指を舐めるのは恥ずかしい。
しかし、痛みが消えて体が軽くなる感覚が妙に心地いい。
「あっ……待って、そんなに……」
つい夢中になって舌を動かしてしまう。
体の奥底から力が湧き上がるような、不思議な感覚だ。
「うぅっ……」
イリスは恥ずかしそうにして肩を震わせている。
恥ずかしいのは俺も同じだ。むしろ、俺はこんな事をさせられている被害者だ。
仕方のないこと、ならば躊躇う必要はないと思う。存分にコイツの指先を舐めてやろうじゃないか。
「も、もう無理かも……」
突然、イリスが目を回して倒れた。
呼吸も乱れていて、見るからに具合が悪そうだ。
「お、おい! 大丈夫か!?」
目の前で倒れ込むイリスに近づいた瞬間だった。
ぐぎゅるるる……。
間抜けな音が響いた。
「あっ、魔力切れか……!」
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