[1]引きこもり魔女と召喚魔術Ⅰ
俺の視界はスローモーションで進んでいる。
少しずつ、ゆっくりと俺の体は落ちていく。
まるで空を飛んでいるような感覚、だが決して心地の良いものではない。
《藍斗ってさ、どうしてアタシのためになってくれるの?》
アイツの言葉が何度も頭の中でこだまする。そうか、これが走馬灯というヤツか。
過去を羨んで感傷に浸る時間、思い出すのも億劫になる瞬間をこれでもかと体感させられる。
望むならもう一度、やり直したいと思った。
願うならもう二度と、繰り返したくないと思った。
このまま死んでしまうのだろうか。
地下鉄に続く長い階段から足を踏み外した、それが俺の最期なんて情けない。
やり残したことはないか、せっかくの休日をバイトに費やす日々は流石に勿体無かっただろうか。
どれもこれも後悔ばかりだ。手を伸ばしても、誰も見向きやしない。
何もできない。ただ、流れに身を任せることしかできない。
真っ暗だ。
「痛ッ……!」
背中に伝わる衝撃、この痛みには覚えがある。あれだ、ベッドから落ちた時のやつだ。
懐かしい痛みとの再会よりも、まだ俺の意識があることに感動する。
「やった……! 大成功……!」
女の子の声だ。
俺は仰向けの体を起こし、ぼやけた視界で声の方向を見る。
「あたしだってやればできるじゃん! さすがは英雄の孫だね!」
何やらはしゃいでいる女の子がいるようだ。
少し離れた位置に立つ小さな背丈。しかし、そのシルエットはどこか歪だ。
頭と思われる部分は三角形で、上部に向けて大きく尖っている。
「あの……」
「次は何をすればいいのかな……? えっと、次のページは……」
女の子らしき存在からの反応は返ってこなかった。
ようやくハッキリとしてきた視界で姿を捉える。どうやら女の子は本を読むのに夢中のようだ。
女の子の頭でっかちなシルエットの正体も見えた。それは大きなトンガリ帽子、まるで『魔女』のような見た目だ。肩を出して羽織る青いロングコートを揺らし、手元の本をめくっている。
こちらに気づく素振りも無い。こうなったら今度は大きな声でいってみよう。
「あの──っ!!」
「うひゃあっ!」
女の子は驚いた反動で尻もちをついた。
遠目からでもわかる豪快なコケっぷり、何よりもスカートから覗く純白が目に入る。
次の瞬間には女の子が慌てて立ち上がり、ぱさぱさと服を振り払った。
「い、異世界にようこそ────っ!」
突然の裏返った大声に俺はキーンと耳鳴りを起こした。
異世界と言ったか? この子は一体、何を言っているんだ?
「い、異世界に……」
「待て待て! わかったから……!」
女の子が同じフレーズを放つことを察して制止した。流石に二度目は俺の鼓膜が足りなくなる。
ため息に近い安堵の声を漏らし落ち着く俺を他所に、女の子はモジモジとしながら忙しなく左右に揺れている。
改めて見る女の子は水のように透き通る髪色をしたショートヘアの、まんまるな琥珀色の瞳をした可愛らしい少女だ。そしてやはり、頭に被った帽子が気になる。
色々と聞きたいことはあるが、まずは素朴な疑問をぶつけることにした。
「異世界っていうのは何? ここはどこなんだ……?」
「それはっ! えっと、ここはキミが暮らしていた世界とは別の世界だよっ!」
何を言っているのかよくわからない。
さっきまで俺は地下鉄の階段にいたはずだ。しかし、俺が今立っているのは全く別の場所。
足元にはごちゃごちゃと物が溢れかえっていて『汚い』という印象が真っ先に浮かんでくる。それに薄暗くて、少しカビ臭い。
周囲を見回すと、木造の広めな空間にぎっしりと本の詰まった本棚が並んでいる。
古い図書館のような場所だろうか、どうして俺はこんなところにいるのだろう。
「あ、あのっ! あたしがキミを呼んだんだよ! あたしの魔術でキミをこの世界に召喚したんだ!」
「待ってくれ、さっきから何を言ってるのかサッパリだ。そもそも、君は誰なんだ……?」
俺からの問いに、女の子は待ってましたと言わんばかりに姿勢を正して得意気な顔を見せた。
「あたしはイリス・アークライト! 英雄の孫にして、最強の魔女になる……」
女の子は饒舌に語り出した。
イリス、それがこの子の名前らしい。目の前で胸を張りながらドヤ顔をするイリスだが、その話も魔女だの魔術だのと訳の分からないことばかりだ。
「あの、聞いてる……?」
「え? あぁ、ごめん」
「むぅ~! せっかく説明してあげてるのに!」
イリスは頬をぷっくりさせながら俺を睨んできた。
そんな顔で見られても何が何だかわからないのだから仕方がないだろう。
魔女と言ったか、確かにイリスの見た目は魔女みたいだ。そういう設定のお店だろうか、しかし辺りに人影は無く、この子一人だけにも見える。
「とにかく! キミには、使い魔としてあたしを養ってもらいます!」
「……はい?」
俺が今、ポカーンとしているのは一目瞭然だろう。
こいつは何を言っているんだ? 使い魔にする? 養ってもらう? どういうことだ?
