[9]引きこもり魔女と謎の生物Ⅰ
オッサンを説得してから数日が経った。俺はキッチンで夕食を作っている。
オッサンと一緒にイリスを応援するとは言ったが、流石にたった数日では何か新しく動き出すこともできなかった。
そもそも、イリスの考えている『最強の魔女』ってどんな姿なんだ? 夢を持つのはいいが、漠然としすぎてあんまりしっくりとこない。
そういうのも相まって、まずは俺自身が変わっていく必要があると考えた。ここ最近では、オッサンの好意でこの世界について色々と教えてもらっている。
この世界は所謂、剣と魔法の世界。俺がいた科学の発展した世界とは違って、魔法と魔術が発展して世界の基盤を作っている。
大昔に、この世界を支配していた『魔王』と呼ばれる最凶の魔物が討伐されて以降、魔物の数は段々と減ってきているらしい。まぁ、俺の世界で言うところの猛獣や危険生物が魔物に相当するだろう。普通に生活しているだけではまず遭遇しない。
というか、イリスのお祖母さんが魔王を討伐して英雄となり、その後世界に魔術を発展させた『最強の魔女』とのことだ。この話を聞いたときは流石に腰を抜かした。そんな偉人から引きこもり魔女が出てくるんだもんな……。つーか、いくつだよイリスのお祖母さん。
そうか、だからイリスは最強の魔女を目指しているんだ。自分が英雄の孫娘だからって理由だけじゃなく、魔術を究める者として当たり前の夢なのかもしれない。しかし、『最強の魔女』は流石に存在が大きすぎて具体性に欠ける。一体、どういう姿になりたいんだ? だとして、俺はイリスにどんなことをしてやれるんだ……。
俺はこの世界の人間じゃない。イリスによって異世界に召喚されてしまった普通の一般人だ。
知らない世界、文化、土地。見るもの全てが俺にとっては全く新しく異質なものだ。それでも、俺の常識や言葉の通じる世界で良かったと思う。
……というより、この世界の物を見ても『こういうものだ』という感覚がある。俺の心の奥底ではその存在を知っていて、最初からそれを理解してるような不思議な感覚。
今こうしてキッチンに立って料理を作れているのも、この感覚のおかげと言っても過言じゃない。俺のいた世界とは全く違った食材や調理器具でも、なぜか感覚的に理解できている。
「……あれ?」
俺はふと、自分の作った料理から品数が減っていることに気づいた。
……ため息が出てしまう。どうやら、つまみ食いをした不届き者がいるらしい。まぁ、おおよそ犯人の見当はついているが。
しかし、俺が物思いに耽っている隙を狙うとはいい度胸だ。これはキツいお仕置きをしなければなるまい。
俺は大きく息を吸って腹に力を込めた。その力を一気に解放するようにして犯人の名前を叫ぶ。
「イ──」ドカーン────ッ!!
無残にも、俺の叫びは大きな爆発音にかき消された。
何事だ!? 爆発の煙がキッチンどころかリビング中にまで充満している。どうやら煙の出所はイリスの実験室からのようだ。
「アイトぉ失敗しちゃったぁ……」
ほどなくして、全身が真っ黒に焦げ付いたイリスがアトリエから出てきた。
どうやら魔術の研究中に事故が起きて失敗したらしい。というか、爆発が起きるレベルって何をしてたんだ……?
しかし妙だ。先程、俺がつまみ食いの犯人として想定していたのはイリスだった。だが、イリスはこのように研究を行っていて離れる隙は無かったように見える。
となると、イリスの他に犯人がいるのか?だとしたら誰が? ……まさかオッサン?いや、ないな。
「あーっ! アイトあれっ!」
俺がつまみ食いの犯人について推理していると、イリスが大きな声を上げ指を差して何かを示した。
そこには、まるで見たことのない不思議な生物が、爆発の影響で地面にひっくり返った料理を食べている。
「えぬぅ?」謎の生物はこちらを見て鳴き声を上げた。
なんだこいつは……。まさか、魔物!?
猫のようで狐のような、全体的に小さく白色をした生き物だ。
こちらに気づいても尚、地面にぶちまけられた料理を食べるのをやめない。人に慣れているのか?
「可愛い──っ!!」
俺が謎の生物を警戒していると、そんなことはお構いなしにとイリスが謎の生物へと駆け寄った。
危ないと声をかける暇もなく、イリスは謎の生物を抱きかかえるとそのまま自らの顔に埋めだした。
「アイト! この子ペットに……ぐぇ!」イリスは謎の生物から顔面にパンチを食らった。
イリスはパンチを食らった反動で謎の生物を手放した。すると、謎の生物は華麗な身のこなしで着地して玄関の方へと走っていった。
顔の痛みに悶えるイリスを他所に、俺は謎の生物を追いかける。爆発の振動で玄関の扉が少しだけ開いていたのだろう、謎の生物はするりと扉をすり抜ける様にして外へ出て行ってしまった。
「待て──っ!」
咄嗟に玄関の扉を開けて外を見ると、なんと少し離れたところで謎の生物が立ち止まっていた。
謎の生物は、まるで俺を呼んでいるかのように背中を向けて歩き出した。
「うぅ……、どうしたの?」
俺が玄関で呆然と立っていると顔に肉球の跡を付けたイリスが隣にやってきた。
一方で、謎の生物は変わらずに俺たちを呼んでいるようだった。
仕方ない。俺は謎の生物を追うようにして玄関から外へ飛び出した。しかし、俺はある違和感を感じて振り返った。
「ソトハキケンダカラ、アタシハココデマッテルヨ」
……この引きこもり魔女め。俺は玄関まで引き返して怠惰の権化を玄関の外へと引き摺った。鬼──ッ! 悪魔──ッ! と罵られたようだが、どうやら気のせいみたいだ。
俺はイリスを連れて謎の生物に案内されるがまま、木々に囲われた街頭も無い暗い道を進む。
土地勘の無い俺にとって、この夜道は未知の道のりだ。所々を道から外れて草木をかき分けて進んでいるせいで迷わずに帰れるか不安になってくる。
「ちょ……ちょっと休憩しようよ……」
しばらく歩いていると、イリスが膝に手をつけながら息を切らして立ち止まった。
まだ少ししか歩いていないぞ。日頃から引きこもっているせいで体力が尽きたようだ。
こうしている間にも、俺たちの前を先行する謎の生物はこちらが付いてくるのを待つようにして佇んでいる。
このままイリスをここに置いていくこともできない。仕方がない、最終手段といくか。
「しゃーねぇな、ほら。おぶってやるよ」
俺は地面に座ってうなだれているイリスの前で背を向けてしゃがみ、おんぶをする体制に入った。
対するイリスは、顔を真っ赤にしてモジモジとしながら自分の中の羞恥心と戦っているようだ。
まぁ、恥ずかしいだろうな。だが、これはお前の運動不足が招いた結果だ。甘んじて受け入れるがいい。
しかし、一向に動こうとしないイリスに俺は我慢の限界を迎えた。
「じゃあ置いてく」俺がしれっと歩き出すと、イリスは「待ってッ!」と迫真の声を上げた。
改めて、俺はイリスをおんぶする。イリスから仄かに香る甘い匂い。と、少しの焦げ臭さ。背中に伝わる人の体温に心地よさを感じる。そのまま、謎の生物を追いかけて歩き出す。
「お、重くない……かな?」
イリスは俺の耳元で呟いた。
別に、元の世界でバイト先の品出しとかしていたしこれくらいは苦じゃない。むしろ、引きこもってぐうたらとしている割には軽い……いや、こんなことを言ったら何をされるかわからない。心に秘めておこう。
その後は特にイリスと会話することもなく、気が付くと森の中の開けた場所で謎の生物が立ち止まった。
「えぬぅ!」
謎の生物が鳴き声を上げると、何もなかったはずの森の中にモヤモヤと揺らめく大きな靄が浮かび上がった。
俺はおんぶしていたイリスを下ろすと、靄は段々と形を作っていき、その姿を変化させた。
「な、なんだこりゃ……?!」
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