「き、キミには使い魔として……」
「ストップ! わかったから……!」
一旦、話を整理しよう。
目の前の魔女は俺を使い魔として働かせるつもりらしい。
要するにバイトの引き抜きか? こんな幼気な少女が?
俺は今、必死に納得できる理由を探している。訳がわからなくて頭が痛い……。
「その顔、全然信じてないでしょ……」
「信じるも何も、理解が追いつかないんだよ! いいから俺を帰してくれ! こんな遊びに付き合ってるヒマは……」
「遊びじゃないよっ! あたしは本気だからっ!」
イリスの危機迫る声。
その声に俺の息は一瞬だけ止まった気がする。
真っ直ぐに力強く俺を見るイリスの目、さっきまでとは違った雰囲気だ。
この子の言っていることが本当だとしたら俺は別の世界にやって来たのか? この魔女の魔術とやらで俺は異世界にやって来たのか?
「……どうして、俺なんだ?」
「それは……」
ぐぎゅるるる……。
瞬間、間抜けな音が響いた。
その音に呼応するように目の前のイリスは膝から崩れた。
何やら腹を抑えていて深刻そうな様子だ。
「どうした?! 何があった!?」
「ま、魔力が切れたみたい……」
「魔力切れ?! どうすればいい!」
俺は倒れているイリスを抱き起こす。
目の下にはクマが浮かんでいて、明らかに非常事態だ。
「お、お腹すいた……」
イリスはその言葉を残してガクッと意識を失った。
◆
「うま────っ!!」
耳を劈く声に頭痛がする。
俺の目の前にはテーブルに並べられた料理を次々と口へ運ぶイリスの姿がある。
まるでリスのように、口に入った食べ物で両頬を膨らませている。そんなイリスを俺は頬杖をついて眺めている。
「キミって料理が得意なんだね! 助かるよ〜!」
「そりゃどうも……」
イリスはもぐもぐと俺の作った料理を美味しそうに食べている。
そんな姿を見るとこっちもつい嬉しくなってしまう。
日頃から料理をしているのも伊達じゃない。一人暮らしの経験がこんなところで役に立つとも思わなかった。
しかし、勢いに任せて料理を作ったはいいものの改めて考えると不思議だ。キッチンも設備も何もかもが見慣れないものばかりだった。
何というか、全てが時代錯誤な気がする。
「なぁ、ここは本当に異世界なのか?」
「ふぇ?」
イリスからの間抜けな反応が返ってきた。
この空間、おそらくリビングだろう。全体的に木と石で造られた建物、ルームライト以外に見慣れた電化製品も見当たらない。
もはや文化が違うどころの話でない。時代か、世界そのものが違うと言わざるを得ない。
そんな中で俺は迷うことなく目の前の腹ペコ魔女のために料理を作ることが出来た。
自分でもよくわからない、漠然とした感覚だけで行動することが出来た。
「言ったでしょ、あたしがキミをこの世界に召喚したんだ」
イリスは口の中のものを飲み込むと、懐からゴソゴソと本のようなものを取り出した。
その赤い表紙には文字が書かれている。しかし、古い象形文字のようで俺にはさっぱり読めそうにない。
「これはあたしのおばあちゃんが作った魔術、異世界召喚魔術だよ」
「異世界召喚魔術……?」
何を言っているのかよくわからない。
魔術だなんてまるでファンタジー映画だ。およそこの世のものとは思えない。
しかし、ここに至るまでの経験がその眉唾話に信憑性を帯びさせている。
もしかしたら騙されているのかもしれない。そんな理性すら押さえつけられる程に目の前の状況が暴力となって俺に襲い掛かってくる。
「それで、どうして俺なんだ? 俺を使い魔にするってどういうことなんだ?」
「えっと……あたしは最強の魔女なりたくて、魔術の研究で忙しいあたしのために働いてくれる人を探してて……」
イリスの目が泳いでいる。
声のトーンも徐々に低くなっていていかにも怪しい。
要するに、俺を奴隷のようにこき使おうとでもしていたのか? この様子だと俺の意思を尊重するつもりも無さそうだ。
「キミにあたしを養ってくれないかなーって……」
大体わかった。まさに俺は今、こいつに騙されようとしている。
初めて会った子にいきなり養ってくれと言われても『はいわかりました』なんて了承するはずがないだろう。
そもそも俺はただの学生で、誰かを養うとかそんな次元で生きていない。
ここは逃げた方がいいかもしれない。流れに流されてここまで来てしまったが今こそ自分で決断する時だ。
「わかった、それなら……」
「おぉ……!」
「別のヤツに頼んでくれ!」
俺はテーブルから立ち上がり、玄関と思しき扉に向かってダッシュした。
その間にもイリスの焦るような、おどおどとした声が聞こえてくる。残念だがもう振り返ることは無い。
俺は玄関のドアノブに手をかけ、勢いよく開いた。
ドスンッ!
「痛っ……!」
扉の先は壁になっていたようで、俺は尻もちをついて倒れた。
しかし扉の先に壁があるなんてどんな構造の建物だ? 流石に異世界すぎる。
「貴様……」
男の野太い声が聞こえた。
それは扉の先、壁だと思っていたものからだった。
大きな体をして仁王立ちするスキンヘッドの男が眉間にシワを寄せて俺を睨んでいる。
「えっと、何……?」
俺が声を漏らした瞬間、スキンヘッドの大男は俺の胸ぐらを掴んできた。
首が締まって苦しい。大男の丸太のように太い腕は伊達じゃないようだ。
「何者だ! 何が目的だ!」
大男は額に浮かび上がる血管が今にもはち切れてしまいそうな、物凄い剣幕で俺に言い寄ってくる。
そうか、これがハニートラップというやつか。
可愛い女の子の次はガタイの良いオッサンと相場が決まっている。
まんまと騙されてしまった、どうやら俺に拒否権は無かったようだ。
「金が目的か! それとも……」
「うおっ!?」
俺はゴミ袋のように軽々と放られた。
受け身も間に合わず、勢いよく地面にぶつかる。
「ゲホッ……ゲホッ……!」
何度か咳き込んでようやく呼吸が整う。
なんて馬鹿力だろうか、必死に抵抗しても成す術が無かった。
それなりに体力には自信があったが、こういう理不尽な暴力には耐性が無い。
しかし、やられっぱなしなのも悔しい。
逃げるための時間稼ぎぐらいならできるはずだ。何とかその方法を探さないと……。
ドガッ!
鈍く重い音が響いた。
途端にチカチカと白黒にフラッシュする視界。
気がつくと、体が浮いている感覚に襲われた。
見えている景色はグルグルと回り、じわじわと顔全体に痛みが広がっていく。
「あうっ」
情けない声が出てしまった。
俺は体をねじらせながら、大きく吹き飛ばされていた。
噴き出す鼻血が、螺旋状に綺麗な軌跡を描いている。
「ダンテおじさんダメ────っ!!」
ふわふわとした浮遊感も束の間、俺は地面に叩きつけられて転がり出した。
ゴロゴロと俺の全身に痛みと衝撃が伝わる。
一度だけじゃなく、何度も叩きつけるように俺の体を痛めつける。
終わりの見えない痛みと衝撃の連続に、俺はただ耐えることしかできない。
「うがぁっ」
地面を転がる勢いがようやく止まった。
体が痺れているのか、ジリジリとした感覚だけが全身にあって具体的にどこが痛いかわからない。
「やめてっ! やめてよっ!」
「放せッ! 放すんだッ!」
何やら遠くで男女が言い争う声が聞こえる。
体は動かせず、視界もモヤがかかっている。
仰向けで微かに見える景色、晴天の空が最期になるなんて。
あぁ、今度こそ俺は死ぬんだ……。
「──しっかりして!」
女の子の声、これはイリスか?
三角形のわかりやすいシルエットが、俺の側で忙しなく動いている。
よかった、最期は独りじゃなかった。
このまま心地いい温かさとともに、俺は……。
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